第130話 一方的ではない関係

「はぁ……」


 日曜日の昼となり、いよいよ過去を完全に振り払う時が来た。

 前回茉莉と話した時は意外とすんなり会話出来たが、今回はどうなるか分からない。

 玄関前で重い溜息をついた悠斗を、靴を履き終えた美羽が心配そうに見上げる。


「大丈夫?」

「ああ。もう行くって決めたんだ。心配すんなって」


 外に出れば茉莉達とのお出掛けなのだ。今更「やっぱり止めた」などと言えはしない。

 恐怖はあるがそれでも強がって笑みを向けると、美羽が表情を柔らげた。


「なら、そんな悠くんにご褒美だよ。靴を履いて座って?」

「ご褒美ねぇ……。分かった、これでいいか?」


 どちらかと言うと悠斗に付き合ってくれる美羽にご褒美をあげるべきなのだが、わざわざ拒否する理由はない。

 それに、すぐに出掛けるので大仰おおぎょうな事はしないだろう。

 取り敢えず言う通りにして玄関に座り込むと、一瞬で視界が真っ暗になった。


「ぎゅー、だよ」


 ミルクのような甘い匂いが強くなり、細いものが頭に巻き付いてくる。

 美羽の言葉と頭を撫でられる感触で、抱き締められたのだと気が付いた。

 普段なら緊張して身を固くするのだが、僅かなふくらみや優しい手つきに美羽の存在を強く感じて安心し、少しずつ体の力が抜けていく。


「私が傍にいるよ。一緒だからね」

「……ありがとう。美羽」


 決して一人で頑張るのではないと、悠斗の味方だと示す美羽の態度に、少しだけ後ろ向きになっていた心に灯が灯った。

 過去と決別して終わりではないのだ。この暖かく優しい少女と前へ進んで行く為に、茉莉と直哉を乗り越えると決意したのだから。

 一度だけ悠斗からも抱きしめて体を離し、名残惜しそうな表情の美羽を優しく撫でた。


「もう大丈夫だ。行こうか」

「うん!」


 玄関を出て、戸締りをした後に美羽へと手を伸ばす。

 小さな手と繋ぎ合わさり、温もりが伝わってきた。





「……本当に付き合ってるんだ」


 家の近くのショッピングモールで特に当てもなくぶらついていると、茉莉がぽつりと呟いた。

 驚きに少しだけ見開かれた目は、悠斗と美羽が繋いだ手へと向けられている。


「そんなにおかしな事か? 恋人ならこういう繋ぎ方をするのは普通だろ」


 今までは手を繋いでいても、指を絡ませたりはしなかった。

 だが、茉莉へと見せつける為に今日は恋人繋ぎにしている。

 正直なところ内心では緊張しており、心臓の鼓動も早い。

 それでも動揺を見せては駄目だと強がれば、美羽もはしばみ色の瞳に挑戦的な色を僅かに込めて茉莉を見た。

 

「そうだよねぇ。篠崎さんだってしてるでしょ?」

「それは、そうだけど」

「なら私達だってしてもいいよね?」

「……うん」


 茉莉としては、頼りない悠斗と美羽が付き合うのが未だに納得出来ていないのだろう。

 それに、クリスマスに出会った際は普通に手を繋ぎながらも悠斗が否定し、美羽が触れるなと怒ったので無理はない。

 釈然しゃくぜんとしない表情の茉莉を放り出して、美羽と身を寄せ合いながらあちこちの店を見て回る。


「そうだ。折角だし、悠くんのマフラーを買い替えない?」

「かなりボロボロになってるからなぁ。それもいいな」


 悠斗が普段使用しているマフラーは、随分昔に買ったものだ。

 なので年季が入っており、今日は美羽と並ぶのにふさわしい恰好をしなければと、あえて置いてきている。

 しかし、今のうちに買っておいてもいいかもしれない。

 提案に乗ると、美羽がくるりと振り返って茉莉へと微笑を向けた。


「そういう訳で私たちはここに入るけど、篠崎さん達はどうする?」

「私達も入るよ。行こう、直哉」

「ああ、分かったよ」


 店に入ってすぐに美羽と防寒着を物色し始めたが、もうすぐ暖かくなるので品揃えが少ない。

 だからなのか、美羽がへにょりと眉を下げた。


「あんまり良いのがないね」

「仕方ないさ。でも薄手の物は売ってるんだし、春にでも使うよ」


 四月から一気に暑くはならず、寒い日も多いはずだ。

 薄手の物ならばまだ使えるので、しょげる必要はない。

 美羽を慰めようと頭を軽く撫でるが、端正な顔は曇ったままだ。


「でも、あのマフラーの代わりにはならないよ……」

「なら秋にでも一緒に買いに行こうか」


 年季が入っているものの、悠斗が使用しているマフラーはまだ使える。

 なので今は薄手の物を買い、今のマフラーは今年の秋に変えればいい。

 かなり先の事ではあるが提案すると、美羽の顔にようやく元気が戻った。


「うん! 約束だよ!」

「おう」

 

 美羽の弾んだ声に笑みを落とし、物色を再開する。

 悠斗の為に美羽が熱心に選んでくれているが、悠斗だけが買うのも悪い気がしてきた。

 とはいえ美羽のマフラーは綺麗だし、薄手の物しかないので買わない気がする。


「折角だし、美羽も買うか? あんまり使う機会がないかもしれないけど、お揃いって事で」

「いいよ! じゃあ悠くんのは私が選ぶから、私のは悠くんが選んでね!」

「任せろ。とっておきの物を選ぶよ」


 念の為に尋ねると、美羽がにこにこと満面の笑みで賛成してくれたので、期待を裏切らないようにと美羽のマフラーを選び始める。

 夢中になってああでもないこうでもないと言い合っていると、直哉が苦笑しつつ眺めているのが視界に入った。


「ああいうのもいいな。折角だし、俺らも何か買うか?」

「……そうだね、何を買おうかな。直哉、選んでよ」

「分かったよ。茉莉に合うのは何かな……」


 お互いに少し離れつつ、美羽に合うのは何かと必死に考える。

 しばらく悩んでいたが、真っ白のシンプルなマフラーを選んだ。

 美羽に試着してもらうと、淡い栗色の髪と合わさって清楚な雰囲気を醸し出している。


「うん、ばっちりだな」

「じゃあこれにするね。悠くんも、はい!」


 美羽が選んだものは黒のマフラーで、ちょうど悠斗が選んだものと正反対だ。

 おそらく、悠斗の普段着から好みそうな色を選んだのだろう。確かに派手な色より、落ち着いた色の方が嬉しい。

 今度は悠斗が美羽に見せると、美しい顔が嬉しそうに綻んだ。


「うん、似合ってる。かっこいいよ」

「はいはい。美羽も可愛いぞ」


 美羽は冗談で悠斗を褒めない。なので軽く受け流しはしたが、嬉しさで僅かに頬が熱を持つ。

 お礼に美羽を褒めると、白い頬がさっと朱に染まった。


「えへへ、ありがと」

「それじゃあ買いに行くか」

「うん!」


 再び美羽と手を繋ぎ、レジへとマフラーを持っていく。

 美羽の分も払おうと思ったのだが、お金を出そうとすると美羽が頬を膨らませた。


「だめ。悠くんの分は私が出すの」

「分かったよ。それじゃあ半分ずつな」


 決して奢られるだけではないという美羽の優しさが有難い。

 嬉しさに頭を撫でたくなったが我慢し、美羽と一緒にマフラーの代金を払う。


「ふふ、ありがとうございました。お幸せに」

「ありがとうございます!」

「……どうも」


 どうやら悠斗達が物色しているのを店員に見られていたらしく、生暖かい視線と言葉をいただいた。

 美羽は満面の笑みで返事したが悠斗はどうにも気恥ずかしく、短く応えて店を後にする。

 ただ、隣の少女の頬は蕩けたようにゆるゆるだ。


「店員さんに応援されちゃったね」

「ああいうのって本当にあるんだな」


 仲睦まじいカップルを応援する店員など、漫画や小説の中だけだと思っていた。

 仮にあったとしても、悠斗には縁のない話だと自分の事だと考えすらしなかったのだ。

 素っ気ない対応をしたが嬉しかったのは確かなので、もっときちんと応えておけば良かったと思う。

 苦笑しつつ思い返していると、茉莉達も店から出てきた。

 小さな袋を持っているので、何か買ったのだろう。

 美羽と同じくらい整った顔は、今は不満そうな表情になっている。


「ねえ芦原。デートなんだから男が奢るべきなんじゃないの?」


 レジでの悠斗と美羽のやりとりが不満のようで、じとりとした目と合わせて露骨に悠斗を非難してきた。

 これまでの悠斗なら気にしたかもしれないが、今の茉莉の言葉は少しも悠斗の心を乱さない。


「俺達はお互いに納得の上でこうしてるんだ。カップルの在り方は一つじゃないだろ?」

「そうそう。私達はお互いにプレゼントしたの。これが私達の在り方だよ」


 決して一方的に施しを受け続けず、お互いにお互いを想う。

 分かってはいたが、美羽も同じように口にしてくれた事が嬉しい。

 美羽と共に自信満々に告げると、茉莉がぐっと息を詰まらせた。


「そ、そうなんだ……」

「……羨ましいな」


 ぽつりと直哉が呟いた言葉は、悠斗達にたじろいだ茉莉には届かなかったようだ。

 その言葉から察するに、直哉が持っている小さな袋には茉莉へのプレゼントのみが入っているのだろう。

 他のカップルの事をとやかく言うつもりはないが、少しだけ直哉を不憫ふびんに思った。


「さてと。俺は小腹が空いたけど、美羽はどうだ?」

「私も空いちゃった。そうだ、この前来た時のクレープ屋に行きたいな」

「いいぞ。なら前とは別の味を頼んで分け合うか」

「やったぁ! 早く行こう!」


 溌剌とした笑みを浮かべた美羽が、悠斗をぐいぐいと引っ張っていく。

 後ろの二人の事は、いつの間にか気にならなくなっていた。

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