第124話 チョコレート

「それじゃあお待ちかねのチョコレートだよ」


 紬の件を忘れていないとはいえ、晩飯を終える頃には普段の悠斗に戻る事が出来た。

 そして家で渡されると悠斗の予想していた通り、美羽が綺麗にラッピングされた箱を差し出してくる。

 事前に宣言されていたので疑ってはいなかったが、やはり実物を見ると嬉しさに胸が弾んだ。

 とはいえ、未だに友人以上恋人未満の関係なのは申し訳なく思う。


「ありがとう。それと、こうして受け取るだけでごめんな」

「もう……。分かった上でやってるんだから、気にし過ぎだよ。ただ手作りチョコをもらえる。それだけでいいじゃない」


 チョコに込められた意味を聞かなくてもいい。ただ悠斗に喜んで欲しいのだという温かな気持ちに胸が痺れる。

 ここでくよくよするのは、手間暇かけてくれた美羽に失礼だ。

 一度だけぐっと奥歯を噛み、すぐに表情を笑顔へと変えて箱を受け取った。


「本当に、ありがとう。それじゃあ開けていいか?」

「うん。どうぞどうぞ!」


 満面の笑みをしてくれた美羽に改めて感謝しつつ、慎重に箱を開ける。

 その中には、直径数センチの小さい円盤二つの間に、チョコレートであろう黒い物が挟まったお菓子が並べられていた。

 可愛らしい見た目だがこんなお菓子を食べた事がなく、名前が分からずに首を捻る。


「焼き菓子か?」

「チョコマカロンだよ。可愛いよね」

「確かに。にしても、これがマカロンか……」


 名前だけは知っていたが、美羽は一度も作っていなかった。

 初めてのお菓子をしげしげと眺めていると、美羽が微笑ましそうに表情を緩める。


「さあさあ、見てないで食べて――って言いたかったけど、ちょっとだけ返して欲しいな」

「お、おう、分かった」


 もらったチョコレートを作り主に返すのは変な気がするが、すぐに戻ってくるようなので別に構わない。

 とはいえその理由が分からず、戸惑いながら美羽へ箱を渡す。

 何をするのかと美羽の動きを見ていると、細い指先がマカロンを摘んで悠斗の前まで持ってきた。


「はい。あーん」

「そういう事か。あーん」


 今まで何回か食べさせあっていたし、今日は深く気にしないと決めたのだ。

 あれこれと言い訳を述べはせず、すぐに口を開けて待つ。

 一口サイズのマカロンが入って来たのを確認して口を閉じると、美羽の指先に唇が触れた。


「ひゃっ」


 美羽が短い悲鳴を上げ、すぐに指先を引き抜く。

 今まで食べさせる際は、指先が唇に触れる食べ物ではなかった。

 しかし今回はそうもいかず、気恥ずかしくなってしまったのだろう。

 雪のように白い頬が、じわじわと赤くなっていくのが見える。


「……ご、ごめんね?」

「んーん」


 僅かに潤んだ瞳で悠斗を見上げつつ美羽が謝ってきたが、何も気に病む必要はない。

 普段接触しない場所が当たって照れ臭いものの、これは不可抗力なのだ。

 折角のお菓子を口に含んでいるので喋れず、首を振って気にするなと示す。

 とはいえ頬の熱さが自覚出来るので、おそらく悠斗の頬も似たような赤さなのだろう。

 今は口の中のマカロンを味わうべきだと思考を切り替えた。


「ん、美味い。流石美羽、ばっちりだ」


 焼き菓子の部分はしっとりとしており、砂糖のほんのりとした甘さを伝えてくる。

 チョコの部分は少しビターで、焼き菓子の部分と合わせて甘すぎないようにしたらしい。

 いつも通りの素晴らしい出来だが、今日はいつにも増して良い出来な気がする。

 しっかりと飲み込んだ後に感想を告げれば、美羽が蕩けたような満面の笑みを零した。


「そう言ってくれると頑張ったかいがあるよ。それで、お願いがあるんだけど……」


 もじもじと忙しなく体を揺らしつつ、美羽が上目遣いで悠斗を見上げる。

 期待と僅かな不安を混ぜた仕草があまりにもいじらしく、悠斗の心臓がどくりと鼓動した。


「何だ?」

「作った側だけど、食べさせて欲しいなって」

「それくらいなら喜んでだ。ほら、あーん」


 美羽が作ってくれたからといって、独り占めするつもりはない。

 可愛らしいお願いに頬を緩めつつマカロンの箱を受け取り、一つ摘まんで美羽へと差し出す。

 嬉しさが溢れんばかりの笑み浮かべた美羽が、無防備に小さな口を開けた。


「あーん!」

「あーん。……っと!」


 指先の幸福とも言える感触に、びくりと体を震わせる。

 勢い良く美羽が食いついたせいで、瑞々しい唇だけでなくぬるりとしたものにすら触れてしまった。

 驚きに硬直する悠斗をよそに、美羽の口内でマカロンが絡めとられる。

 見えないせいで妙に艶めかしく、いけない事をした気になってしまった。


「ご、ごめん。すぐ抜くよ」

「ん。ふ……」


 このままでは美羽が食べられないので、謝罪をしつつ指を引き抜こうとする。

 しかし艶っぽく微笑んだ美羽が、悠斗の指が抜ける瞬間にぺろりと舐めてきた。

 動揺して勢いよく引き抜き、あまりに心臓に悪い事をした美羽をほんのりと睨む。


「み、美羽! 何するんだ!」

「んふふー」


 悠斗の質問に答えず、美羽は楽しそうに笑んでマカロンを咀嚼そしゃくしている。

 とはいえ耳まで真っ赤に染めており、とてつもなく恥ずかしかったのだろう。

 それでも悪戯したかったのだと分かり、悠斗の胸が甘くくすぐられる。


(……美羽が、触れたんだな)


 まじまじと指を見つめると、暫くぶりに見た気がする悠斗の指は、部屋の光を反射していた。

 何だかとてもよろしくない気分になってしまい、すぐに拭き取ろうとティッシュへと手を伸ばす。

 しかしティッシュで拭き取るのは、美羽が触れたせいで汚れてしまったと主張しているようだ。

 もちろんそんな事はないが、罪悪感が湧き上がって悠斗の手が止まった。


「うん、自分で言うのもなんだけど、美味しいね。……それと、もしかしてドキドキしてる?」

「そ、それは……」


 甘さを滲ませた悠斗をからかう声に、今日何度目かも分からない程に心臓が虐められる。

 どう答えればいいかと口ごもっていると、美羽が僅かに距離を詰めた。

 ミルクのような甘い匂いと先程の指摘に、悠斗の顔が熱い。


「ふふ。舐められるのがいいなんて、悠くんは物好きだねぇ」

「……別に、舐められるのが好きだなんて言ってない」

「あれ、悠くんが好きならもっとしようと思ったんだけどなー」

「ああもう、そういう事を言うんじゃない!」


 責めるような言葉なのに、その声色には嬉しさがこれでもかと込められていた。

 恥ずかし過ぎて美羽の顔を見ていられず、手を洗う為にキッチンへと向かう悠斗へと残念そうな声が掛かる。


「洗っちゃうんだ?」

「洗うに決まってるだろ!」

「ふふ、ざんねん」


 一瞬だけこの指を舐めたいなど最低な思考が頭をよぎったが、それを行えば悠斗は間違いなく変態になってしまう。

 全く残念そうではなく、むしろからかうような声を発した美羽へ背を向け、逃げるようにキッチンへ行くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る