第185話 髪型変更

「悠くーん! もう限界だよぉ!」


 梅雨に入ってそれほど経っていないうちに、美羽が音を上げた。

 悠斗の為に我慢するとはいえ、髪が長い事による蒸し暑さと、髪に癖がつくのは辛かったのだろう。

 約束通り悠斗が髪をいたいのだが、学校に来たばかりだ。

 当然ながら、美羽の周囲にはクラスメイトが居る。

 まさかこんな場所で言い出すとは思わず、顔が引き攣った。


「ゆーうーくーん!」


 悠斗の葛藤など知らないとばかりに美羽が声を張り上げ、べしべしと軽く机を叩く。

 突然豹変した美羽の態度に周囲のクラスメイトが驚いて固まっているが、美羽はどこ吹く風だ。

 駄々っ子のような仕草は可愛らしいものの、放っておく訳にもいかず、美羽の元へ向かう。


「せめてもう少し前に言ってくれよ。学校に来る前に出来ただろうが」

「やだ。それに、悠くんは約束してくれたでしょ?」


 してやったりという美羽の笑みに、ようやく先日の引っ掛かりが理解出来た。

 おそらく、美羽は初めから学校で髪を結わせるつもりだったのだろう。

 クラスメイトに見られながら結うのは嫌ではないが、これでは周囲に見せつけるようで恥ずかしい。

 なので、せめてもの反撃として美羽の額を突く。


「……こいつめ」

「あう。えへへ、怒られちゃった」


 怒られたにも関わらず、美羽がへらりと頬を緩ませた。

 大きく溜息をつき、美羽から櫛とヘアゴムを受け取って背中側へと回り込む。


「わぁ! 芦原に髪を纏めてもらうんだ!」

「凄く当たり前にお願いしたねぇ」

「それくらい芦原を信用してるんでしょ。はー、熱いねぇ……」


 周囲の女子が何事かと悠斗達のやりとりを見守っていたが、何をするか分かったようで、弾んだ声を上げた。

 呆れや黄色い声を放っておき、まずは櫛で僅かに癖がついた髪を整える。

 週末の風呂上がりは悠斗が手入れしているので、わざわざ美羽にやり方を尋ねる事はない。

 慣れた手つきで整えていくと、美羽が気持ち良さそうに喉を鳴らした。


「んー。さいこう」

「……凄い度胸してるなぁ」


 穴が開く程に周囲から視線を向けられているので、悠斗は非常に居心地が悪い。

 しかし、悠斗にされるがままになっている美羽は、家に居る時のような態度だ。

 感心と呆れを混ぜ込んだ呟きを落とし、手入れを続ける。

 流石に違和感を覚えたのか、周囲の女子が首を傾げた。


「何か、手慣れてない?」

「それ思った。美羽も口出ししてないし、絶対初めてじゃないでしょ」


 周囲の指摘はごもっともだ。普通の男子は異性の髪を手際良く手入れ出来ないのだから。

 なので、焦る事なく事実を少々ぼかして伝える。


「実は、偶にやらせてもらってるんだよ」


 流石に火種を追加するつもりはないらしく、美羽が小さく頷いた。


「そうなの。悠くんの手つきが優しくて、毎日やってもらいたいくらいだよ」

「それは無理だから勘弁してくれ。……よし、こんなもんだな」


 髪の癖は無くなったので、後はポニーテールにして終わりだ。

 しかし、ここから先はやった事がない。念の為に尋ねておく。


「失敗するかもしれないけど、いいんだな?」

「もちろん。悠くんがやってくれたってのが大事なんだから」

「分かったよ」

 

 出来る限り綺麗にしようと意気込み、淡い栗色の髪に触れる。

 いよいよ纏めていくところで、「ちょっと待って」とクラスメイトから声が掛かった。

 まさか邪魔されるとは思わず、首を傾げて声の方を見つめる。 


「どうした?」

「今からどんな髪型にするつもり?」

「首元が涼しくなるように、ポニーテールだな」

「ならポニーテールにする前に、別の髪型にしてもいいんじゃない?」

「別の髪型か……」


 よくよく考えると、美羽の髪型はロングストレートかポニーテールしか見た事がない。

 別の髪型を見られるだけでなく、悠斗が行えるという状況に胸が弾んだ。

 ただ、髪を弄られる側としてはたまったものではないようで、美羽の肩がびくりと震える。


「……変な事しないよね?」

「流石にそこはわきまえるつもりだ。駄目か?」

「………………悠くんしか触らないなら、許してあげる」


 例え女子であっても、アドバイスをする為だとしても、悠斗以外が髪に触れるのは許さないという気持ちが、小さな呟きに込められていた。

 露骨な独占欲に、周囲が盛り上がる。


「わー! 美羽が可愛過ぎる!」

「全然それでもいいよ!」

「それじゃあ芦原、まずは――」


 わらわらと女子が周囲に群がり、次から次へと注文してきた。

 女性だけの中に悠斗が混じるのは心苦しいものの、他の男子は入れないだろう。

 確認の為に視線を巡らせれば、輪に入っていない女子からは羨望と生温い視線を、男子からは呆れと僅かに憎悪を込めた目線をいただいていた。

 更に、前の席の紬の顔は引き攣った笑みであり、教室の端の蓮と哲也はやれやれと肩を竦めている。

 美羽の髪を結うだけなのに、いつの間にかこんなにも大事になってしまった。

 溜息をつきつつ、指示通りに美羽の髪を弄る。


「こんな感じか?」

「そうそう! ツインテールも似合うー!」

「……これ、子供っぽくない?」

「まあまあ、いいじゃない! それじゃあ次は――」

 

 既にちょっとした見世物のようになっており、髪型を変えるだけで周囲が色めき立つ。


「三つ編みもいいねー!」

「難しいもんだな。どうだ、美羽?」

「……まあ、これはこれで良しかな」


 結局、ホームルーム前まで美羽の髪型変更は続いた。

 最終的にはポニーテールになり、座っているだけでも疲れたのか、美羽が悠斗の腹へと頭を預ける。

 周囲の女子達はというと、僅かな時間くらいゆっくりさせようと席に戻っていた。


「ポニーテールにするだけで、大変だったよ……」

「……すまん。正直、結構楽しかった」


 湿気を吸い取って最初は少し癖があったが、やはり美羽の髪は触り心地がいい。

 そして恋人の髪を弄れるというのは、彼氏として最高の時間だと思う。

 申し訳なさと達成感を混ぜ込んで謝罪すると、柔らかな頬が不満そうに膨らんだ。


「後で覚悟しておいてね」

「いやいや、教室でやれって言ったのは美羽だろ? こういう事が起きて当たり前だっての」


 以前の腫れ物扱いとは違い、今の美羽はクラスメイトとそれなりに良好な関係を築けている。

 ここまで大盛り上がりするとは思わなかったが、責任が悠斗にあるのは理不尽だ。

 鋭い指摘に、美羽が思いきり肩を落とす。


「……うぅ、負けました」

「まあ、多少の仕返しはしていいけど、家でな」

「ん」


 仕返しといっても悠斗の髪は短いので、撫でられるくらいだ。

 そして悠斗の予想通り、家に帰ってから美羽は悠斗の髪を堪能し続けるのだった。

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