第123話 告白された側に出来る事

「ただいま」

「おかえり。随分遅かったね?」


 あれから自転車置き場でジッとしていただけでなく、動く気力がなくて帰る際にゆっくり自転車を漕いでいた。

 その結果として、普段ならとっくにランニングを終えている時間に帰って来たのだ。

 しかも全く連絡していなかったせいで、美羽が心配そうに眉を下げて悠斗の様子を窺ってくる。

 未だに元気は出ないが、せめて美羽の前では取り繕いたいと笑顔を作った。


「ちょっと寄り道してな。連絡しないで悪かった」

「それはいいんだけど……」


 悠斗としては上手く誤魔化せているはずなのに、美羽が疑いの目で悠斗を見つめる。

 ジッと見つめ続けられるとボロを出してしまいそうで、美羽から目を逸らした。


「今日は遅く帰って来たし、ランニングはいいや。部屋でゆっくりするよ」

「……うん。分かった」


 美羽が何かを言いたそうに口をもごもごさせたが、結局何も言わずに悠斗の鞄へと手を伸ばす。

 今日も今日とて鞄を持ってくれる美羽に、感謝だけでなく申し訳なさが沸き上がってきた。

 今日くらいは悠斗が持ちたかったものの、変な事をしては何かあったと勘付かれてしまう。

 何も言わずに美羽と二階へ上がり、鞄と上着を渡した。


「私は下でご飯とお風呂の用意をするね」

「ありがとな。俺も手伝うよ」

「大丈夫。悠くんはゆっくりしていいからね」


 悠斗の心を包み込むような優しい笑顔に縋りつきたくなったが、そんな資格はないと必死に我慢する。

 少し休憩すれば、胸の苦しみを受け入れて普段の悠斗に戻るはずだ。


「……じゃあ、少しだけゆっくりしてから手伝うよ」

「本当に大丈夫なんだけど……。でも、そんなに言うなら無理しない程度にお願いしようかな」

「分かった」

 

 悠斗の返事に美羽が満足そうに笑み、部屋から出て行く。

 一階に降りる音を聞いて、ようやく肩の力を抜く事が出来た。

 着替えをする気も起きず、シャツのままベッドへとダイブする。


「はぁ……」


 勇気を出した哲也や紬への尊敬。未だに想いを伝えられない悠斗が、想いを口にした人達の気持ちを踏みにじる申し訳なさ。

 そして、美羽以外の人に認められたという嬉しさ。

 様々な思いが未だに悠斗の胸に渦巻いており、何もやる気が起きない。

 せめてもの救いは、紬をきちんと断れた事だろうか。

 美羽との約束を守り、きっぱりと断った事で紬への誠意を示せたはずだ。


「……俺が誰かを振るとか、笑えるなぁ」


 今までは悠斗には関係ないと、そんな事は有り得ないと思考すらしなかった。

 仮にあったとしても、これ程後味の悪い思いをするとは考えていなかったのだ。

 とはいえ、初対面の人から好意を向けられると期待するのも変な話だろう。

 結局の所、悠斗に出来るのはこの経験を糧にする事しかない。


「簡単に出来たら苦労しないっての」


 告白を断るとは良い御身分だなと自分自身に呆れつつ、目を閉じるのだった。





「……ん」


 何度か経験した事のある、優しく頭を撫でられている感覚に意識が浮上する。

 ゆっくりと目を開けると、頭上に幼げではあるが整った顔があった。


「おはよう。よく眠れた?」

「……多分。今何時だ?」

「十九時半だよ。ご飯とお風呂の準備が出来たから、呼びに行こうと思ったの。でもノックしても返事が無くて、部屋に入ったら悠くんが寝てたの」

「悪い、すぐ起きる」


 準備を手伝うと言っておきながら、結局美羽に全てを任せてしまったようだ。

 それだけでなく、こうして起こされている。

 あまりにも申し訳なくてすぐに体を起こそうとすると、小さな手が悠斗の体を抑えつけた。


「もう少しゆっくりしよう?」

「いや、飯が冷えるだろうが」

「いいからいいから。ほら、ね?」

「……分かった。というか、何で膝枕してたんだよ」


 柔らかな笑みと鈴を転がすような声に促され、抵抗するのを辞める。

 再び枕に頭を乗せようと力を抜けば、柔らかく温かいものが悠斗の頭を支えた。

 よくよく考えると美羽の顔がすぐ上にあるのはおかしいし、この感触は何度か体験している。

 悠斗が寝ている間になんて事をしているのかと尋ねると、美羽が悪戯っぽく目を細めた。


「悠くんを癒す為だよ。起きなかった悠くんが悪いんだからね?」

「俺が悪いのはいいけど、癒す必要なんて――」

「学校で何かあったんでしょ?」

「っ!」


 必死に隠していたはずなのに、あっさりと美羽に暴かれて驚きに体を硬直させる。

 悠斗への思いやりに満ちた瞳に見下ろされて、否定する気力もなくなった。


「何でバレたんだ……」

「帰ってきた瞬間に分かったよ。悠くん、元気なかったから」

「美羽には隠し事が出来ないなぁ」

 

 放っておいてもいいのに、美羽はこうして悠斗を慰めてくれる。

 悠斗が苦しい時を見逃してくれない美羽の態度が嬉しくて、悠斗の顔に笑みが浮かんだ。

 僅かに胸が軽くなり、ごちゃまぜだった気持ちが言葉になる。


「……チョコレートを、俺にくれようとした人がいたんだ」

「やっぱりそうなんだね。……それで?」


 悠斗が他の誰かから好意を向けられるのがやはり面白くないようで、美羽が苦しそうに顔を歪めた。

 しかし、気持ちを言葉にする事なく先を促してくれる。

 優し過ぎる美羽を安心させる為に、結果を伝えなければと口を開いた。

 

「断ったよ。美羽との約束があったからな」

「ありがとう。我儘言ってごめんね」

「美羽からすれば当たり前の事なんだから、謝らないでくれ。それにきちんと振らないと、俺は美羽の隣に立てない気がしたんだ」

「本当に、ありがとう。悠くん」


 美羽が嬉しさを込めた淡い微笑みで、悠斗を労うように頭を撫でる。

 ここまで話したのなら、押し込めていた感情を表に出してもいいはずだ。


「正直言うと、滅茶苦茶申し訳なかった。誰でもない俺を見てくれる人を、俺の手で突き放したんだからな。……泣きたくなったよ」

「その人には、何か言ったの?」

「ありがとう、でも付き合えないってちゃんと言葉にした。期待を持たせないように、謝らずに、笑わずにな」

「……振る側としてはそれが正解だよ。悠くんは、優しいね」


 悠斗の選択は間違ってなかったらしい。美羽が嬉しそうに目を細めた。

 これが優しさなのかは分からないが、正しい行動を取れた事を誇りに思う。


「でも美羽は凄いな。こんな気持ちを何度も経験してるんだから」


 詳しく聞いた事はないものの、美羽とて無感情で告白を断ってはいないはずだ。

 今までは断る側の内心など無関心だったが、経験した今ではこれまで以上に美羽を尊敬出来る。

 心からの褒め言葉を送ると、美羽はなぜか後ろめたい事があるように眉を下げた。


「私はそんなに凄くないよ。昔は男の子に興味なんてなかったし、告白されても付き合いたいって思う人はいなかった。知ってるでしょ?」

「確かにそうだけど、必死に告白してくれた人を断るのは大変だったんじゃないのか?」

「大変だったけど、何回もされたらある程度は慣れちゃうの。……私が振った人には申し訳ないけどね」


 大勢の人から告白されたせいで、顔や名前を憶えていないのだろう。

 全員を覚えるのは無理な話だし、たった一回告白されただけで美羽の気持ちを全て理解するのは不可能だ。

 それに、告白されるのに慣れてあまり感情が動かなくなったと言いたいようだが、美羽の表情は痛みを押し殺したようなものだ。

 そんな顔をしておいて、無感情で断ったとは思えない。


「でも、美羽は優しいからな。辛かったろ」

「それを言うなら、悠くんもだよ。お疲れ様」


 完全に同じ立場とは言えないが、似た経験をした事で美羽を一段と深く知れた気がする。

 悠斗も美羽を癒したくて、腕を上げて美羽の頬に触れた。

 滑らかな頬を撫でると、曇った顔がすぐに気持ちよさそうに蕩ける。


「ねえ悠くん。私が言える事じゃないけど、告白された事を忘れないで欲しいな。凄く勇気が要る事だったから」

「分かってるよ。絶対に忘れたりなんかしない」


 こんな悠斗に紬は好意を抱いてくれたのだ。忘れる事など有り得ない。

 例え、いつか紬が他の人を好きになり、付き合ったとしてもだ。

 また、願わくば悠斗を好きになったのが、紬にとって悪い出来事とならないで欲しい。

 心のもやを全て吐き出してようやく飲み込めたからか、悠斗の体に元気が戻ってきた。


「よし、もう大丈夫だ! 膝枕ありがとな!」


 心配は要らないと示す為に、柔らかな膝から跳ね起きる。

 美羽の方に向き直ってお礼を言ったのだが、美しい顔が僅かだが不満の色に染まっていた。


「それは嬉しいけど、悠くんに言いたい事があります」

「な、何だよ」


 この期に及んで隠し事などしていない。

 先程までの会話のどこに美羽が不機嫌になる要素があったのか分からず、首を傾げながら尋ねる。

 すると美羽が悠斗へと近付き、細くしなやかな指がちょんと軽く悠斗の鼻を突いた。


「苦しいのに一人で頑張ろうとするのは、めっ! だよ」

「……俺は子供じゃない」


 子供に言い聞かせるような言葉と仕草に、羞恥が込み上げてくる。

 頬が熱くなってくるのを自覚しながらも唇を尖らせて文句を口にすると、美羽は納得いかなさそうに何度も鼻を突いてきた。


「私を頼らなかった悠くんの言い訳なんて聞きません。ちゃんと頼るように」

「分かった! 分かったから!」


 このまま文句を言い続けても美羽は止めてくれないと判断し、頷きつつベッドから降りる。

 ようやく悠斗が受け入れた事で、美羽が満足そうな笑顔へと表情を変えた。


「よろしい。さぁ、ご飯を食べに行こう?」


 子供扱いは恥ずかしかったが、美羽が本気で悠斗を心配してくれたのは分かっている。

 それに、正直なところ嫌な気分にはならなかったのだ。

 美羽のお陰でようやく紬の件を飲み込む言葉が出来て、小さくではあるが改めて感謝を呟く。

 

「はいはい。……色々と、ありがとな」

「お礼なんていいよ。こんなの当たり前の事なんだから」


 唇に弧を描かせた美羽と共に、一階へと降りるのだった。

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