第131話 感謝と決別
「あそこには入れないな」
「違いない」
先程まで美羽と身を寄せ合いながら行動していたが、流石に女性の下着店には入れない。
直哉は本当の彼氏として入る権利があり、悠斗は美羽に「一緒に入る?」とからかわれたが、二人共遠慮した。
いくら一緒に居る女性に許されたとはいえ男が入っては他の客に迷惑だろうし、悠斗は茉莉に一瞬だけ睨まれたのだ。
おそらく、美羽と話したいが為に店へ入ったのだろう。
こちらも直哉と二人きりで話したかったので、この状況は有難い。
「本当に悠斗は変わったな。少し前とは見違えるくらいだよ」
何から話そうかと思っていると、直哉がぽつりと呟いた。
悠斗が逆立ちしても敵わないくらいに整った顔には、羨望と歓喜が混じった苦笑が浮かんでいる。
「変われたのは美羽が居てくれたからだ。情けなくてみっともない俺を、美羽は受け入れてくれたんだよ」
決して一人では今日のような事は出来なかった。美羽には感謝してもしきれない。
清々しい気持ちで想いを言葉にすれば、直哉が眩しいものを見るように目を細める。
「じゃあ変わった悠斗は、今日のお出掛けをどう感じたんだ?」
「そうだな……」
伝えたい事が多すぎて、気持ちの整理の為に目を閉じた。
けれど直哉と茉莉から決別する為にも、深呼吸をしてゆっくりと瞼を開く。
「俺は直哉のように顔が整ってないし、運動も出来ない。勉強は、まあ、頑張ってるけど今は脇に置いておく。多分、これから先も俺は直哉に敵わないんだろうな」
人はそう簡単に変われない。ましてや、運動や容姿なら尚更だ。
そして先程まで美羽と一緒にデートを楽しんでいたが、それでも直哉の茉莉への気配りは目に入る程だった。
さりげなく、しかし堂々と茉莉をリードする姿に、美少女と断言出来る茉莉とのお似合いさに、直哉との格の違いを改めて思い知る。
だが、悠斗の心にあるものは暗く重いものではなく、どこか爽やかなものだ。
だからこそ、悠斗は胸を張って直哉に笑みを向ける。
「でもいいんだ。直哉と俺は違う。それに、もう篠崎に対して何の感情も持ってない。今日直哉達と出掛けて、ちっぽけなものに悩んでいたんだなって思ったよ」
今まで隣の家から笑い声が聞こえてきただけで気持ちが沈んでいた。
顔を見る度に、会話をする度に、何も持っていない悠斗が惨めに思えた。
けれど今日、美羽の隣に立つ為にと直哉達と一緒に歩いていると、直哉や茉莉に対して何の劣等感も抱かなかった。
むしろ驚くくらいに心が凪いでおり、ひたすらに美羽とのデートを楽しめている。
更に、茉莉だけでなく周囲の目も全く気にならなかった。
「直哉に勝ったところで何の意味もない。だから俺は、俺なりに美羽の隣に居られる努力をする。それだけで良かったんだ」
大切なのは誰かと比べる事ではないし、他人を羨んでもどうしようもない。それを、ようやく気付けた。
そして容姿が普通で運動もいまいちな悠斗に出来るのは、誰よりも美羽を想い、努力し続ける事だ。
この気持ちは誰にも負けない自信がある。そして、美羽の隣を誰かに譲るつもりなど毛ほどもない。
だからこそ過去を振り切る為に、以前なら思い返す事すら苦痛だった気持ちを言葉へと乗せる。
「昔はな、直哉が目標だったんだ。バレーが出来て、勉強が出来て、顔も良い。非の打ち所がない直哉を。……篠崎の事を抜きにしても、直哉のようになりたかった」
昔を思い出しつつ口にしても胸は少しも痛まず、むしろ懐かしさすら覚えた。
悠斗の言葉に直哉は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに優しく目を細める。
「今は、どうなんだ?」
「今はもう違う。俺は――」
一度言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。
悠斗の決意を薄い笑顔で待っている、今まで見上げていた男へと改めて言葉を送る。
「俺は、お前を目指さない。俺の目標でいてくれてありがとう、直哉」
「……そうか。ならいいんだ」
直哉が泣きそうに顔を歪ませ、けれど笑みを形作った。
決別の言葉を送られたのに、その表情はどこか嬉しそうに見える。
「正直な事を言うと、今日悠斗と東雲さんを見て、俺は羨ましくなったよ」
「羨ましい? 直哉だって篠崎と付き合ってるだろうが」
馬鹿にされたとは思っていないが、直哉の発言には疑問を覚えた。
確かに悠斗と美羽は普通の距離感ではない。それでも直哉が羨む要素などないはずだ。
そう思ったのだが、直哉が持っている小さな紙袋を見て閃く。
「もしかして、今日だけじゃなくて、ずっと奢ってるのか?」
「ああ。こういうのは男の役目だって言われてな。それに俺が悩んでいたりすると『直哉はそんな人じゃない』って怒られるんだよ。……茉莉は俺に支えて欲しいみたいだ」
「なんだよ、それ。男は女にとって頼りがいのある人でなきゃ駄目だってか?」
多くの悩みを美羽に受け止めてもらった者として、そんな一方的な恋人関係は辛すぎる。
誰だって悩んだり苦しむ時はあり、強いままではいられないのだ。心が折れた時に支えてあげなければ、一番近い人ではないと思う。
悠斗は支えてもらう事が多いが、もちろん美羽が苦しい時は何をしてでも支えたい。
あまりにも酷い茉莉の考えに顔を顰めつつ尋ねると、直哉が沈痛な面持ちで頷いた。
「茉莉の中ではそうらしい。だから茉莉の前では理想の彼氏を演じてるけど、正直辛いな」
「俺が言うのも何だが、どうして付き合ってるんだよ」
そこまで辛いのなら、別れた方が気が楽になる。
茉莉を好きだった者として口にするのはどうかと思ったが、どうしても聞きたかった。
思わず口にすると、直哉が重い溜息を零して語りだす。
「中学生の頃、部活を引退してから付き合うっていう俺の我儘を聞いてくれたんだ。それに茉莉が周囲を牽制してて、もう関係が出来上がってるんだよ」
直哉達の高校生活を知りたいと思わなかったが、どうやら茉莉が既に誰も割り込めないようにしているようだ。
それだけでなく、おそらく茉莉の機嫌を損ねると、周囲から非難の言葉を浴びるのだろう。
今にも泣きそうに顔を歪ませつつ、直哉が言葉を続ける。
「馬鹿だよなぁ。中学校に入ってもてはやされて、その中でも一途に俺を想ってくれてるからって付き合ったらこの様だ。……悠斗の気持ちを踏みにじったのにな」
「俺の事は直哉が気にする必要はないだろ。というか、このままずっと高校生活を続けるつもりか?」
悠斗の恋が告白すら出来ずに終わったのを、直哉に怒るつもりはない。それは完全に八つ当たりなのだから。
ただ、今の直哉は周囲に人が居ても誰にも頼れないのだ。こんな生活を続けるのは苦痛ではないかと思う。少なくとも、悠斗であれば絶対に耐えられない。
そんな地獄でしかない環境を後二年も続けるのかと問うと、直哉がゆっくりと首を振る。
「いいや。最近、見栄を張るのも疲れてな。多分、近いうちに何とか別れると思う。もう顔とか、運動とか、勉強とか、そんなものでしか見られないのは嫌なんだ」
「でも、学校で一人になるかもしれないぞ?」
「構わない。一人でいる方が気楽だからな」
清々しさすら感じる笑みを直哉が浮かべた。
誰からも認められる直哉に憧れて駄目だった悠斗と、勝手に理想を押し付けられて一人になりたくなった直哉。
立場が変わったからか、あれだけ高い壁だった直哉が今では小さく思える。
馬鹿にするつもりはないので何を言おうかと考えていると、直哉に遠くを見るような視線を向けられた。
「それに、最後の心残りもなくなった。だから、いいんだ」
「心残り?」
中学時代に一途に直哉を思った茉莉や高校の環境だけでなく、直哉を縛り付ける何かがあったらしい。
疑問に思って問いかけると、直哉が力なく首を振った。
「気にしないでくれ。勝手に抱いた責任感ってやつだよ」
「……まあ、直哉がそう言うなら」
何も悠斗には分からなかったものの、直哉が納得しているならそれでいい。
こうして二人で会話するのは、悠斗だけでなく直哉にも得があったようなのだから。
深くは聞かずに頷くと、直哉が憑き物が落ちたかのような笑みを浮かべた。
「それにしても、本当に悠斗が羨ましいよ。彼女に弱いところを見せても嫌がられない。それどころか、受け入れられるのなんて最高じゃないか」
「否定はしないな」
中学校は散々だったが、今の悠斗は幸せだと断言出来る。
自信満々に頷けば、直哉が優しく肩を叩いた。
「俺は応援してるよ。幸せになってくれ」
「ありがとな。こうして四人で遊ぶ事はもうないだろうけど、どんな形であっても上手く行く事を願ってるよ」
もう後ろは振り向かない。直哉には悪いが、悠斗にもやる事がある。
決別を済ませ、けれど暖かい空気の中、男二人で笑い合うのだった。
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