第126話 一年生最後の行事
三月十四日を勝負の日と決め、その前にやる事も見定めた。
とはいえ学生にとって外せない行事が迫ってきているので、一旦お預けだ。
そうして思考を切り替え、土曜日の学校終わりから机に
必死に勉強する悠斗を、微笑ましそうに美羽が見つめた。
「前とは悠くんのやる気が全然違うね」
「妥協はしないって決めたんだ。学年末テストも頑張るさ」
最近は美羽と一緒の時だけでなく自主的に勉強してはいるが、成果が出るとは限らない。
ましてや、勉強が出来るだけで美羽の隣に立てるなど欠片も思っていない。
それでも、出来る限りの事をしたいという意志は持ち続けている。
もちろん勉強が好きになった訳がではないが、指標があれば気合が入るというものだ。
ただ、美羽は今の状況を不思議に思ったらしい。ほんのりと顔を曇らせて首を傾げた。
「それなら元宮くんと勉強しないの? 私より元宮くんに聞いた方が勉強になるよ?」
「確かにそうだけどな。でも、何ていうか……。俺は美羽と勉強したかったんだ」
蓮には勉強会の提案をされておらず、にやにやとした視線と「今回も邪魔しねえよ」という言葉をいただいている。
おそらく悠斗が頼み込めば一緒に勉強してくれるだろうが、遠慮しておいた。
最大限の努力をするという決意に反しているかもしれない。それでも、悠斗は美羽と二人きりで勉強したかったのだ。
気恥ずかしくて僅かに視線を逸らしながら告げれば、くすぐったそうにはしばみ色の双眸が細まる。
「ふふ。前の私と同じ事を言ってるよ?」
「……茶化すなよ。勘弁してくれ」
美羽に言われて、二学期の期末考査の時の美羽と同じ言葉だったと気が付いた。
くすくすと喉を鳴らしながらからかってくる美羽をほんのりと睨めば、美羽が表情を緩める。
「ごめんごめん。なら、そんな悠くんに協力しないと。前もそうだったけど、今回も何でも聞いてね」
「ああ。前よりも聞く事が多くなりそうだけど、頼むよ」
学校で上位十名に入る人が目の前に居るのだ。最初はきちんと自分で考えるものの、分からない所があればすぐ聞いた方がいい。
しかも今回は悠斗自身が頑張ると決めているのだから、美羽に聞く回数が多くなってしまう。
頭を下げて頼み込むと、美羽が嬉しそうに目を細めた。
「うん、任せて!」
「なら早速で悪いんだが、ここが――」
もう高校受験のように、現状から逃げる為に勉強してはいない。
美羽の隣に自信を持って立てるようにという先を見据えての勉強は、今までで一番集中出来た。
休憩を取らずに勉強し、気付けばもう夕方だ。
ガチガチに硬くなった体を解す為に伸びをすれば、背中から音が鳴る。
「あ゛ー。つっかれたぁ……」
「長時間の勉強、お疲れ様」
ぐったりと力を抜いて床に寝そべっていると、美羽がお茶を持ってきてくれた。
最初に用意したお茶はとっくに無くなっており、今更ながらに喉の渇きを自覚する。
「ん……。ぷはぁ、美味いな」
「いい飲みっぷりだねぇ」
跳ね起きてコップに注がれたお茶を一気飲みすれば、美羽が柔らかく目を細めた。
美羽も悠斗と同じようにほぼ勉強しっぱなしだったはずだが、小柄な少女の背中は真っ直ぐに伸びている。
「そういう美羽は全然疲れてなさそうだし、流石だな」
最近は悠斗に合わせて休憩していたが、元々美羽はこれくらい勉強していたと聞いている。
いくら仁美の教育だったとはいえ、その頑張りは賞賛されるべきだ。
勤勉な美羽を改めて褒めれば、素直に喜べないのか美羽は嬉しさと悲しさを混ぜ込んだ笑みを浮かべる。
「ありがとね。……でも、言われてみればこんなに勉強したのは久々だなぁ」
「明日もこんな感じになるけど、大丈夫か?」
「私は平気だけど、いきなりこんなに勉強して大丈夫?」
元々勉強をあまりしない悠斗が今日だけでなく、明日も長時間勉強するのだ。
一日勉強漬けをしただけでも疲れが出ているので、心配なのだろう。
しかし、これだけで弱音を吐くわけにはいかない。
強がる為に、美羽へ笑ってみせた。
「昼間に勉強出来るのは、もう明日しかないからな。後一日くらい大丈夫だって」
「……もう。やせ我慢して」
美羽の為だと押し付けるつもりはなかったのだが、美羽が泣きそうに顔を歪ませる。
気負わせてしまったかと後悔していると、美羽がゆっくりと立ち上がった。
何をするつもりなのかと首を傾げている間に、悠斗の後ろへと回り込む。
「なら、少しでも疲れた体を癒さないとね」
細い指先がゆっくりと悠斗の肩を揉む。勉強で凝った肩に労わるような手つきは、病みつきになりそうだ。
とはいえ奉仕される程でもない。なので止めさせようかと思ったものの、美羽の気が済むのならと好きにさせる。
「ありがとう。美羽は大丈夫なのか?」
「慣れてるから平気だよ。……ねえ悠くん。頑張るのはいいけど、体を壊さないでね?」
ぽつりと呟かれた言葉には、悠斗への心配がこれでもかと込められていた。
悠斗の頑張りを応援しつつも、体を気遣ってくれる美羽に相も変わらず優し過ぎるなと苦笑する。
「大丈夫だっての。これくらいで壊れるか」
「約束だよ?」
「おう。任せとけ」
頑張るとは言ったが、目標の順位を決めている訳ではない。
それに、たった数日勉強しただけで美羽や蓮に並べるとも思ってもいない。
だからこそ、悠斗は自分に出来る範囲で頑張ると決めたのだ。
頑張った結果体調を崩すのは、美羽を悲しませてしまう。
それだけは駄目だと思って美羽にされるがままになっていると、肩を揉む手が止まった。
もう終わりなのかと残念に思い、けれどねだる訳にもいかないので立ち上がろうとする。
しかし、トンと背中に丸みを帯びた硬い物が当たって悠斗の動きが止められた。
「……こんな我儘な事を言ってごめんね?」
「我儘なもんか。それを言うなら、俺の方が我儘だっての」
美羽の気持ちを分かっていながら保留にし、悠斗の事情に振り回しているのだ。
そのくせバレンタインチョコはもらうだけでなく、こうして美羽にお世話をされている。
美羽が我儘というなら、悠斗は我儘を通り越して
すぐ後ろから聞こえてきた沈んだ言葉を軽く流すと、硬い物が離れて細い腕が首に絡みついてきた。
「悠くんは私に甘々だね」
耳に美羽の息が掛かる距離で呟かれ、ぞくりと背筋が震える。
まさか抱き着かれるとは思わず、体が固まってしまった。
「……そんなの当たり前だろうが」
美羽への気遣いを一度として忘れた事はない。
つっかえそうになる口で何とか言葉を絞り出すと、くすりと小さく笑われた。
「なら、私も悠くんにそのお返しをしないといけないね」
きゅっと首に絡みついた腕が狭まり、美羽が悠斗の耳に唇を寄せてくる。
美羽の息遣いすら分かってしまい、心臓が早鐘のように鼓動を始めた。
色っぽい声色の中に悠斗への心配を込め、美羽が囁く。
「テストが終わったらご褒美をあげる。だから、無理しないでね」
「……分かった。約束する」
ご褒美と言われては頑張るしかない。しかも、無理をしない範囲でだ。
元々そのつもりだったが声に出して改めて誓うと、絡まっていた腕が解かれた。
「ならよし! もうそろそろランニングの時間だけど、準備しようか?」
「そうだな。お願いするよ」
「りょーかい!」
勉強の気分転換というのもあるが、心臓が先程から激しく鼓動している理由を変えたい。
とっくに悠斗のスポーツウェアの場所を知っている美羽に準備を任せつつ、タンスへと向かう後姿を眺めるのだった。
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