第187話 鋼の精神
六月も半ばを過ぎ、夏の暑さが本格的に押し寄せてきだした。
体育祭以降、非常に穏やかな日々を過ごせてはいるが、だからこそ今の状況がもどかしく思える。
そんな事など知らないと言わんばかりに、僅かではあるが冷房を効かせている室内で、相も変わらず小さな恋人が膝の上に乗っているのだから。
「……暑くないか?」
「冷房付けてるから大丈夫だよ」
ならば冷房を切れば離れるのではと思ったが、実行に移す事は出来ない。
もどかしく思いつつも、悠斗とて美羽の触れ合いを望んでいるのだ。
それはそれとして、美羽の柔らかな感触は心臓に悪い。
「ねー。悠くん。いい?」
「はいはい」
何をして欲しいかなど、詳しく言われずとも分かる。
物欲しそうに悠斗を見上げる美羽の唇へ、悠斗のものを触れさせた。
「ん……」
美羽が気持ちよさそうな声を漏らし、長い瞼をふるりと震わせる。
いつ頃からかは覚えていないが、美羽がキスに嵌って暫く経つと、気付けば何気ない時でもキスを求めるようになった。
流石に学校がある日の朝や日中はしないものの、それ以外だと求めてくる事が非常に多い。
(……きっついなぁ)
悠斗を求めてくれるのはもちろん嬉しいし、幸福感で心が満たされる。
しかし、それと同時に悠斗の胸に欲望が沸き上がってくるのだ。
ただ、それを簡単にぶつけてはいけない事くらい分かっている。
なので我慢を続けたのだが、キスをしてからたった一ヶ月にも関わらず、そろそろ理性の限界だ。
しかも、離れようとしても出来ない事が、悠斗の理性を削ることに拍車を掛けている。
「はぁ……。ね、もう一回、いいでしょ?」
「……分かったよ」
朝を除き、美羽が一回で満足する事は無い。
平日に美羽を送る際も、日に日に別れるまでの時間が長くなっている。
そして休日はほぼずっと触れ合い、一緒に寝ているのだから、我ながらよく我慢している方だと思う。
再び美羽と唇を合わせつつ、どうしたものかと頭を悩ませるのだった。
「なあ、突っ込んだ話をしていいか?」
昼休みの食事中。美羽や紬がいないタイミングで、蓮へと尋ねた。
余程深刻な顔をしていたのか、蓮が顔を引き締めて頷く。
「おう。俺に出来る事なら何でも相談に乗るぜ」
「マジで助かる。……そういう雰囲気を作るのって、どうすればいいんだ?」
「は?」
全く予想が出来なかったのか、蓮が箸を止めて固まった。
隣の哲也も、目を見開いて硬直している。
流石に抽象的過ぎたかもしれないので、恥ずかしさはあるがもう少し踏み込む。
「だから、その、キスの次の雰囲気の作り方だよ。……下世話で悪いけど、綾香さんとしてるんじゃないのか?」
「いや、まあ、そりゃあお互い思春期だし、してるけどさ……」
冬の旅行の際に悠斗をからかってきたが、どうやら本当に体を重ねているらしい。
良家としての立場を考えると軽率な行動だと思わなくもないが、とっくに先が決まっているからこそ、体を許しているのかもしれない。
何はともあれ、これなら蓮を頼って正解だ。
出来る事なら哲也からもアドバイスをもらいたかったが、無理強いはさせられないので、主に蓮からとなる。
ただ、蓮の顔が呆れたと言わんばかりのものなのが気になった。
「なら、どういう風に雰囲気を作ってるのか、教えてくれないか?」
「……その前に、お前らまだしてなかったのか?」
「付き合って三ヶ月だぞ。そんな簡単に出来るかよ」
キスすら約一ヶ月前なのだ。すぐに手を出すとがっついているようで、美羽を怖がらせてしまうかもしれない。
そもそも、女性にとって一生に一度のものなのだから、どれだけ慎重になってもやり過ぎではないはずだ。
渋面を作って応えれば、蓮と哲也の目がじとりと細まる。
「付き合ってとは言うが、お前らは一緒に過ごし始めて半年以上経ってるだろうが。とっくにしてるもんだと思ってたぞ」
「毎日一緒に居て、しかも週末泊まりに来てるのに手を出してないって、それはもう鋼の精神どころじゃないよ」
「う……。そ、そうなのか……」
二人から同時に責められると、悠斗の方が異常な気がしてきた。
顔を俯ける悠斗へ、蓮がびしりと指を差す。
マナー違反ではあるが、蓮の眉は吊り上がっており、相当お冠らしい。
「そもそもだ。雰囲気という前に、お前らは普段から甘すぎるんだよ。どうせ泊まりの時も一緒に寝てるんだろうが」
「それに、家に行った時も当たり前のように東雲さんが悠斗の膝に座ろうとしてたし、いつもくっついてるんじゃない?」
「……まあ、そうだな。寝る時は一緒だし、美羽が居るのは俺の膝の上かベッドだ」
美羽の許可を取らずに詳細を話すのは駄目だと思うが、この二人なら信用出来る。とっくに隠せる段階ではないというのもあるが。
悠斗の言葉に、二人が重い溜息をついて肩を落とした。
「その状況で手を出してないって、男を疑うぞ……」
「普通我慢出来なくなると思うんだけどね……」
「俺だって必死なんだよ。でも、そろそろ限界なんだ」
美羽が近過ぎて、全力でぶつかって来過ぎて、もう我慢の限界が近い。
悠斗も大きな溜息をつけば、蓮が顔を顰めながら首を傾げた。
「何で躊躇ってるんだよ。一緒に寝てるならそれだけで雰囲気が出来ないか?」
「いや、何というか、出来るなら良い思い出になって欲しいんだ。なのに流れでするなんて、卑怯じゃないか?」
「卑怯も何も、そういうものは流れだと思うんだけどね」
「哲也の言う通りだ。それに、東雲が悠の誘いを断ると思うか?」
「……いや、多分、ない」
よくよく考えると、美羽は悠斗を怖がるより、笑顔で受け入れそうな気がする。
それに「待ってる」と言われた事もあるので、もしかすると悠斗の覚悟が出来るまで、美羽の方から言わないつもりなのかもしれない。
代わりに悠斗の理性を削ってきているが、悠斗が手を出さない今の状況なら、ここまでしか出来ないのも納得だ。
首を振って応えると、蓮が呆れを混ぜた苦笑を悠斗へと向ける。
「ならいいじゃねえか。心配なら、少しずつ触れるのを増やしていけばいい」
「というか、悠斗もそういう本を持ってるはずだよね? そこから知識を得ないのか?」
「……あれが当てにならないってのが、この数ヶ月でこれでもかと思い知ったんだよ」
自室を掃除するのが悠斗なのでバレていないと思うが、悠斗とてそういう本を多少は持っている。
しかし、ああいう本の状況はいきなり過ぎて、何も参考にならなかったのだ。
なので、今一番信頼出来るのは、蓮のアドバイスになる。
「まあ、少しずつ増やしていくさ。ありがとな」
「役に立ったならいいけどよ。真剣な顔で尋ねてきたから何かと思ったぜ」
「結局はいつもの惚気だったからね」
「……悪かったよ」
あまり蓮や哲也の前で惚気たつもりはないが、二人が言うのならそうなのだろう。
その後は発覚した意気地なさを、二人に散々弄られるのだった。
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