第166話 普段の美羽の姿

「さあ上がってくれ」


 芦原家に着き、哲也と蓮を上げる。

 女性三人はというと、折角なのだからお菓子を作りたいとスーパーへ向かった。

 美羽が前日に何も準備していなかったので疑問に思っていたが、どうやら前から決めていたらしい。

 荷物持ちをしようかと思ったものの、遠慮されたのでこうして男だけになっている。


「悠斗の家に来るのも久しぶりだな。思いきり寛いでいいか?」

「おう。気楽にしてくれ」

「じゃあ遠慮なく。はぁ……」


 蓮がソファへと思いきり体を沈み込ませ、重い溜息を吐き出した。

 あまり表情には出していなかったが、もしかすると時間を作る為に結構頑張ったのかもしれない。

 どうせ注意する人もいないのだし、好きにさせる。

 哲也はというと、きょろきょろとリビングを見渡して首を傾げた。


「あれ、悠斗の親は不在なのか?」

「両親は出張中だ。怒る人はいないし、哲也も寛いでいいからな」

「分かったよ」


 それとなく話を逸らし、哲也をリビングのソファへと誘導する。

 今更隠す必要はないと思うが、せめて美羽が居る場で打ち明けたい。

 美羽が作り置きしているお茶を用意し、悠斗もリビングで寛ぐ。

 先程の綾香の暴走っぷりを三人で思い返していると、玄関の扉が開く音がした。


「ただいまー!」


 悠斗が美羽を迎える事は殆どないので、普段と逆の立場にくすりと笑みを落とす。

 冷蔵庫までだが荷物持ちをするべく玄関に向かうと、綾香が生温い笑みを浮かべ、紬が驚愕を顔に張り付けていた。


「おかえり、美羽。荷物を預かるよ。……それで、二人共どうしたんですか?」

「大した事ではないですよ。家の鍵を渡しているのだと思っただけです」

「それに、美羽が『ただいま』って言わなかった?」

「「あ」」


 普通に考えれば、いくら恋人とはいえ合鍵を持っていたり、我が家のように声を響かせるのはおかしい。

 しかし鍵を渡したのは随分前なのと、美羽がただいまと言うのが当たり前になり過ぎて、何の違和感も抱かなかった。

 ぴきりと体を硬直させる悠斗と美羽へ、綾香の軽やかな笑みが向けられる。


「後でたっぷり聞かせてもらいますね?」

「……分かりました」


 おそらく言わなくてもいい所まで言わされると思うが、どうせ隠せないので抵抗するだけ無駄だ。

 哲也と紬には酷かもしれないなと溜息をつきつつ、固まった美羽を引き摺ってリビングに向かうのだった。





「なるほど。そりゃあ親しくなる訳だ」

「はへぇ。何というか、凄くドラマチックだね」


 哲也と紬に美羽と悠斗の詳しい関係を説明するのと同時に、かなり詳しい所まで蓮と綾香に突っ込まれた。

 哲也は呆れ交じりに頷き、紬は瞳に羨望を込めて笑んでいる。


「念の為に言うけど、他言無用だぞ。これ以上学校で騒がしくなるのはごめんだ」


 今ですら殆どのクラスメイトから茶化されつつも、陰ではそれなりに悪口を言われているのだ。

 ここで余計な火種を入れたくはない。

 真剣に釘を刺すと、哲也と紬が大きく頷く。


「分かってる。俺達を信用して話してくれたんだ。裏切るつもりはないよ」

「私もだよ。誰にも話さない」

「ありがとう。二人共」


 二人が信用に値する人だと判断した悠斗と美羽の目に狂いはなかった。

 美羽と共に頭を下げれば、哲也と紬が苦笑を浮かべる。


「感謝される事じゃない。こんなの普通だって」

「うん。こんなの当たり前だよ」

「さて。話も一段落しましたし、お菓子でも作りましょうか」


 綾香がパンと掌から音を響かせ、空気を変えた。

 楽しみだったのか、紬と美羽が瞳を輝かせる。


「はい! 綾香さんとお菓子を作るのは久しぶりですからね!」

「頑張って勉強します!」

「紬さん、肩肘張らなくていいですよ。私と美羽さんが何でも教えますからね」

「そうそう。どんな事でも聞いてね」

「うん!」


 どうやら彼女達の中では紬が一番お菓子作りが下手らしい。

 バレンタインの時は、本当に精一杯頑張ってくれたものだったのだろう。

 ちくりと胸を刺す痛みを抑えていると、女子三人がキッチンに向かっていった。

 すぐにわいわいとはしゃぐ声が聞こえてきて、蓮が呆れた風な笑みを零す。


「女三人寄ればなんとやらだな」

「いいじゃないか。三人とも楽しそうだし」

「俺からすれば、女子の手作りのお菓子をもらえるだけで嬉しいよ」


 男三人は普段から一緒な事が多く、悠斗の家でも特段雰囲気は変わらない。

 のんびりしつつ待っていると、バターの焼ける良い匂いがしてきた。

 すぐに美羽達がやってきて、テーブルの上に黄色の円盤状のものを置く。


「はい、クッキーだよ」

「ありがとう、美羽。椎葉と綾香さんも」


 悠斗のお礼に美羽が柔らかく微笑み、座り込んだ悠斗の前に来て背を向けた。

 何をするのかを察し、小さな背中を押して座れないようにする。

 やりたい事が出来なくなったせいで、美羽が振り向いて不満そうに顔を膨らませた。


「どうして?」

「皆が居る前でするつもりか?」

「……そうだった」


 家に居るからと、つい普段の癖が出てしまったのだろう。

 頬を赤く染め、美羽が悠斗の隣に座る。

 ただ、他の四人の目は生暖かい。


「悠の膝に座っていいんだぞ?」

「美羽。やりたかったら遠慮しないでね」

「うぅ……。しないもん!」


 拗ねる子供のような美羽の態度に、全員が笑うのだった。





「それじゃあ明後日学校でなー」

「また遊びましょうね、美羽さん」

「楽しかったよ。ありがとう、悠斗」

「またね、美羽」


 結局、その日は話すだけで一日を終えた。

 悠斗は紬と話す時に気まずさが殆どなくなり、美羽も哲也と普通に話せるようになったと思う。

 あの二人の内心はどうか分からないが、悠斗の目には楽しく過ごせていたように見えた。


「みんな、またな」

「気を付けてね」


 四人を見送り、美羽と共にリビングへ戻る。

 今日はまだくっついていないからか、美羽はすぐに悠斗の膝に乗ってきた。


「今日は楽しかった?」

「ああ。あんなに多くの人が俺の家に来るのは初めてだったけど、楽しかったよ」


 悠斗は大人数でいるよりか一人で居る方が好きだが、ああいうのも悪くない。

 むしろ、あの四人なら上手くやっていけそうだ。


「椎葉に関しても、良い友人になれると思う。美羽はどうだ?」

「私も同じだよ。皆良い人達ばっかりだねぇ」

「違いない」


 蓮や綾香は前からとして、哲也と紬も悠斗と美羽に対して仲良くしてくれた。

 あんなに素晴らしい人達とはそうそう出会えないだろう。

 良い友人に恵まれたと笑みつつも、美羽の頬を後ろから引っ張る。

 少し力を強めるだけで、ふにふにと触り心地の良い頬が伸びた。


「ふぇ?」

「でも、油断し過ぎだ。まだあの二人の前でこういうくっつき方は止めような?」


 哲也は構わないと言ってくれているし、紬も同じ気持ちなのだろう。

 けれど、配慮すべき所はあるはずだ。

 柔らかく注意すると美羽が顔を俯けてしまい、頬から指が離れる。


「……すみませんでした」

「代わりに、今は沢山くっついていいから」

「…………ん。そうする」


 強く怒れないなと苦い笑みを落としつつも、甘えて来た美羽の頭を撫でるのだった。









「ねえ柴田くん。ちょっと聞きたい事があるの」


 悠斗の家からの帰り道。蓮と綾香は後ろで話しており、隣を歩く紬が気まずそうに尋ねてきた。

 この表情からすると、聞き辛い事なのだろう。

 しかし探られて痛い腹はないので、微笑で応える。


「何かな?」

「嫌だったら答えなくていいからね。……美羽に告白したのに、一緒に遊ぶのは辛くないの?」

「……っ」


 あまり人と話すのが得意ではないと先程言っていた紬でも、哲也の噂は耳にしているらしい。

 乗り越えたはずなのに、他人に指摘されてちくりと胸が痛んだ。

 ただ、哲也の胸に沸き上がっているのは、辛さだけではない。


「辛くないって言ったら嘘になるかな。でも、悠斗なら許せる」


 許せるなど上から目線だと思うが、これくらいは言わせて欲しい。

 友人となってはいるが、悠斗は恋敵だったのだから。


「俺と違って、大勢に覗かれながら告白したんだ。それ以前から悠斗が良い奴だってのが分かってたし、悠斗に負けたのなら悔いはないよ」


 他のクラスに乗り込み、非難されるのも覚悟で美羽を呼び出す事など哲也には不可能だ。

 臆病だった悠斗がああやって人前に出た時点で、どうやっても哲也では敵わない。

 そもそも美羽の心が悠斗にしか向いていなかったので、勝負にすらならなかったのだが。


「それに今日、お互いがお互いじゃないと駄目だって言うのが伝わってきた。……割り込む気すら起きなかったよ」


 今日悠斗の家に招待され、二人の在り方をこれでもかと見せつけられた。

 傍に居るのが当たり前で、自然に力を貸せて、笑い合える。

 悠斗と美羽は何も意識していなかったのだろうが、だからこそ哲也には良く分かったのだ。

 あれこそが――


「あの二人のような関係を、理想の恋人って言うんだろうね」


 未だに胸は痛むが、それでも哲也の心には妬みも僻みもない。ただひたすらに、あの二人の幸せを願っている。

 紬に話さなければと感情を整理したからか、思ったよりもすんなりと言葉に出来た。

 春になったばかりの、少し雲がかかった空を見上げていると、僅かに沈んだ声が聞こえてくる。


「……うん。あの二人は理想の恋人だね」

「椎葉?」

「柴田くんが言ってくれたから、私も言うよ」


 紬が大きく深呼吸し、哲也を見上げた。

 俯きがちだった紬は、澄んだ瞳に強い意志を秘めているように思える。


「私も柴田くんと同じなの。芦原くんに告白して、振られちゃった」

「…………そっか。一緒だったんだね」


 自分を振った人が同じクラスに居て、恋敵だった人と友人になる。

 そして今、おそらくだが哲也と同じ事を思っているに違いない。

 そうでなければ、先程の言葉は出て来ないはずだ。

 あまりにも似すぎている状況に苦笑を落とすと、紬の表情がくしゃりと崩れた。


「そうなの。美羽が良い人過ぎて、あの二人が理想的過ぎて、嫉妬すら起きなかったよ」

「俺達はとんでもない人に惚れて、振られたんだな」


 どちらかが納得出来ないのなら、まだ怒れたかもしれない。

 しかし、二人共があまりにも良い人過ぎた。

 ある意味では幸運なのかもしれないと、溜息を零す。

 ただ、似た境遇の紬はくすりと笑みを落とした。


「そうだね。だから、目標にしたの」

「目標?」

「うん。私もあんな恋がしてみたい。その為に、変わりたいと思ったの」

「……椎葉なら出来るさ」


 どうして哲也の周りには、強く在ろうとする人が多いのだろうか。

 小さな少女が眩しくて目を細める。きっと、紬は素晴らしい恋をするはずだ。

 傷付いても前に進む姿に尊敬を覚えていると、なぜか紬の表情に覇気がなくなった。


「何をすればいいかなんて分からないんだけどね」

「それでも、思うだけでも違うはずだ」

「なら、一緒に頑張ろう? 好きな人に振られた者同士、ね?」

「……そうだな」


 情けない話だが、同じ境遇の人が居ると思うだけで心が軽くなる。

 それに、紬はあの二人を目標にして前に進みだしたのだ。

 ならば悠斗と美羽を応援するだけでなく、哲也も前に進みたい。

 ようやく心が軽くなり、清々しい気持ちで紬と笑い合うのだった。

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