第183話 衣替え

「じゃーん! どうかな!」


 体育祭の振替休日をゆっくりと過ごし、今日からいつも通りの日常が始まる。

 美羽に起こされて日課を終えると、美羽が悠斗から離れてくるりと一回転した。

 そして、明るくて真っ直ぐな太陽のような笑顔で感想を求めてくる。

 もちろん、一回転した事に対してではない。


「うん、可愛いな。夏服も似合ってるぞ」


 体育祭明けの六月から衣替えとなり、今日の美羽は夏服だ。

 普段から部屋着として半袖を着てはいるものの、学生服も素晴らしい。

 下半身は特段変わっていないように見えるが、代わりに曝け出されたシミ一つない腕は、健康的で活発な印象を抱く。

 服そのものはきっちり着こなしているので、生真面目さと愛らしさが絶妙な割合で混ざっていた。

 簡素な褒め言葉だったが、美羽が顔を蕩けさせる。


「えへへ……。ありがとぉ」

「でも折角綺麗な肌なんだし、日焼け対策はしっかりな」


 日に焼けるのが悪いとは言わないが、きめ細かく滑らかな肌を焼くのは勿体ない。

 もちろん、美羽が忘れているはずがないので、あくまで念の為に指摘しただけだ。

 すると、美羽が頬を朱に染めて笑顔を深めた。


「悠くんは焼けない方が好きなんだね。気を付けるよ」

「……否定はしないが、言葉にされると恥ずかしいな」


 悠斗の好みに合わせると堂々と宣言され、悠斗の頬も熱くなる。

 眉を下げて苦笑すれば、美羽がくすくすと軽やかに笑った。


「もっとあれこれ言って良いんだよ? 髪の長さも、肌の色も、全部悠くんの望みに応えたいし」

「ありのままの美羽でいいさ。というか、今でも美羽は十分魅力的だっての」


 美羽にしては珍しく重い発言だったので、悠斗に褒められてテンションが上がっているのだろう。

 悠斗の好きな姿になりたいというのは嬉しいが、縛り付けたくはない。

 小さな頭をぽんぽんと軽く叩いて褒めると、柔らかな頬が不満そうに膨らんだ。


「もう。そうやって褒めて誤魔化すんだから」

「誤魔化してなんかない。ほら、着替えるから一階に降りてくれ」

「むー」


 唸り声が耳に届いたが、流石に着替えを覗くつもりはないようだ。

 渋々と言わんばかりの態度で、美羽が扉に向かっていく。

 このまま部屋を出て行くと思ったのだが、美羽が悠斗の方へ振り向いた。

 幼げな顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。


「そうだ。腕は他の人にも見せるけど、こっちは悠くんだけだからね?」


 美羽がほんのりと顔を赤らめ、スカートを摘まんで持ち上げた。

 下着が見える程ではないものの、雪のように真っ白で柔らかそうな太股がはっきりと見える。

 悠斗の趣向を完璧に把握し、独占欲を刺激する行為に、心臓が激しく鼓動した。


「……下手したらその先も見えるぞ」

「見たいならいいよ。でも、悠くんの手でして欲しいなー」


 動揺を押し殺して行った指摘にも、美羽は全く動じない。

 澄んだ瞳の中に期待が込められている気がして、ごくりと喉が鳴る。

 ただ、いくら悠斗に任せると言われても、この状況で先に進みたくはない。


「まだしないから! 早く降りてくれ!」

「はぁい。……『まだ』なんだね。ふふっ」


 甘く蕩けた笑顔を浮かべ、美羽が扉を開ける。

 最後に悠斗の欲情を煽る発言を残し、去って行った。

 寝起きにも関わらずドッと疲れが襲ってきて、ベッドに体を預ける。


「失敗したぁ……」


 つい口を滑らせてしまったが、もう言葉は取り消せない。後悔に大きな溜息を吐き出した。

 唯一の救いは、悠斗の欲望を理解されつつも嫌がられなかった事だろう。むしろ、望んでいた気がする。


「……まあ、次はそうなるよな」


 悠斗とて思春期の高校生だ。性欲はあるし、最近では美羽と毎日キスしているせいで、かなり溜まってきている。

 もちろん、これから先の行為がいけない事だと分かっているが、簡単に止められるなら苦労はしない。

 ただ、これはキスと同じく簡単に済ませていいものでもないのだ。


「取り敢えず、準備するか」


 ここで悩んでも、どうせ答えは出ない。

 頭を悩ませる問題を脇に置き、着替えに取り掛かるのだった。





 普段通りに登校し、友人と話して時間を潰す。

 以前までこの場に美羽も居たのだが、今は自席でそれなりに多くの人に囲まれていた。

 美羽が来なくなった事に、蓮が首を傾げて尋ねてくる。


「悠はあれでいいのか?」

「いいさ。仲直りも出来たみたいだし、美羽の笑い方が前と違うからな」


 体育祭の徒競走を終え、美羽がクラスメイトに囲まれていたのはしっかりと見ていた。

 その際に美羽が浮かべた笑顔を見て、もう美羽は以前のように取り繕った態度で彼女達に接しないと思ったのだ。

 実際、放課後にはクラスメイトと関わっていくと宣言されたので、快く送り出している。

 楽しそうに談笑する美羽を眺めつつ、笑みを零す。


「まあ、集まる人は減ったみたいだけど、あれくらいでちょうどいいだろ」


 美羽の周囲に人が集まっているといっても、以前のように大勢ではない。

 美羽が一度周囲との関係を切った事で、離れて行った人も確かにいるのだ。

 ただ、離れて行くというのなら勝手にすればいいし、美羽も気にしていない。

 そういう人は、美羽の立場しか見ていないのだから。

 そう考えると、美羽はようやく普通の高校生に成れたのだろう。


「なるほど、悠が納得してるなら俺らが口を挟む事じゃないな。……正直、立場だけを当てにして擦り寄ってくるのはロクな奴じゃないし」


 家関係で似たような立場だからか、蓮が呆れながら、以前まで美羽に擦り寄っていた人たちに小さく悪態をついた。

 悠斗が今の状況を受け入れているのならと、正直な気持ちを表に出したのだろう。

 蓮の言葉に、哲也が苦笑を落として頷く。


「そうだね。後は悠斗と東雲さんの問題だ。……それにしても、悠斗は寛大だね」

「それは思った。独占しようとしないなんて、大した彼氏だよ」

「何だよ。彼女に笑って欲しいと思うのは普通の事だろ?」


 蓮と哲也のからかいに、唇を尖らせた。

 いくら彼氏とはいえ、悠斗に出来る事には限りがあるのだ。

 ならば、多少寂しくても背中を押すのが彼氏の役目だと思う。

 それに、口にすると更にからかわれるので言わないが、必ず美羽は悠斗の元に戻ってくる。

 何も心配などないと笑みを浮かべると、蓮と哲也が呆れた風な目になった。


「東雲は愛されてるねぇ……」

「そりゃあべた惚れになる訳だよ」

「美羽に惚れ続けてもらうのが、俺に出来る事だからな。後はまあ、椎葉も受け入れられてるみたいだし良かったよ」


 美羽がある程度元の立場になる事で、紬が美羽と過ごし辛くなるかと思ったが、蓋を開けて見ればそんな事はなかった。

 おそらく、この約一ヶ月間美羽が紬と仲良くしていた事で、他のクラスメイトも興味を持ったのだろう。紬に対しても友好的に接している。

 紬に何かあれば、再び美羽が激怒するからというのもありそうだが。

 何はともあれ、おっかなびっくりとではあるが紬も会話に混じっている。

 紬の事を蓮や哲也も気にしていたようで、美羽達を見つつ安堵の表情を浮かべた。


「それはそうだな。まあ、男三人に戻った事だし、下世話な話でもしようぜ」

「……確かに、こういう時でしか話せない事もあるけどさ」


 美羽が傍に居ないのは少し寂しいが、久しぶりの男三人の会話も悪くない。

 悠斗とて、美羽に聞かせられない会話をする事もあるのだから。

 蓮や哲也と盛り上がりつつ、六月最初の朝は過ぎて行くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る