第132話 恋人とは

「ねえ東雲さん。本当に悠斗でいいの?」


 下着売り場に着いて早々に、茉莉が尋ねてきた。

 美羽の予想通り、話をする為に悠斗を引き離したらしい。

 端正な顔には、不満がありありと表れている。


「うん。私は悠くんがいい。悠くん以外考えられない」

「でも悠斗って後ろ向きでうじうじしてるし、さっきも奢ってなかったし、彼氏としてどうなの?」

「私は悠くんが後ろ向きでも気にしないし、さっきはお互いに納得の上でお金を出したって言ったよね。それに何の問題があるの?」


 美羽とて悠斗に救ってもらうまで、内心では後ろ向きだったのだ。

 悩んでいるからといって嫌いにはならないし、むしろ支えてあげたいとすら思う。

 それに、彼女だから奢ってもらうのが当たり前という考えはしたくない。

 もちろんお金を出してくれるのは嬉しいが、美羽は悠斗を利用したいのではなく、共に歩いていきたいのだから。

 何もおかしな事などないと首を傾げれば、茉莉がむっと唇を尖らせた。


「でも、彼氏って彼女を支えるものでしょ? もっといい人が居ると思うんだけどなぁ……」

「……ねえ篠崎さん。あなたの理想の彼氏ってどんな人なの?」


 悠斗が好きだと明言しているにも関わらず美羽の目の前で貶めた事に、怒りを通り越して感心する。

 そして先程の発言に、茉莉がどんな彼氏を求めているのか気になった。

 感情を抑えつつ尋ねると、茉莉が華やいだ笑顔で語りだす。


「私を支えてくれて、デートの時はお金を出してくれて、いつも格好良い人かな。ね、直哉でしょ?」

「全てに平原くんが当てはまるかなんて私には分からないよ。でも、それが彼氏の条件なんだ……」


 直哉がどれほど素晴らしいかは脇に置いて、茉莉の理想の彼氏像は美羽の心に少しも響かなかった。

 そもそも、茉莉の発言には直哉への思いやりが欠けている気がする。

 それどころか、支えてもらって当然という意思すら伝わってきた。


「平原くんだって、弱ってる時はあるでしょ? そういう時はどうするの?」


 悠斗や美羽とて弱る時はあるのだから、直哉にもあるはずだ。もちろん、茉莉にも。

 普通に考えれば美羽の発言は当たり前のはずなのに、茉莉は不快そうに顔を顰めた。


「気が滅入るから止めて欲しいって言ってるよ」

「励ましたりしないの?」

「え? そういうのは直哉が自分でやるでしょ。何で私が励まさないといけないの?」

「そうなんだ……」


 彼氏が辛いときは手を出さない。と宣言されて、あまりの考えの違いに絶句する。

 そんな事をして申し訳なくならないのか。それは彼氏を都合よく利用しているのではないか。

 数々の疑問が浮かび上がり、あまりにも酷い可能性を思いついた。

 茉莉の彼氏像からするとほぼ間違いないが、それでも正解じゃなくて欲しいと願いながら、おずおずと口を開く。


「じゃあ、篠崎さんが辛い時は自分で立ち直るんだよね?」

「そんなの直哉に慰めてもらうに決まってるでしょ? さっきも言ったけど、その為の彼氏なんだからね」

「……自分は慰めてもらうのに、相手を慰めないのは身勝手じゃないの?」


 無茶苦茶な茉莉の考えに、抑え込んでいた怒りが噴き出した。

 直哉の事は良く知らないが、これではあまりにも直哉が不憫だ。

 会話を続ける為に必死に感情を押し込めつつ質問すると、茉莉は何も気にしていなさそうな呑気な表情で考えだす。


「そうかなぁ。でも私と遊ぶ男子ってそういうのを求めてないからねぇ」

「待って! 平原くんがいるのに、他の男の人と遊んでるの!?」


 当然のように別の男性の話が出てきて、驚きに目を見開いた。

 悠斗の話であれば、中学校の時から茉莉は直哉に一途だったはずだ。

 情報の食い違いに思わず問い詰めると、茉莉はへらへらと軽く笑った。


「ただの男友達だよぉ。直哉は部活で遅くなる事も多いからね。そんな直哉を待つ時に遊ぶ人達だよ。アプローチもちゃんと断ってるって」

「それ、平原くんに伝えてるの?」

「伝えてないよ。私が誰と遊ぼうと私の勝手でしょ? それを彼氏に否定する権利はないと思うけど」

「……それは、そうだけど」


 部活を必死に頑張っている時に別の男と遊んでいるなど、彼氏からすればいい気分にはならない。

 それに他の男と遊んだ終わりに迎えに行くなど、許されない気がする。

 とはいえ茉莉の言う事も一理あるので、頭ごなしに否定も出来ないのだが。

 代わりに、茉莉が恋人として何をしているのか気になった。


「じゃあ篠崎さんは、平原くんに何をしてるの?」

「部活終わりに迎えに行ったり、外でデートしたり。もちろん、お家デートもしてるよ」


 茉莉の発言の内容は一般的なカップルがやっている事なので、何もおかしくはない。

 しかしよくよく考えると、直哉と会ったのは家の前でだけだ。

 いくら会うタイミングがそこしかないとはいえ、もしかすると部活終わりに茉莉を家へと毎日送っているのかもしれない。

 また、外でのデートは直哉が全て奢り、家でのデートは茉莉を必死に支えているのだろう。

 部活で疲れた彼氏を毎日家の前までついて来させ、デートでは当たり前のように負担を強いる。それは果たして彼氏と呼べるのだろうか。

 疑問がそのまま口から出そうになったが、ぐっと飲み込む。


「……因みに、平原くんを家に送ったり、何か買ったりしたの?」

「家に送るのは彼氏の役目でしょ。何で私がしないといけないの? あと誕生日プレゼントとかは送るけど、普段のデートが彼氏持ちなのは当たり前じゃん」

「……」


 美羽の予想が驚くほど正確に当たってしまい、ただの一言すらも言葉が出なかった。

 誰かを上から目線で評価したくはないが、これでは臣下に重税を強いる女王様だ。

 その生き方がどこで身に着いたのかは分からないが、それでも直哉が離れないという自信があるらしい。

 あるいは、もっと最悪な考えをしている可能性すらある。


「随分、自分に自信があるんだね」


 感情を抑えようとしたが、もう我慢出来ず皮肉を言ってしまった。

 茉莉の考えはあまりにも自分勝手過ぎる。

 美羽には真似出来ないし、したくもないと呆れきっていれば、茉莉が天真爛漫な笑顔になった。


「だって、皆が私を褒めるんだよ? 昔からそう。可愛いって、綺麗って言ってくれる。東雲さんだってそうなんじゃないの?」

「……そうだね」


 美羽とて容姿が良い自覚はあるし、今に至るまで散々褒められている。

 そういう所は似ているのだなと思ってしまい、嫌悪感が沸き上がってきた。

 しかし否定は出来ず同意を示せば、茉莉が同士を見つけたかのような満面の笑みになる。


「だよねぇ! 悩んでると皆が声を掛けてくれる! 欲しい物があれば彼氏じゃなくても買ってくれる! なら、彼氏はもっと私達を気に掛けるべきなんだよ!」

「……ああ、そう」


 この女性は絶対に分かり合えない人だと確信し、茉莉を知ろうとするのを辞めた。 

 昔の美羽は忙しく、恋愛をしている暇がなかった。もしかすると、何かが違えば男を食い物にする、こんな女になっていたのかもしれない。

 こういう女にならない為にも、反面教師として参考にしつつ、堂々と美羽の考えを伝える。


「私は運動や勉強が出来なくても、後ろ向きでも、悠くんが好きだよ。だから、他の人の方が良いだなんて二度と口にしないで」

「ふぅん、そうなんだ。勿体ないなぁ……」


 突き放すような口調をしても、茉莉は少しも動じなかった。

 呑気な顔で首を傾げているので、勿体ないと本気で思っているに違いない。

 偏見ではあるが、もし悠斗が茉莉と付き合っていたら大変な事になっていただろう。

 直哉には申し訳ないと思いつつも、ホッと胸を撫で下ろす。

 もうこの女性と関わりたくないと思って距離を取ろうとすると、茉莉がえらくご機嫌なテンションで近寄ってきた。


「ねえねえ。芦原はどんな面白い会話をしてくれるの?」

「別に何も。一緒に居ても話さない事だってあるよ」

「えー。そんなのつまんないじゃん。彼氏なんだから話題提供しないとー」

「……ねえ篠崎さん。いちいち私達のやり方にケチをつけないでくれる?」


 あまりにも無神経かつ無遠慮な女の発言で、美羽の胸に冷たい炎が灯る。

 もう笑顔を取り繕う気も起きず、これ以上余計な口を挟むなと告げれば、茉莉の顔に焦りが浮かんだ。


「ご、ごめんね! なら、折角だし直哉の話を聞いてよ!」


 いくら神経を逆撫でする女でも、地雷を踏み抜いた事くらいは分かったらしい。

 話題を変え、最近の直哉の愚痴を言いだす。


「さっきはあんな風に言ったけど、最近の直哉はあんまり話が面白くないし、一緒に居ても楽しくないんだよねぇ」

「へー」

「はぁ……。昔は違ったのになぁ。これなら――」


 美羽はどんな人の話にも真摯に耳を傾けるような聖人ではない。こんな女の話など聞くだけ時間の無駄だ。

 ひたすらに彼氏の愚痴を言い続ける誰かの言葉を流しつつ、店内を物色するのだった。

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