第149話 慣れる為に

 リビングで美羽を堪能し、それ以降は特に何事もなく深夜になった。

 美羽はというと今は膝に乗る気分ではないらしく、ベッドで横になっている。


「美羽、もうそろそろ寝ようか」

「はぁい」


 僅かに眠気が襲ってきているのか、美羽が少し舌足らずな声で答えた。

 悠斗の言葉に大人しく従い、歯磨き等の準備を終える。

 いよいよ就寝という所で、客間へ案内しようとした悠斗の服の裾を美羽が引っ張った。


「ね、悠くん。一緒に寝ない?」


 悠斗を見上げるはしばみ色の瞳は期待に揺れており、雪のような頬は僅かに赤く色付いている。

 駄目だ。とつい言おうとして、駄目な理由が無くなっている事に気が付いた。

 ただ、恋人と同じ布団で寝るのだから、それなりに覚悟してもらわなければならない。


「いいのか? 多分、いろいろ触るぞ?」

「いいよ。悠くんならどこを触っても大丈夫だからね」


 分かっているのかいないのか、美羽が全幅の信頼を込めた瞳で悠斗を見つめた。

 恋人に「どこを触ってもいい」と言われて興奮しない男などいない。

 心臓が壊れそうな程に脈打ち始め、悠斗の頬へと熱を送る。


(ホント、俺が手を出したらどうすんだか……)


 まだ恋人になって数日しか経っていない。付き合う前から距離感が近かったとはいえ、いくらなんでもここで手を出すのは性急過ぎる。

 しかし、美羽ならば受け入れてくれるのではないかとも思うのだ。

 良心と欲望の狭間で心が揺れ、最後の確認の為に美羽の頬へと手を伸ばす。


「寝る前にこんな事をするんだぞ?」

「これくらい何ともないよ。というか、撫でられるのが気持ち良いって知ってるでしょ?」

「……なら、これはどうだ?」

「ひうっ!?」


 頬をなぞっても美羽は全く動じず、ならばと髪に隠れた耳に触れれば、小さな体がびくりと震えた。

 やはりここは弱いのだなと小さく笑みつつ、耳たぶをすりすりと擦る。


「ん……。ぁ……。そこは……。だめ、ぇ……」

「……」

「ゆ、くん……。だめ……。だめだよ……。や、ぁ……」


 身を捩り、美羽が妙に艶めかしい声でくすぐったさを訴えた。

 それでも耳を弄り続けると、美羽が潤んだ瞳でもの言いたげに悠斗を見上げる。

 女を強く感じさせる姿に心臓が暴れ出したが、必死に押さえつけて表情を取り繕う。


「という訳で、こういう事をするかもな。それでもいいのか?」


 耳から手を放し、息も絶え絶えになっている美羽へと問い掛けた。

 本当の意味での手を出すとは違っているものの、耳が弱点な美羽にとっては良い脅しになるだろう。

 しかし美羽は頬を真っ赤にしつつも、大きく頷く。


「さっきは準備が出来てなかったから驚いただけ! もう大丈夫だよ!」


 散々弄られて大変だったはずなのに、それでも美羽は強がる。

 どうしても悠斗と一緒に寝たいのだというのが伝わってきて、仕方ないなと溜息を零した。


「分かった、じゃあ一緒に寝ようか。それと、さっきはやり過ぎてごめんな」

「全然いいよ。悠くんがやりたいならやっていいからね」

「まあ、気が向いたらな」


 あんな態度を毎回取られては、悠斗の理性は簡単に崩壊してしまう。

 過敏に反応していたにも関わらず、あっさりと悠斗へ身を委ねる美羽へ苦笑を落とした。

 耳かきだけでなく、脅しで触れるのも注意しておこうと思いつつ自室に戻る。


「ほら、おいで」

「おじゃまします」


 先に布団に入って手招きすると、美羽がとろりと蕩けた笑顔を浮かべて潜り込んできた。

 すぐに悠斗の胸へと身を寄せ、安堵の溜息を吐き出す。


「落ち着く……」

「それなら良かった。寝る為に布団に入ったんだからな」


 美羽とは反対に、悠斗の胸は忙しい事になっている。

 しかし、美羽が落ち着いてくれたのならそれでいい。

 淡い栗色の髪を梳くように撫でると、華奢な体が悠斗に擦り寄った。

 そのまま寝てもらいたかったのだが、美羽がふと顔を上げる。


「悠くんの心臓、凄い事になってるよ? 寝れない?」

「……言うなよ。こんなに密着したら、緊張するに決まってるだろ」


 どうやら悠斗の胸に顔を埋めていたせいで、心臓の鼓動が伝わってしまったらしい。

 いくら普段から美羽が膝に乗って密着しているとはいえ、恋人と二人きりで寝るこの状況に緊張しない方がおかしいのだ。

 僅かに唇を尖らせながら呟くと、美羽が柔らかく目を細める。


「そういえば、正月も悠くんは寝れなかったね」

「そうだな。ちょっと状況は違うけど、今日も寝れる気がしないな」


 美羽とこうして一緒に寝るのは二回目だ。当然ながら慣れるはずがなく、眠気はどこかに吹き飛んでしまった。

 美羽のせいではないので、気に病まないで欲しいという気持ちを込めて頭を撫で続ける。

 すると何を思ったのか、幼げではあるが整った顔が悠斗へと近付いてきた。


「意識してもらえるのは嬉しいけど、こういう時はリラックスして欲しいな」

「そうは言うが、簡単に出来たら苦労しないって」

「なら、慣れるまで私を触っていいよ。慣れたら一緒に寝るのが簡単になるでしょ?」


 慈しむような笑みが、悠斗へと真っ直ぐに向けられる。

 おそらくだが、沢山美羽に触れる事で安心感を得て欲しいのだろう。

 悠斗への思いやりがひたすらに込められた言葉に、暴れていた心臓が少しだけ大人しくなった。


「触れるだけじゃない。匂いを嗅ぐかもしれないぞ?」

「いいよ。いくらでも嗅いでね」

「……分かった。じゃあ、遠慮なく」


 互いの呼吸音すら聞こえる距離で、普段撫でる髪や頬だけでなく、真っ白な首や長い睫毛にも触れる。


「ん……。くすぐったいけど、気持ち良いよ」


 耳に触らなければある程度は大丈夫なようで、美羽が甘く蕩けた笑顔になった。

 触れるのに満足し、今度は美羽を思いきり抱き締める。

 美しい髪に顔を寄せて息を吸い込むと、ミルクのような甘い匂いで肺が満たされた。


「ふふ。ちゃんと私を覚えてね?」

「とっくに覚えてるっての。まあでも、最高だな」


 そもそも、このベッドには美羽の匂いが染みついているので、覚える必要などない

 こうしているのは、単に美羽とくっつきたいだけだ。

 細い体つきも含めて美羽の存在を感じていると、少しずつ眠気が襲ってきた。

 

(まだ、寝たくないな……)


 あれほど慣れないと思っていたにも関わらず、今は離れたくないと思えるほどに心臓が落ち着いている。

 すぐに寝てしまうのが惜しくて、必死に美羽を撫で続けた。


「眠いなら、ねよ? 明日もあるんだもん。焦らなくていいよ」


 悠斗の手つきと心臓の音から寝そうなのを判断したのか、眠りに誘うような小さな声が耳に届く。

 美羽の言う通り、明日は特に予定はないので一日のんびり出来る。

 ならば、こうして必死に起きる必要はないはずだと思い直した。


「……明日もこうしていたいな」

「なら、起きてもずっとくっついていようね」

「…………だな」


 美羽の言葉に完全に枷が外れ、眠気に身を委ねる。

 愛しい恋人を抱きながら寝られるのは最高の贅沢だなと思いつつ、眠りに就くのだった。

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