第127話 努力の成果とご褒美

「ねえ悠くん。結果はどうだったの?」


 一年生最後のテストが終わって数日経ち、結果が返ってきた。

 メッセージアプリで伝えても良かったが、折角なので晩飯時まで待ってもらっている。

 そうして晩飯のオムライスを食べている最中に、美羽がおそろおそる尋ねてきた。

 端正な顔には期待と不安が渦巻いている。


「五十二位だ。前回より百位くらい上がったな」


 悠斗達の高校では、前回取った百五十位だと平均よりもやや上の順位だ。

 しかし、今回は上位五十名に近いところまで上がった。

 もちろん掲示板に張り出された美羽や蓮程ではないが、悠斗からすれば大健闘と言えるだろう。

 入学当初からは考えもしなかった順位に頬を緩めながら告げると、美羽の顔が華やいだ。


「凄い凄い! もう成績上位だよ!」

「ありがとな。美羽のお陰だ」


 自分の事のように――もしくはそれ以上に悠斗の成績を喜ぶ美羽に苦笑する。

 とはいえ、嬉しい事は確かだ。

 勉強を見てもらった事に改めてお礼すると、美羽は勢いよく首を振る。


「ううん。一番頑張ったのは悠くんだったんだから、お礼なんていいよ!」

「……まあ、それならそういう事にしておくよ」


 美羽が居なければこんなに頑張りたいと思えなかったし、成績も上がらなかった。

 悠斗を変えてくれた恩人なのだが、当の本人は自覚が無いらしい。

 何度も言い聞かせるのは大変なので、決して美羽への恩を忘れないと誓った。

 それから晩飯を終え、悠斗の部屋へと向かう。

 美羽は普段通りベッドで寛ぐかと思ったのだが、いつかと同じようにベッドの上に座り込んで膝を叩いた。


「頑張った悠くんへのご褒美だよ。おいで?」

「ちなみに、拒否は――」

「だめ。悠くんが来るまで、絶対に退かないからね」

「……はいよ」


 むっと唇を尖らせる美羽からは、何を言われても譲らないという意思を感じる。

 ご褒美にしては贅沢だなと小さく笑みつつ、柔らかい膝に頭を乗せた。


「私の膝はどう?」

「相変わらずの寝心地だ。最高だよ」


 今更感想一つで嫌がられるとは思っていない。

 悠斗を見下ろす穏やかな顔に笑みを返すと、澄んだ瞳が幸せそうに細まった。


「なら良かった。いっぱい味わってね――って言いたいんだけど、今日の私は一味違うよ?」


 悪戯っぽく笑む美羽が自身の体の後ろに手を回し、悠斗の視界に細い棒を持ってくる。

 テーブルの上に置いていたはずのティッシュの箱もあるので、準備は万端のようだ。

 誰であれ絶対に使った事があるものに、悠斗の顔が引きった。


「……それをするのか?」

「もしかして、されるのは嫌かな? 絶対に痛くしないから、やらせて欲しいんだけど」

「別にいいけど。頬が膝に触れても文句言うなよ?」


 美羽の服装は部屋着であるショートパンツだ。

 悠斗が横向きに寝れば、当然ながらその柔らかい太腿の感触を味わってしまう。

 後頭部でしか感じていない今よりも鮮明に分かってしまうので、念の為に確認を取った。

 しかしそんな事はお見通しとばかりに、美羽が艶っぽく笑む。


「文句なんて言わないよ。撫でられるのはくすぐったくて危ないから止めて欲しいけど、それ以外なら何でもしていいからね?」

「無防備過ぎだっての。……それじゃあ、失礼するぞ」


 相変わらず悠斗へ全幅の信頼を向ける美羽に小さな笑みを落とし、美羽とは反対の方を向いた。

 頬に感じるすべすべとした極上の感触と、美羽特有の香りが強くなり、悠斗の心臓が鼓動を早める。

 男のロマンとも言える状況だが、精神に悪過ぎて身を固くした。


「ふふ。そんなに緊張しないで? リラックスだよ」


 普段よりも触れ合っているせいで、悠斗が体を強張らせているのが美羽に伝わったらしい。

 細い指が悠斗の頭を優しく撫でた。

 労わるような指使いに、少しづつ体の力が抜けていく。


「いい子いい子。それじゃあ始めるね?」


 完全に力が抜けると、ぽんぽんと頭を軽く叩かれて思いきり子供扱いされた。

 しかし反論する気は起きず、ジッとそれが来るのを待つ。

 すぐに固いものが耳の中に入ってきて、悠斗の耳をがさごそと探り始める。


「っ!?」

「大丈夫だよー。怖くないよー」


 他人に耳かきをしてもらった事など久しぶりで、耳かき棒の感触にびくりと体が震えてしまった。

 くすりと美羽が笑み、あやすような声色で悠斗を宥める。

 すぐに悠斗の緊張が解れ、美羽の膝へと再び体を預けた。


「もし痛かったら言ってね。我慢するのは駄目だよ?」

「……大丈夫。凄く、気持ちいい」


 痛くしないという宣言通り、美羽は優しく悠斗の耳を探っていく。

 その力加減があまりに心地よくて、背筋にぞくぞくとしたものが這い上がってきた。

 膝の感触や匂いも相まって身もだえしそうになるが、流石に危ないので力を抜きつつもジッと堪える。


「なら良かった。それじゃあ少しずつ深くしていくね」


 嬉しさを滲ませた声を零し、美羽がゆっくりと悠斗の耳奥を掃除していく。

 その感覚に少し慣れてきたせいで、だんだん眠くなってきた。

 瞼を閉じようとすると、悠斗の反応が鈍いので分かったのか、美羽が悠斗の頬を軽く叩く。


「寝るのはだめだよ。反対側が終わってからね」

「……すまん」

「ふふ、いいんだよ。それだけ気持ちよかったって事なんだから」


 柔らかく包み込むような聞き心地の良い声には怒りなどなく、ひたすらに歓喜が込められていた。

 羞恥が沸き上がって頬の熱さに耐えていると、掃除を終えたのか美羽が悠斗の肩を揺さぶる。


「はい、反対だよ。こっち向いてね?」

「分かった。じゃあ失礼するぞ」


 もう反対しか残っていないのかと名残惜しく思ったところで、とっくに耳かきに嵌っているのだと気が付いた。

 反対もしてしまえば更なる深みに嵌まるが、もう後戻りする気も起きず、大人しく美羽の方を向く。

 だぼだぼのシャツに顔を埋めると、甘い匂いが膝以上に濃くなった。


(辛すぎる……)


 美羽はご機嫌に耳掃除を再開し、触覚や嗅覚、聴覚等の様々な所で美羽を感じる。

 どろどろに溶けてしまいそうな幸福感が襲ってきて、ほんの少しだけ美羽へと身を寄せた。


「わぁ。……甘えたくなったの? もうちょっと待ってね」


 悠斗が動いた事で驚いたのか、美羽が耳かきの手を止める。

 けれど嫌がる素振りなど見えず、それどころか悠斗の行動を肯定された。

 くすくすと軽やかに笑いつつ、再び美羽が耳かきを再開する。


「そんなに気に入ってるなら、今度から悠くんの耳かきは私がしようか?」

「俺は子供かよ。それくらい自分で出来るっての」

「今の悠くんは子供みたいだよ。気に入ったのなら、やらせて欲しいな」

「……偶になら、いいぞ」


 毎回やってもらっていては、美羽から抜け出せなくなってしまう。

 とはいえやってもらえないのも寂しいので条件を出すと、美羽の体が嬉しそうに震えた。


「ほんと? 約束だよ?」

「ああ」


 弾んだ声に苦笑を零し、美羽の耳かきに身を委ねる。

 気持ちよすぎて再び眠くなってしまい、必死に眠気と戦っていると、美羽がぽんぽんと背中を叩いた。


「はい、終わったよ。甘えていいからね」

「……じゃあ、少しだけ」


 折れそうな程に細い美羽の腰に手を回し、柔らかいお腹へと顔を埋める。

 ミルクのような匂いを思いきり吸い込むと、心臓が鼓動を早めつつも不思議と気持ちが落ち着いた。


「今日は甘えたさんだね」

「そういう日もあるだろ。甘えさせる美羽が悪い」

「そうだねぇ。だから、いっぱい甘えてね」


 理不尽な事を言っているはずなのに、それでも美羽はくすりと笑って梳くように頭を撫でてくる。

 テストが終わって気の抜けた心の中が、温かなものに満たされた。


「まだ帰る時間には早いし、寝てもいいよ」

「そうさせて、もらおうかな……」


 晩飯のすぐ後なので、まだ美羽が帰るには早い。

 仮眠を取っても十分に美羽を送れるだろう。

 それに、心地良過ぎて眠気が限界だ。

 一度だけ美羽の体から頭を離し、美しい顔を見上げる。


「おやすみ、美羽……」

「おやすみ、悠くん」


 慈しむような声に導かれて再び美羽のお腹へ顔を埋めると、意識が落ちた。

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