第169話 変化する日常

 美羽が決意した次の日。宣言通り、美羽は朝から悠斗の席に来ている。

 大胆な行動に出ないか心配していたが、最初から飛ばしはしないようだ。


「「……」」


 これまで美羽の傍に居た人達は、顔に僅かな気まずさを浮かべて美羽をちらちらと観察していた。

 あまり詳しく聞かなかったが、昨日は相当美羽に怒られたのだろう。

 何にせよ、美羽が辛い思いをしないのなら、悠斗の出る幕はない。


「こういうのは初めてだから、結構楽しいね」

「前の美羽の立場からすると、ありえなかったもんな」


 これまでは必ず人が寄ってきて、美羽の周囲を囲むのだ。

 他の人からすれば羨ましい限りだろうが、美羽は少しも喜んでいなかった。

 しかし今はやりたい事が出来ているからか、自然な笑顔を浮かべている。

 男子からの嫉妬が更に増えそうなものだが、意外にもクラスメイトからは妬みの視線をもらっていない。

 こういう所でも昨日の美羽の怒りが出ているらしい。


「ああいうのって大変だからなぁ。全部とは言わないが、良く分かるぜ」


 家庭事情で人と関わる事が多い蓮からすれば、美羽の苦労は他人事ではなかったようだ。

 呆れた風な笑顔を浮かべ、美羽へと僅かに頭を下げる。


「何も出来なくて悪かったな」

「元宮くんが謝る事じゃないよ。というか、下手に手を出せないから見てたんでしょ?」

「まあ、そういう事だ。俺が割って入っても、良い方向に絶対行かなかったからな」

「ふふ、そうだね。多分、今以上に大事になってたんじゃないかな?」


 蓮は美羽と多少親しい友人という扱いになっているが、急に美羽を囲む輪に割って入っても弾かれるだけだ。

 下手をすると、事態がややこしくなる可能性すらある。

 悠斗も何となくは理解していたが、頭の回転が速い二人の会話に哲也が苦い笑みを浮かべた。


「蓮もそうだけど、周囲に人が居るってのは大変なんだなぁ……」

「この二人の愚痴を聞いてると、ああいう立場になりたくないって思うよな」

「そうだね」


 悠斗と哲也にはどうやっても辿り着けない立場だが、ここでいい。

 そもそも、少なくはあるが友人や恋人と話しているだけで十分だ。

 四人で他愛ない話をしていると、話題が昼食へと移る。


「元々東雲は昼に悠と一緒だし、そこは変わらないな」

「それなんだけど、折角だし今日は皆でお昼にしない? 悠くん、いいかな?」

「俺は構わないけど、蓮と哲也はそれでいいのか? 多分、俺達への視線が滅茶苦茶多くなるぞ?」


 あまり話していない人といきなり食事は遠慮したいが、蓮と哲也なら喜んでだ。

 ただ、今の状況から考えると、悠斗達に向けられる視線は凄まじい事になるだろう。

 念の為に確認を取れば、二人が大きく頷く。


「俺は前から腫れ物扱いされてるし、視線が多くなるくらい平気だよ」

「俺は二年生になる前に、何回か三人で食べてたしな。何の問題もないぞ」


 蓮は元々、周囲の視線を全く気にしていなかった。

 そして、哲也はおそらく美羽への告白が広まった事を言っている。

 とはいえ既に乗り越えているようで、柔らかな笑顔を浮かべていた。

 悠斗と美羽は深く突っ込めず、苦笑を返すだけに留める。


「ならこの四人でだな」

「ううん。もう一人居るよ、悠くん」


 美羽が悪戯っぽい笑みを浮かべ、手で×印を作った。

 綾香は学校が違うので、残るのは一人しかいない。

 彼女が一緒に食事を摂るとは思わず、目を見開いてそちらの方に顔を向ける。

 あまり目立たないが、可愛らしい容姿の紬と目が合った。


「……」


 おそらく昼の事を考えているのだろう。紬がぎこちない笑みを悠斗へ向ける。

 この四人はまだいいが、紬には周囲の視線が辛いのではないか。

 心配になって、詳しく話しているはずの恋人へ問い詰める。


「ちゃんと椎葉がいいって言ったんだよな?」

「もちろん。無理強いなんてしてないよ」

「……ならいいけど」


 美羽がこの場で嘘をつく訳がない。

 ただ、あの態度からすると、紬はかなり緊張しているはずだ。

 美羽もそれは分かっているようで、申し訳なさそうに眉を下げる。


「でも、皆に紬をフォローしてあげて欲しいの。私も気を付けるけど、きっと快く思わない人が出て来るからね」

「だろうなぁ。簡単に予想が付くぜ」


 人の悪意を良く知っているからか、蓮が苦虫を嚙み潰したような表情になった。

 悠斗も美羽と付き合った事で陰口を叩かれているので、紬に降りかかるであろう悪意が良く分かる。


「いきなり美羽と親しくなって、美羽も居るけど男三人と昼飯だもんな。間違いなく何か言われるだろ」

「うん。一応、私が昨日『誰と一緒に居るかは好きにする』って言ったけど、多分それだけじゃ駄目なんじゃないかな」

「間違いないね。まあ、俺に出来る限りの事はするよ」

「ここに居る奴らは周囲の評価を気にしないからな。四人集まれば何とやらだ」


 哲也と蓮が承諾し、美羽が嬉しそうに目を細めた。

 

「ありがとう、皆。その中でも一番私が頑張らなきゃいけないから、紬を悪く言う人には怒るよ」

「美羽がそう言うなら大丈夫だろ」


 悠斗ももちろん力になるが、同じ女性である美羽が力になるのが一番影響が大きいはずだ。

 それに、今は周囲と距離を置いているものの、おそらく美羽の発言力は落ちていない。

 そうでなければ、今でも周囲がこちらに窺うような視線を向けていないのだから。

 新学年になって一段と変わった環境の中、四人で朝を過ごすのだった。





「うぅ……。視線が凄いよぉ……」

「大丈夫だよ。あんなの放っておけばいいんだから」


 五人で食堂に集まり、昼飯を取る。

 やはりというか、覚悟していても紬は周囲の視線が辛いようだ。

 縮こまる紬を、美羽が必死に励ましている。


「何かあったら言ってね。絶対に力になるから」

「ありがとう、美羽。お願いするね」


 紬もこの後が大変になる事を理解しているらしい。

 美羽が居るからというのはあるだろうが、それでも紬がここまで頑張る理由が気になった。


「言いたくないなら言わなくていいんだが、椎葉はどうして視線に耐えようとするんだ?」


 美羽とは連絡先を交換しているようだし、話すのはいくらでも出来る。

 遊ぶのに関しても、紬には申し訳ないが学校から離れたら出来るだろう。

 なので、わざわざ学校で目立つ必要がないのだ。

 しかし、紬が強い意志を込めた瞳で悠斗を見つめる。


「変わりたいって思ったの。私、あんまり友達が居なくて、数少ない友達も学年が変わって疎遠になっちゃったから……」

「そういう事なら喜んでだ。美羽にもそうだし、何かあったら言ってくれ」


 何が紬を変えたのかは分からない。

 ただ、頑張ろうと思ったのなら、支えるのが友人の役目だ。

 美羽にお願いされずとも、悠斗は紬を応援していただろう。

 迷いなく応えると、紬が華やいだ笑顔を浮かべた。


「ありがとう、芦原くん」

「俺にもだぞ。ここには居ないけど綾香も相談に乗ってくれるだろうし、遠慮すんなよ」

「その通りだよ。この前までいろいろあったから、俺も力になれると思う」

「……本当に、ありがとう」


 紬が肩を震わせて俯く。

 悠斗は蓮や美羽に支えてもらい、哲也と紬のお陰で前に進む勇気が出たのだ。

 今度は返す番だと、頬を緩める。


「何はともあれ、食べようぜ。腹減った」

「だな。にしても五人か……。綾香に話したら羨ましがられるだろうな」

「綾香さんは椎葉と哲也を気に入ったみたいだしな」


 年上の威厳などなく、蓮に拗ねる綾香が容易に想像出来た。

 皆もそうなのか、四人で笑い合う。

 随分と大人数となった昼は、周囲の視線を気にせず楽しめた。

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