第120話 ただいまとおかえり

「ただいま」


 二月第一週目の土曜日。コンビニ弁当の袋を手に提げつつ、家の中に声を響かせた。

 普段であれば鈴を転がすような声が聞こえるだけでなく、ぱたぱたと軽いスリッパの音が玄関へと向かってくるはずだ。

 けれど、今日は家の中が静まり返っている。


「誰にも迎えられないって、寂しいもんだな……」


 先日も悠斗の方が美羽より先に帰ってきていたのだが、今のような気持ちを抱かなかった。

 おかしなものだと苦笑を落とすが、そもそもあの時の悠斗の内心は焦り等のもやで一杯だったのだ。

 単に、寂しさを感じる余裕がなかっただけなのかもしれないと思いなおす。

 とはいえ、胸に沸き上がる気持ちは消えてくれない。

 美羽が居ない理由が分かっていても身勝手な呟きを零してしまい、首を振って余計な感情に蓋をする。

 

「美羽は俺の為に頑張ってくれてるんだ。我儘を言うのだけは駄目だろ」


 自分自身に言い聞かせるように呟き、リビングへと向かった。

 机に弁当を置いて二階に上がるつもりだったが、ふと静寂に包まれたリビングを見渡す。


「……おかしいな、こんなに広かったっけ?」


 高校生になったばかりの頃は広いと感じず、むしろ一人で自由気ままに振る舞えるこの空間が好きだった。

 しかし改めて眺めると、こんなにも広く、冷たく感じてしまう。

 普段聞こえる食器や料理の音がしない事に、これほど心が揺さぶられるとは思わなかった。


「とりあえず、飯にするか」


 ぼうっとしていても何も起きないと、気持ちを切り替えてコンビニ弁当を電子レンジに放り込む。

 久しぶりに使った気がして妙な懐かしさを感じつつ、弁当を温めている最中に二階で着替えを終えた。

 再び一階に降りて十分に温まった弁当を口にするが、少しも胸は温まらない。


「コンビニ弁当ってこんな味だったか?」


 食べるのは久しぶりだが、決して不味くはないはずのコンビニ弁当に違和感を覚えて首を傾げた。

 いくら美羽の料理に舌が慣れているとはいえ、朝や昼は美羽の料理ではない。それに、朝に至っては今食べている物とそう変わらないおにぎりだ。

 それでも、ただ空腹を満たす為に口を動かしているように思えてならない。


「というか、こうして一人で飯を食べるのは久々だな。最後に食べたのは十月半ばくらいだっけ」


 昔はこの家に居ながら、一人で飯を食べるのが当たり前だったのだ。

 しかし気が付けば、前に一人で食べた日を詳しく思い出せなくなっている。

 とっくに美羽と一緒に居るのが当たり前になっているという事実を突きつけられ、悠斗の頬が緩んだ。


「……本当に、ずっと一緒だったんだな」


 小さな体で悠斗を支えてくれる少女には、どれだけ感謝しても足りない。

 だからこそきちんと納得のいく想いの伝え方を考えなければならないが、それはそれとして普段のお礼もしなければ。

 残念ながらあまりお礼を出来ているとは思えないので、こういう日こそ悠斗の頑張りどころだろう。

 コンビニ弁当を掻き込みつつ何かないかと考えれば、週末にやらなければならない事を思い出した。


「ごちそうさまでした! よし! 家の掃除をするか!」


 美羽は今週だけでなく来週も綾香の家に行く。

 最近では美羽が手伝ってくれて一緒に掃除していたが、今週と来週は当然ながら悠斗だけで掃除だ。

 サボった結果、帰ってきた美羽に掃除を行わせてはならない。

 パンと手を合わせて乾いた音を出し、気合を入れて立ち上がるのだった。





 隅々まで掃除していたせいでもあるが、やはり一人で一軒家を掃除するのは時間が掛かった。

 何とか終わらせはしたものの、とっくに日が傾いている。

 達成感と疲労感に満たされた体をリビングで休ませていると、玄関から鍵の開く音がした。


「……ん。帰ってきたか」


 先日も同じ事をしたが、美羽が悠斗をいつも迎えてくれるように、今日も美羽を迎えに行く。

 走りはしないが急いで玄関に向かうと、美羽がこちらに背を向けて靴を脱いでいた。


「おかえり、美羽」

「……え?」


 美羽が勢いよく振り向き、顔に驚愕を張り付けて瞳を大きく見せる。

 先程の会話のどこに驚きがあったのか分からず首を傾げた。


「この前も迎えに来ただろ。どうしてそんなに驚くんだよ」

「おかえりって、言ってくれたから……」

「……あ」


 普段は「上がってくれ」というような事を言っていた気がする。

 しかし日中美羽が居ない寂しさを感じたからか、つい家族のような言葉を掛けてしまったらしい。

 いくら悠斗の想いが美羽に伝わっていても、流石にここを我が家だとは思えないはずだ。

 指摘されてようやく失言に気付き、羞恥が沸き上がってくる。 


「ご、ごめん。嫌だったか?」

「嫌じゃないよ! むしろ嬉しいから!」


 美羽が頬を真っ赤に染め、髪がなびく程に勢いよく首を振った。

 それだけでなく余程嬉しいのか、にやつく頬を抑えている。

 こんなにも喜んでくれるのなら、もっと早く言っておけば良かったかもしれない。

 とはいえ、美羽を迎える事など殆どないのだが。


「なら良かった。……じゃあ、今度からさっきのように言おうか?」

「お願いします! というか、やり直しさせてください!」


 念の為に確認すれば、美羽が頬をゆるゆるとさせ、先程まで脱ごうとしていた靴を再び履いて立ち上がった。

 すぐにこちらへと振り向き、期待に潤んだ瞳が悠斗を見上げる。


「ね、ね! もう一回!」

「はいはい、分かったよ。おかえり、美羽」

「ただいま、悠くん!」


 にへらと溶けるように眉尻を下げ、幸せそうに笑う美羽が溌剌とした声を上げた。

 未だに想いを伝えてすらいないのに家族になった気がして、悠斗の頬も緩む。


「何か、こういうの、いいな」

「ふふ、そうだね」


 客人として扱わない挨拶を口にした事がむず痒く、美羽と二人して玄関で笑い合うのだった。

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