第136話 想いを繋げて
美羽と一緒に来たのは、悠斗が覗きを行った校舎裏だ。
当然ながら立場は変わっているし、視界の端で多くの人の頭が見える。
校舎の角から覗いているのが丸分かりな事に、苦い笑みを零した。
(俺もやったし、気持ちは分かるけどさ)
やはり、覗かれているというのはいい気分にならない。
そして緊張も凄まじく、心臓の鼓動が早鐘のように鳴っている。
告白する立場になって、改めて哲也や紬の心の強さが理解出来た。
けれど、悠斗は前に進むと決めたのだ。
気合を入れ直し、悠斗から少し距離を取って佇んでいる美羽を見つめる。
(綺麗だな……)
放課後になってすぐ美羽の教室に行ったので、空は真っ赤な夕焼けだ。
そういえば、最初に美羽を見たのも夕方のランニング途中だった。
淡い栗色の髪が夕焼けに照らされて、見惚れる程の美しい金色に輝く。
言葉が出ない程の素晴らしい光景に圧倒され、告白の為にこの場に来た事すら忘れて息を呑んだ。
「それで、ここに来た用事は何かな?」
悠斗が何も言い出さないので心配になったのか、美羽が助け舟を出してくれた。
声色は悠斗の心を包み込むように穏やかであり、その奥には悠斗を気遣う気持ちが込められている。
怖気づいた訳ではないが、美羽はいつも悠斗を支えてくれていた。
こんな時ですら力になってくれる少女が頼もしく思え、悠斗の体から僅かに緊張が抜ける。
「まずはバレンタインデーのチョコレートだけど、本当にありがとう」
「どういたしまして。凄く喜んでくれて、私こそありがとうだよ」
以前もきちんと伝えた感謝を再び口にすれば、美羽が嬉しそうに表情を緩めた。
まだまだ伝えたい事があるのだと、ゆっくりと想いを口にしていく。
「それだけじゃないんだ。美羽に必要とされるのが嬉しかった。こんな俺でも傍に居て良いと、態度や言葉で示してくれて嬉しかった。本当に、本当にありがとう」
悠斗に何もないのが分かっても、それでも美羽は傍に居てくれた。
醜い過去を、情けない本心を知っても、美羽は受け入れてくれた。
ありったけの信頼を、溢れんばかりの愛情を向けてくれたお陰で、悠斗の心は一年前と比べ物にならない程に軽くなったのだ。
その結果、こうして大勢に見られていても、想いを伝える事が出来るようになった。
しかし、悠斗の心の奥底には未だに暗く卑屈な考えが
「ただ、一つだけ謝らせてくれ。勉強は別として、俺が美羽の隣に立つのに相応しいとまだ思えないんだ。結局、自信なんてつかなかったんだよ。……約束を破ってごめん」
非難の視線が怖いのではない。過去に引っ張られている訳でもない。しかし、悠斗自身が認められないのだ。
こうして大胆な行動をしても考えを変えられなかったのだから、これから先も棘として悠斗の心に刺さり続けるのだろう。
嘘偽りのない気持ちを口にして頭を下げると、幼げではあるが綺麗な顔が曇った。
「なら、こんな風に無理しなくても――」
「でもな。それでも、自分を信じてみようと思うんだ。……何もない空っぽの俺じゃなくて、美羽に想われている俺を、まずは信じてみようと思う」
悠斗を
ずっと待つと言ってくれた程に、美羽は悠斗を想ってくれているのだ。
その愛情に相応しくないからと言い訳をして逃げ続けるのは、美羽を
だからこそ自信などなくとも、自分自身を信じたいと思う。
ようやく一歩踏み出せた事で心が僅かに軽くなり、悠斗の唇が弧を描く。
「そんな俺のたった一つ誇れるものは、誰よりも美羽を想ってる事だ。それだけは誰にも、絶対に負けない。これから先もそれは同じだ。そして、美羽の隣に居る努力をし続けるよ」
こんな悠斗でも、美羽を想う気持ちは誰よりも持っているつもりだ。
少しだけ申し訳ないが、丈一郎の孫への愛情に負けないくらい美羽を想っていると、これだけは自信を持って言える。
胸を張り、直哉にも告げた決意を美羽の前で言葉にすると、澄んだ瞳が嬉しそうに細まった。
「それだけで十分だよ。勉強とか、運動とか、顔とか、そんなもので悠くんの価値は決まらない。悠くんが忘れそうになったら、何度でも言うからね」
「ありがとう。そんな美羽が側に居るだけで、俺は迷わず前に進める。……多分、一人になったらまた元の俺に戻るだろうな」
男として情けない事ではあるが、悠斗は一人で立てる程強くない。
そして今になっても、自分自身の為に頑張ろうとは思えない。
にも関わらずこうして前に進めているのは、美羽が傍に居てくれたからだ。
こんな時ですら恰好付けられないのかと苦笑すれば、美羽がくすくすと軽やかに笑う。
「そうだね。悠くんは臆病で、強くないから」
「……そんなにハッキリ言われるとは思わなかったな」
確かにその通りではあるし、美羽に
非難されたようにも思えるが、美羽の口調は責めるようなものではなく穏やかなものだったので、単にからかったのだろう。
それでも僅かに唇を尖らせると、美羽が「でも」と鈴を転がすような声を発した。
「それでいいんだよ。私だって強くなんかない。悠くんに頼って、甘えてるんだから。悠くんは、嫌だった?」
「嫌なもんか。嬉しかったよ。もっと頼って欲しいって、甘えて欲しいって思ったくらいだ」
「ふふ、私も同じだよ。だから、私達はこれでいいんだと思う」
「……そうだな」
頼って、頼られて。どんな時も一方的ではない関係がいいのだと告げられ、悠斗の顔に笑みが浮かぶ。
これからも美羽には情けない姿を見せるはずだ。だが、頼りっぱなしにはならないと固く誓う。
その為に、ここは美羽に背中を押されるのではなく、悠斗の力だけで踏み出したい。
ゆっくりと息を吐き出し、瞼を閉じる。随分と回り道をしてしまったが、ここから始めよう。
大きく息を吸い込んで目を開けると、柔らかく目を細めた少女がジッと待っていた。
「ずっと待たせていてすまなかった。チョコレートをもらっておいて今更だけど――」
口の中が乾く。視界がぐらぐらと揺れ、自分がどんな表情をしているか分からなくなる。
美羽の気持ちを知っているはずなのに、想いを伝えるのがこれほど勇気がいるものだと思わなかった。
けれど、哲也や紬はこれ以上に心が辛かったはずなのだ。
ならばこの為に頑張ってきた悠斗も乗り越えなければならないと、必死に口を動かす。
「東雲美羽さん。好きです、俺と付き合ってくれませんか? そして改めて、俺の傍にずっと居てくれませんか?」
決意を証明する為に大きな声を出した事で、覗いていた人達にも聞こえたのだろう。黄色い悲鳴が耳に届いた。
しかし悠斗の意識の殆どは周囲へ向かっておらず、目の前の愛しい女性へと向けられている。
震える手に持っている綺麗にラッピングされた箱を差し出すと、美羽が悠斗への距離を僅かに縮めた。
普段であれば吸い込まれそうな程に澄んだ瞳が、今は潤んでいるのが見える。
「ずっと逃げてばかりで、どこにも行けずに公園で
溢れんばかりの嬉しさを込めた笑顔を浮かべ、美羽が箱を受け取った。
そのまま箱を胸へと持っていき、絶対に離さないとばかりに抱き締める。
興奮からか淡く色付いた頬に、夕日を浴びて煌めく雫が流れた。
「えへへ。ずっと待つって言ったけど、言葉にされるのは嬉しいねぇ……」
これだけ嬉しそうに笑ってくれるのなら、もっと早くに伝えておけば良かったかもしれない。
とはいえ、昔の悠斗には絶対に出来なかったのだが。
「本当に悪かった。でも、待たせるのは終わりだ」
「うん。それに恋人になったんだから、こういう事も遠慮なく出来るね」
何はともあれようやく言葉に出来たと安堵に肩を落とせば、美羽が胸に顔を埋めてくる。
立ったまま抱き締めたせいで、美羽の頭が
感情のままに行動してくれた、このあまりに小さな少女が愛しく、思いきり抱き締める。
「……ふふ、幸せだよ。悠くん」
「俺もだ。ようやく何の理由もなしに、美羽を抱き締められるからな」
「なら、もっとしてくれる?」
「……悪い。そういう訳にもいかなさそうだ」
悠斗とて出来る事ならずっと美羽と抱き合っていたい。
けれど覗き見している人達のざわつきがあまりに大き過ぎて、強引に頭を冷やされた。
とんとんと小さな背を叩いて離れるように促すが、嫌がる子供のように美羽が顔を擦り付けてくる。
「なんで? 折角こうしていられるのに……」
「いい加減外野がうるさすぎるからな。こうしているのもバッチリ見られてるぞ」
「あ!? そ、そうだった!」
悠斗の言葉に美羽が弾かれたように距離を取った。
どうやら嬉し過ぎて、覗かれている事をすっかり忘れていたらしい。
悠斗も途中まで全く気にしていなかったのでお互い様なのだが、これ以上触れ合うのは流石に控えなければ。
望んで野次馬を集めた訳ではないものの、この騒動の首謀者として先生等に怒られるのは避けたい。
愛らしくもあり綺麗でもある顔は、頬だけでなく耳まで真っ赤になっている。
「あ、う、ど、どうしよう……」
「……明日頑張ればいいんじゃないか?」
後は帰るだけだし、恋人になったばかりなのだ。例え女子であろうとも美羽を渡すつもりはない。
明日には相当話題になっているはずだが、ここまで来てしまえば何をやっても口留めは出来ないだろう。
思考を放棄する発言に美羽も諦めたのか、疲れたような笑みを浮かべた。
「……そうしようかな」
「という訳で、ホラ、帰るぞ」
何度もしているように、美羽へと手を差し出す。
学校で美羽と一緒に居る為に頑張ったのだから、遠慮はなしだ。
美羽も慣れきっているからか、すぐにご機嫌な笑みになる。
「うん! 正式に恋人になったんだし、こうしないとね!」
「そうだな」
数えるくらいしかやった事のない恋人繋ぎに、心臓がどくりと跳ねた。
これからはこの繋ぎ方が当たり前になるのだと思うだけで、悠斗の胸に歓喜が沸き上がってくる。
しっかりと指を絡ませて野次馬の方に歩いていくと、想像以上の人だかりが出来ていた。
すぐに逃げるかと思ったが、人の波が割れて数々の視線が悠斗達を射抜く。
「「……」」
驚きや興味の視線を向けられるだけでなく、鋭く睨まれもしたが少しも気にならない。
しかし、その中に悠斗へ想いを伝えてくれた少女が居て、全く乱れなかった心がちくりと痛んだ。
それでも紬を含む無言で見つめ続ける人達を悠然と通り過ぎ、自転車置き場に向かう。
自転車を取り出したまではいいが、大き過ぎる荷物のせいで隣に並んでも手が繋げなくなった。
離れた手を名残惜しそうに美羽が見つめ、顔を曇らせる。
「……悠くん、自転車だもんね」
「ごめん。でも、お詫びとして良い事を思いついた」
ニヤリと悪い笑みを向けると、はしばみ色の瞳が輝いた。
「何をしてくれるの!?」
「流石にあいつらも帰り道までは付いて来ないだろうし、通学路から離れて人が居なくなったら二人乗りして帰ろうぜ」
「……二人乗りは校則違反だよ?」
悠斗の行動を咎めるような言葉とは裏腹に、美羽は今からでも二人乗りしそうな程の楽しげな笑みを浮かべている。
一緒に帰れるのが嬉しいという気持ちがこれでもかと伝わってきて、悠斗の頬も緩んだ。
「バレなきゃセーフだ。……まあ、人通りが多い所は歩きになるし、時間も掛かるだろうな。それでもやるか?」
「もちろんだよ! 一緒に帰ろう!」
「おう!」
優等生の美羽と、教室の端でジッとしていた悠斗。
偶にはこれくらいの校則違反は許されるはずだ。
可愛らしさを詰め込んだ笑顔を浮かべる美羽と学校を出て人気のない道へ行き、誰も居ないのを確認する。
「さあ後ろに乗ってくれ」
「うん。……悠くんの背中はおっきいねぇ」
細い腕が悠斗の腰に回され、思ったよりも強い力で抱き着かれた。
残念ながら厚着をしているせいで美羽の感触は分からないが、確かな温もりは伝わってくる。
感慨深そうに呟いた美羽が可愛くて笑みが零れ、勢いよくペダルを踏み込んだ。
「よし、行くぞ!」
「ひゃあー! 早いねー!」
背中からの楽しそうな声に元気をもらい、漕ぐ力を強める。
これから先も続く美羽との生活に胸を弾ませながら、同じ家へと帰るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます