第129話 ダブルデートの誘い

 茉莉の連絡先は知らないが、隣に住んでいるのだからある程度の行動時間は分かる。

 とはいえ実際に会えたのは三月に入ってからであり、ホワイトデーまで残り二週間だ。

 まだまだ寒さが続く冬の夜の下で、直哉を送る為に外に出てきた茉莉達と、買い物帰りに顔を会わせる。


「ごめんね東雲さん! タイミングが合わなくて挨拶すら出来なかったよ!」

「ううん。私の方こそ、全然話せずにごめんね」

「東雲さんは悪くないよー!」


 謝罪した後はすぐにご機嫌な笑みになり、茉莉が美羽を励ました。

 今のところ悠斗を下に見るような発言はないので、美羽は外行きの笑顔を浮かべている。


「それで、随分遅くなったけど、一緒にお出掛けしないかな?」

「え? いいの!?」


 今まであれこれと理由を述べて断っていたからか、茉莉が目を輝かせた。

 反対に、美羽はほんのりと眉を下げて申し訳なさそうに顔を曇らせる。


「でも、条件があるの。悠くんも一緒に行っていい?」

「芦原も? 別にいいけど……」


 美羽とだけ遊ぶ事を考えていたようで、茉莉は美羽の発言に訝し気な顔をしつつ首を傾げた。

 悠斗の事などどうでもいいと言わんばかりの態度に、美羽がぴくりと形の良い眉を跳ねさせる。

 けれどここで怒っていては話が進まないと思ったようで、作ったような笑顔を浮かべた。


「それと、お出掛け中は悠くんを優先したいの。一緒って言ったけど、それでもいいかな?」

「……まあ、東雲さんがそう言うなら」


 折角一緒に遊べるとはいえ、悠斗を優先されるのは面白くないのだろう。

 茉莉が一瞬だけ悠斗に鋭い視線を送った。

 茉莉からすれば悠斗は邪魔者でしかない。気持ちは分からなくはないが、露骨過ぎだと眉をひそめる。

 ただ、悠斗が居ても問題ないと判断したのか、当日はそれでも美羽とくっつくつもりなのか、渋々ながらも茉莉が許可した。

 分かりやすく悠斗を厄介者扱いする態度に、美羽の頬がひくひくと動いている。


「ありがとう、篠崎さん」

「でも、そんなに芦原の事を優先するなんて……。ねえ、やっぱり二人って――」

「うん。付き合ってるよ。今から一緒にご飯を食べるの」


 話を合わせる為か、何度も踏み込んでくる茉莉に呆れたのか、美羽が嘘をついた。

 とはいえ晩飯は本当なので、今は悠斗が荷物持ちをしているのだが。

 わざわざここで悠斗が口を挟んでややこしい事態にはなりたくないので、美羽の後ろでジッと見守る。

 満面の笑みで告げられた事で、茉莉が目を見開いて驚愕した。


「え、本当に!? というか、もしかして東雲さんが作るの?」

「そうだよ。彼女が彼氏に料理を振る舞うのがそんなに変かな?」

「変っていうか、芦原の両親はどうしたの?」


 何もおかしな事はない。という風に笑顔を浮かべる美羽には僅かだが圧がある。

 だからなのか、茉莉がようやく悠斗へと話を振った。

 正臣と結子が出張に行ってから約一年経つが、隣の家の事情すら知らないのかと溜息をつきたくなる。

 とはいえ悠斗も茉莉の家庭事情など興味がないので、似たようなものだ。

 今更隠す必要もなく、憮然ぶぜんとした態度で茉莉を見つめる。


「父さんと母さんは出張中だ。もちろん、美羽に家のキッチンを使わせるのは許可を取ってる。それに、美羽の家族にも一緒に飯を食べる許可を取ってるぞ」


 お互いの家族の承認を得ているのだから、悪い事などしていない。

 しかし茉莉からすれば今の悠斗達の状況は異常らしく、顔に困惑を浮かべている。


「付き合ってるだけなのに、もうそんな所まで行ったの?」

「お前達の付き合い方と俺達の付き合い方は違うだろ。相手の家族に会うのがそんなにおかしな事か?」

「それは、おかしくないけど……」


 釈然しゃくぜんとしないようで、茉莉が眉を下げて口を尖らせた。

 何となく茉莉の考えが透けて見え、変な事を言われる前に話を付けようと口を開く。


「ならいいよな。それで、出掛ける日は今週の日曜日でいいか?」

「……それでいいよ。直哉も平気だよね?」

「ああ、大丈夫だよ」

「それじゃあ四人でお出掛けだね」

「そうだな」


 悠斗を勘定に入れていないのに直哉は入っているのか、美羽が言い出さなければ三人で出掛けていたのかと言いたくなった。

 けれど、ぐっと言葉を飲み込んで話を纏める。


「俺らは今から晩飯だから。それじゃあな」

「すまない悠斗、少しだけいいか?」


 さっさと家に引っ込もうと思ったのだが、直哉が回れ右をする悠斗の足を止めた。

 蓮と同じくらい整った顔には、悠斗を心配する気持ちが込められているように思える。


「何だよ」

「その前に、茉莉はもう家に入った方がいい。寒いだろ?」

「そう、だけど……。分かった。芦原、変な事を言わないでよね?」

「誰が言うかっての。……美羽も、先に家に入っててくれ」


 直哉に茉莉の昔話や嘘を吹き込むつもりはない。そもそも直哉の目的すら分からないのに、何を心配しているのだろうか。

 ただ、茉莉とは違って険悪な仲ではないので、もう大丈夫だと美羽を家に入らせる。

 心配なのか美羽が澄んだ瞳でジッと悠斗を見つめていたが、小さな頷きを返すと柔らかい笑顔を見せてくれた。


「分かった。それじゃあ篠崎さん、平原くん、さよなら」

「さよなら、東雲さん」

「またね、東雲さん!」


 女性二人が家に入っていき、ようやく直哉と二人きりになる。

 こうして二人きりになる事などバレーのアドバイスを頼み込んで以来だなと思い出して、感慨深くなった。


「……良かったのか?」

「何の話だよ」


 直哉の呟いた言葉に脈絡が無さ過ぎて、内容が掴めない。

 首を傾げて問いかけると、直哉の顔に苦笑が浮かんだ。


「一緒に出掛ける話だ。一応約束したけど、多分茉莉は東雲さんと遊ぼうとするぞ?」

「だろうな。まあ、美羽が怒らなければそれでいいさ」


 あまりにも悠斗の傍に居られないのなら、間違いなく美羽が怒る。

 そうなってしまったら美羽に嫌われるので、おそらくある程度の範囲に留めておくだろう。それくらいなら許容すべきだ。


「本当に、付き合ってるのか?」

「そうなりたいと思って、その為に今回の提案をしたんだ」


 決して茉莉を気遣って提案した訳ではない。自己中心的な行動なのは分かっている。

 デートもした、想いを伝える日も決めた。

 ただ、やはりここから始めるべきだったと、今になって思う。

 微笑を浮かべて考えを伝えると、直哉の顔が泣きそうに歪んだ。


「そうか、悠斗からの提案だったんだな」

「ああ。美羽には悪い事をしたと思ってるけどな。それでも、納得してくれたよ」

「付き合ってなくても、そうやって負担を掛けれるんだな」

「それが普通だろ。持ちつ持たれつってやつだ」


 一緒に居る以上、お互いの良い所ばかりが見える訳ではない。

 もちろん悠斗には駄目な所が沢山あるし、最初の頃の美羽は全く悠斗に頼らなくて大変だった。

 だが、それでも一緒に居たいと思える人だからこそ、こうして隣に立つ為に頑張っているのだ。

 当たり前の事だと答えれば、直哉が痛みを押し殺したような笑みになる。


「そうだよな。……それが当たり前、なんだよな」

「直哉?」

「何でもない。こうしてゆっくり話すのも、随分前だな」


 直哉の妙な態度に違和感を覚えたが、急に話題を変えられた。

 おそらく踏み込まれたくないからだと思うので、悠斗も見て見ぬフリをする。


「ああ、最後に話したのはいつか忘れたけど、バレーの特訓を頼み込んだ時だった気がするな」

「懐かしいなぁ。悠斗は努力家で、でも結果がどうしてもついてこなかった。もっと俺に力があれば、一緒にコートに立てたかもしれないな」

「気にすんな。あれは俺の力不足なだけだ。直哉のせいじゃない」


 以前までの悠斗だったら、直哉の発言を嫌味として受け取ったかもしれない。

 しかし、今では真正面から受け止める事が出来る。

 悠斗のせいなのだと軽く笑えば、直哉の顔にようやく穏やかな笑みが浮かんだ。


「そう言ってくれてありがとな」

「俺の方こそ俺の練習に付き合ってくれて、茉莉の件で謝らないでくれて、ありがとう」


 茉莉の本心を知ったあの日。おそらく、直哉は悠斗が茉莉に向ける気持ちに気付いていた。

 それでも謝罪をしなかったのは、悠斗を追い詰めないようにという気遣いだったのだろう。

 それだけでなく、直哉にはバレーでもお世話になった。

 今更になって感謝を伝えると、直哉は微笑を浮かべて首を振る。


「いいや、俺に感謝される資格はないよ。……今度のお出掛けで、俺と茉莉を振り切ってくれ」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 訣別するという宣言なのに、直哉は嬉しそうに笑った。

 懐かしくも穏やかな空気の中、今度こそ直哉に背を向ける。


「それじゃあ気を付けて帰れよ」

「悠斗も、東雲さんをちゃんと送るんだぞ?」

「分かってるっての」


 軽口を交わしつつ玄関の扉を開けて家に入ると、すぐに軽い足音が近付いてきた。

 端正な顔は、やはりというか心配そうに曇っている。


「大丈夫だった?」

「もちろん。茉莉と話してくれてありがとな」


 美羽が時折苛立っていたのは分かっている。それでも悠斗の為に抑えてくれたのだから、少しでも感謝を伝えたい。

 スリッパに履き替え、心配性な少女の頭を撫でた。

 少し触れるだけで、綺麗な顔がふにゃりと蕩ける。


「ん……。今度の日曜日、頑張ろうね」

「おう。美羽が居てくれるなら、きっと大丈夫だ」


 約束した以上、もう後には退けない。

 それでも悠斗の胸に宿るのは後悔ではなく、今までにないほどの熱だ。

 数日後の事を思いつつ、美羽を撫で続けるのだった。

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