第150話 寝ぼけた恋人

「ん……」


 腕の中の、暖かく柔らかなものがもぞりと動いた感覚で、意識が覚醒する。

 重い瞼を開けると、愛しい少女の寝顔がすぐ真下にあった。


「……っ!」


 一瞬だけ訳が分からなくなったが、すぐに昨日美羽と一緒に寝たのだと思い出す。

 起こしては駄目だと思い、首だけで時刻を確認すると九時だった。

 悠斗からすればまだまだ早い時間なのだが、美羽ならばとっくに起きている時間だ。

 しかし、美羽は悠斗の腕に頭を乗せてすうすうと寝息を立てている。


「もしかして、俺が寝た後も起きてたのか?」


 布団に入った時刻は深夜を過ぎていたので、寝不足であってもおかしくはない。

 もしくは、悠斗が寝た後も暫く美羽が起きていた可能性もある。

 実際どうなのかは分からないが、こうして恋人と一緒に寝られるというのは間違いなく幸福だ。


「ホント、可愛いなぁ」


 元々美羽は幼げな顔をしているが、寝顔はいつにも増して子供っぽくて可愛らしい。

 旅行の際は美羽が先に起きていたので、こうして寝顔を眺めるのは久々だ。

 眺めているだけで胸が暖かくなり、悠斗の唇が弧を描く。


「もう彼氏なんだし、触れてもいいよな」


 このまま見続けていてもいいのだが、折角なのだからもっと触れたい。

 美羽の彼氏だという自負が、悠斗を大胆にさせる。

 寝る直前も触れていた、滑らかな頬へと手を伸ばした。


「……ん」


 形の良い眉がくすぐったそうに歪むが、すぐに安らかな寝顔へと変わる。

 瑞々しく、弾力のある頬は触るのが癖になってしまいそうだ。

 起こさないように、けれど頬の感触をしっかりと楽しんでいると、長い睫毛がふるりと震えた。


「ぅ……」

「おはよう、美羽。起こしちゃったな」

「んー」


 どうやら、美羽の意識は未だに眠りの海を彷徨さまよっているらしい。

 間延びした声を出しつつ、美羽が再び目を閉じた。

 それだけでなく、悠斗の胸へと顔を埋めてくる。


「二度寝するか?」

「ん」


 思考能力の落ちた美羽へ囁くと、短い返事が返ってきた。

 丈一郎なら起こすかもしれないが、この場には二度寝を咎める人などいない。

 そもそも悠斗が休日に起きる時間はまだ先なので、そこまで寝ているのが普通だ。

 悠斗も二度寝しようと淡い栗色の髪に顔を埋め、美羽特有の匂いを吸い込みつつ目を閉じる。


(落ち着くなぁ……)


 昨日は緊張し、美羽に指摘される程に心臓の鼓動が激しかった。しかし、今は見違える程に静かになっている。

 美羽の体温や濃ゆい匂いは、昨日一緒に寝た事で悠斗を安心させる材料になったのだろう。

 幸福感に胸が満たされ、意識を手放そうとすると――


「ゆー、くん。なでて」


 美羽はまだ寝ていなかったらしく、顔を上げて舌足らずな声で告げてきた。

 無垢な顔は不満の色に染まっており、眠気で瞳はぼんやりとしている。

 ほぼ意識がない状況でも悠斗へのおねだりを忘れない美羽に、くすりと小さな笑みを零した。


「分かったよ。これでいいか?」

「やーだ。ちゃんと、なでる」

「おっと、駄目だったか」


 美羽が寝辛くならないようにと軽く撫でたのだが、お気に召さなかったらしい。

 ぐりぐりと顔を胸に押し付け、不満アピールをしてきた。

 ならば遠慮はしないと、指をしっかりと髪の中に入れて梳くように撫でる。


「んー、きもひ、いぃ……」

「そりゃあ良かった」


 美羽が蕩けた声を出して、体の力を抜いた。

 この調子ならすぐに寝るはずだと撫で続けるが、腕の中の少女はまだ寝ないようですんすんと鼻を鳴らす。


「ゆーくんのにおい、すき。ゆびも、すき。だいすき、ゆうくん」

「……俺も大好きだよ」


 飾らない真っ直ぐな言葉に、悠斗の心臓がくすぐられた。

 よくよく考えると、美羽へと想いを伝えて以降、あまり好意を言葉にしていなかった気がする。

 もう遮るものはないのだからと悠斗も真っ直ぐに告げると、美羽の体が震えた。


「……うれしい。ずっと、こうしてくれる?」

「今日はな」


 今日は予定がないので、ずっとこうしてくっついていてもいい。

 腹は減るのでその際は離れないといけないものの、多少は美羽も許してくれるだろう。

 しかし悠斗の予想は外れ、美羽が腕の中でゆっくりと暴れだした。


「やーだーぁ。ずっとなでてー。いっしょにいてぇ?」

「分かった分かった。一緒に居るからな」


 暴れすぎて眠気が覚めると、美羽は今の状況を間違いなく恥ずかしがる。

 それはそれで可愛らしいと思うが、寝て忘れてもらうのが一番だ。

 嘘をつくのを申し訳ないと思いつつ応えると、美羽がすぐに大人しくなる。


「やったぁ。ありがとぅ」

「どういたしまして。それじゃあ二度寝しようか」

「はぁい」


 再び淡い栗色の髪を梳くように撫でると、すぐに美羽が寝息を立て始めた。

 頬を緩めつつも、美羽を起こさないようにひっそりと溜息をつく。


「全く、可愛いやつだなぁ」


 眠気で理性が飛んでいたからか、美羽にしては珍しく我儘を言われた。しかし、それほどまでに悠斗を求めてくれたのだ。

 ずっと一緒は無理だが、今日は出来る限りこうしていたいと思う。

 二度寝をする眠気は吹き飛んでいるので、いっそ美羽が起きるまであやしていようと、正月と同じように撫で続ける。


「……ん」


 それから一時間ほど経つと、ようやく美羽が覚醒したようで悠斗から離れた。

 しばらくぶりに見たはしばみ色の瞳には、しっかりと理性の光が灯っている。


「おはよう、悠くん。今何時?」

「おはよう、美羽。今は十時だな。腹は減ってるか?」

「うん、おなかすいた。でも、もうこんな時間だし、お昼と纏めて食べたいな」

「分かった。なら美羽をもっと堪能しようかな」

「ひゃっ!?」


 美羽が今からご飯を食べたいというなら放したが、昼と纏めるというのなら遠慮はしない。

 細く白い腕を掴み、強引に腕の中へと入れる。

 美羽が素っ頓狂な声を上げて、目を白黒させた。


「ど、どうしたの?」

「昨日言ってたみたいに、今日は予定がないからゆっくりしようかなって。後は、可愛い彼女のおねだりに応える為かな」

「もしかして、寝ぼけて何か言ってたの!?」


 美羽が目を見開き、驚愕を露わにする。

 一度起きた際の出来事は、やはり美羽の記憶にないようだ。

 折角なので、美羽に慌ててもらおうと唇の端を吊り上げる。


「言ってたな。でも、内容は秘密だ」

「え!? お願い、言って!」

「残念だが断る。変な事は言ってないから大丈夫だ。ほら、よしよし」

「うぅ……。でも……。ふにゃぁ……」


 納得のいっていなさそうな美羽の頬を撫でると、美羽は最初抵抗していたが、すぐに顔を蕩けさせた。

 そのまま落ち着いてもらおうと、猫のように喉を鳴らし始めた美羽を撫で続けるのだった。

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