第170話 怒りの結果

「ゆーうくん!」

「ん、何だ――」


 美羽が休憩時間の度に悠斗の所へ来るようになり、今日で二日目だ。

 昨日は何もしなかったので大丈夫だろうと思いつつ、声のした方に顔を向ければ、細い指先が悠斗の頬へ突き刺さった。

 それなりに勢いがついていたせいで、割と頬が痛い。

 古典的な悪戯をされるとは思わず、無言でじろりと美羽を睨む。


「……」

「えへへー。一度やってみたかったの! 引っ掛かったね!」

「はぁ……」


 してやったりという笑みが眩し過ぎて、怒る気力も無くなった。

 ただ、やられたからにはやり返してもいいはずだ。

 溜息をつきつつ白磁の頬に手を伸ばせば、美羽は何の抵抗もなく受け入れる。


「ん? 今度は私の番かな?」

「まあ、そうだな。でも、ただやり返すのは癪なんだよなー。という訳で、こうだ」

「うー! のびるー!」


 滑らかな感触の頬を痛くならない程度に引っ張ると、美羽が抗議の声を上げた。

 しかし抵抗はそれだけで、美羽は頬を摘まれたままだ。

 それどころか、端正な顔には楽しそうな笑みが浮かんでいる。


「……少しは嫌がらないと、仕返しにならないんだが?」

「悠くんが触れてくれるんだから、嫌がる訳ないでしょ?」

「失敗だったか……」


 きょとんと無垢な顔で首を傾げられ、敗北感にがっくりと肩を落とした。

 落ち込む悠斗の肩を、骨張った手がポンと叩く。

 顔を上げると、やれやれと分かりやすく辟易したような顔の蓮が居た。


「いきなりいちゃつかれると、止めようがないんだが? 周りが固まってるぞ」

「……すまん」


 つい美羽に仕返しをしてしまったが、ここは学校なのだ。

 出来る限り美羽との接触を抑えるつもりだったが、先程のやりとりは明らかに過剰だった。

 蓮の言葉に冷静になって周囲を視線だけで見渡すと、こちらを観察しているクラスメイトのほぼ全員が、気まずそうな苦笑を浮かべている。

 紬はというと、自席で読書しつつも、こちらに視線を向けて他の人と同じような顔をしていた。

 生温い視線がないのは、少し前に美羽が怒ったので、今までのように眺められなくなったからだろうか。

 素直に謝罪する悠斗を、哲也が呆れたと言わんばかりの目で眺める。


「まさか一限目の休み時間に堂々といちゃつかれるとは思わなかったよ」

「……気を付けます」

「えー、こんなの別に普通でしょ? 家では――」

「はいストップな、美羽」

「んー!」


 余計な事を言う前に、美羽の後ろに回って口を塞いだ。

 おそらく「家ではもっとくっついてる」と言うつもりだったのだろう。

 蓮や哲也は既に知っているので話すのは構わないのだが、他の人に知られるのは遠慮したい。

 これ以上爆弾を投下して、更に気まずそうな目で見られたくないのだ。

 流石にこういう触れ合いは嫌のようで、美羽が呻き声を上げつつ非難の目を悠斗へ向ける。


「堂々と俺らの家の事をバラしてどうすんだ。余計な詮索をされるぞ?」

「む……」


 クラスメイトに根掘り葉掘り聞かれるのは勘弁して欲しいのか、小さな声で言い聞かせると、美羽が一瞬で大人しくなった。

 これなら大丈夫だろうと、美羽の口から手を離す。


「ぷはぁ! 言いたい事は分かったけど、口を塞ぐ必要はないでしょ?」

「あのままだったら絶対言ってただろうが」

「うっ」


 不満そうに唇を尖らせる美羽へ自信を持って告げると、否定出来ないようでぐっと口をつぐんだ。

 これで一段落だと溜息をつけば、それ以上に大きな溜息が二つ、周囲から聞こえてきた。


「まーたいちゃつきやがって。ホント、やり過ぎ注意だぞ?」

「いや、この調子だと注意しても無駄だろうし、俺達が慣れるしかないんじゃないかな……」 

「マジか。こういうのがこれからは何度もあるのかよ……」


 口を塞ぐのに、手を使う必要はなかったのかもしれない。

 しかも美羽の後ろに回り込んだせいで、抱き締める形になってしまった。

 申し訳なさに頬を引き攣らせつつ、美羽と離れる。

 蓮と哲也に二回も呆れられて罪悪感が沸いてきたのか、美羽も顔を曇らせていた。


「「……すみませんでした」」 


 事前に美羽へ忠告していたにも関わらず、悠斗も過剰な接触をしたのだから、言い訳のしようもない。

 自制しなければと心に刻みつつ、美羽と共に深く頭を下げるのだった。




 それ以降は流石に羽目を外さず、美羽が悠斗を優先するようになって数日が経った。

 同時に紬が悠斗達と毎日昼飯を摂るようになったので、二人に何か悪い事が起きていないか心配していた。

 しかし悠斗の予想に反して、驚く程静かに日々を過ごせている。


「意外と何も起きないもんだな」

「バレー部の奴らに聞いたけど、この前の件は悠斗の告白を覗いた人全員に、東雲が怒ったって事になってるらしいぜ」


 蓮曰く、周囲が悪い事になっているようだ。悠斗からすればその通りなのだが、それで周囲が納得するとは思わなかった。

 おそらく、大勢の人が悠斗の告白を覗いていた事が、事態を良い方向に進ませたのだろう。

 美羽も澄んだ眼を大きく開き、驚きを露わにしている。


「その通りではあるんだけど、そんな事になってたんだ」

「ああ。覗いた人は何も言えないし、そもそも東雲があんなに怒る事なんて初めてだから、これ以上刺激しないようにって距離を置いてるみたいだな」


 理屈は分かるし、美羽が既に決意しているので仕方ないと思うが、それでも腫れ物扱いはいかがなものかと思う。

 美羽も納得がいかないのか、形の良い眉が歪んでいる。


「……まあ、何にせよ皆に迷惑掛けなくて良かったよ」

「それともう一つ。東雲が激怒した事で、悠斗への陰口が収まってるみたいだな。理由は一緒だ」

「おぉ。最近、陰口とか嫌な視線が少なくなってると思ってたけど、そういう事だったのか」


 この状況で悠斗への陰口を叩いて美羽の耳に入ってしまえば、先日の二の舞なので遠慮したいのだろう。

 陰口は完全に無視していたが、減るとなるとそれはそれで嬉しい。

 弾んだ声を上げれば、美羽がホッと胸を撫で下ろした。


「良かったぁ……。なら、怒ったかいがあったね」

「効き目があり過ぎるくらいだけどな。それに、この様子だと椎葉に何も起きてないのも同じ理由だろ」

「うん。そうだと思う。本当にありがとう、美羽」


 紬の感謝に、美羽が柔らかく微笑む。


「こんなの気にしないでいいよ。何かあったらちゃんと言ってね」

「うん、分かってるよ」


 紬に何か起きれば、美羽の感情は更に爆発するだろう。

 その結果が良い方向に転ぶとしても、美羽には穏やかに笑っていて欲しい。

 このまま何も起きないでくれと願いつつ、昼食を平らげる。


「それはそうと、明日からゴールデンウィークだな。俺と綾香は一日くらい空きそうだけど、皆の予定は?」

「俺は暇だな。美羽はどうだ?」

「私も暇だよ。多分、悠くんの家に行くと思う」

「了解だ」


 家に来るのはいつもの事なので、わざわざ口にはしないはずだ。

 この様子だと、春休みと同じく泊まりに来るに違ない。

 望むところなので頬を緩めると、哲也が呆れた風な目で悠斗を見た。


「相変わらず熱々だね」

「……まあ、否定はしない。そういう哲也はどうなんだ?」

「俺も暇だよ。椎葉はどうだ?」

「私は家族で遊びに行くけど、もし皆が遊ぶなら日にちは調整するよ」

「なら、俺と綾香の予定が空く日を知らせるから、今度は六人でショッピングにでも行こうぜ」


 この状況だと、六人で外出しても何の問題にもならない。だからこそ蓮は提案したのだろう。

 これまで外で遊ぶ人は美羽や蓮、綾香くらいしかいなかったが、哲也と紬なら大歓迎だ。

 

「いいな。こんなに大人数は初めてだけど、面白そうだ」

「うん。私も喜んでだよ」


 悠斗と美羽が賛成し、哲也と紬も頷きで同意した。

 話が纏まった事で、蓮がパンと手を叩く。


「よし! ならゴールデンウイークは一日空けておいてくれ!」


 春休みと同じたった一週間の休みだが、楽しみが出来たのだった。

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