第99話 タイミングが良いのか悪いのか

「あらあら、悠斗が迷惑を掛けてごめんなさいね」

「大丈夫ですよ。おじいちゃんも喜んでましたから」

「いや、もう、そこまでにしてくれ……」


 悠斗の暴露話は晩飯時も続き、クリスマスだけでなく正月の事すらバラされてしまった。

 両親に嘘をついた件は怒られずに済んだが、あまりに恥ずかし過ぎて顔を上げられない。


「まあまあ。認められて良かったじゃないか」

「……それを今言わないでくれよ、父さん」


 きちんとした言葉ではなかったが、丈一郎に美羽の傍に居る事を認められたのだ。

 嬉しくはあるものの、正臣の言葉で更に羞恥心が煽られて顔をしかめる。

 悠斗達のやりとりが盛り上がっている美羽と結子に聞こえなかったのがまだ幸いだ。

 ホッと息を吐き出して心を落ち着かせると、先程の正臣の発言に疑問を覚えた。


「というか、父さんは俺の気持ちに気付いてたのか?」

「親としてずっと悠斗を見てきたんだ。二人が話しているのを見た瞬間に分かったよ」

「俺が自覚するよりも先だったんだな……」


 どうやら、悠斗よりも先に正臣の方が悠斗の気持ちに気付いていたらしい。

 敵わないなと呆れたくもあり、筒抜けだった事で逃げ出したくもある。

 がっくりと肩を落とすと、正臣が穏やかな目で見つめてきた。


「東雲さんの事情も解決したようだし、流石は私の息子だね」

「俺は背中を押しただけだよ。でも、美羽の力になれて良かったと思ってる」


 ほんの少しだけ前向きに告げれば、正臣の瞳が驚きに見開かれる。

 その後微笑ましそうに細められ、唇が弧を描いた。


「ふふ、やはり悠斗は随分変わったね」

「そうかな。だったら、それは美羽のお陰だ」


 クリスマス以降、悠斗の心は随分と軽くなった。

 自信、とまではいかないが、以前よりも前を向けている気がする。

 しかしそれでも踏み込めない事はあり、考えるだけで悠斗の眉が下がった。


「……でも、その先に進む勇気が、ないんだ」


 男として情けない事だとは分かっている。

 けれど、いつか美羽が茉莉のようになるのではと思うと、どうしても進めないのだ。

 ぽつりと弱音を吐き出せば、少し骨張った手が悠斗の頭に触れた。


「焦る必要はないよ。悠斗には悠斗のスピードがあるんだからね。けど、東雲さんの事をないがしろにしてはいけないよ?」

「それは、分かってる。美羽への感謝を忘れた事はないよ」


 丈一郎にも言われているし、そもそも美羽への気遣いを忘れた事などない。

 しっかりと頷くと、大人びた父も頷きを返してくれる。


「ならいい。応援してるよ」

「……ありがとう」

「あら、私達が盛り上がったからって正臣さんに慰められてたの?」


 ちょうど話が一段落したのか、それとも正臣が悠斗の頭を撫でた事で気付いたのか、結子が話を振ってきた。

 別の話で慰められはしたが、正直に話すのもしゃくなので、じっとりとした視線を送る。


「誰が慰められるか。どうせ止めても無駄だったくせに」

「……もしかして、話し過ぎて怒ってる?」


 つんと冷たい態度を取ると、悠斗が怒ったと勘違いしたのだろう。美羽が悠斗の袖を引っ張ってきた。

 じっと悠斗を見上げる澄んだ瞳は潤んでおり、小動物的な可愛らしさを醸し出す。

 そんな美羽に文句を言えるはずもなく、がしがしと頭を掻いた。


「怒ってない。母さんがからかってくるのが嫌だっただけだ」

「ほんとう?」

「ああ」

「……良かったぁ」


 ホッと肩を下げる美羽の態度からすると、結構気にしていたらしい。

 慰める為に美羽の頭へ手を伸ばそうとしたが、両親の前だと思いなおして止めた。

 不自然に止まった手を見て、結子が意地の悪い笑みを浮かべる。


「私には文句を言うのに、美羽ちゃんには甘々ねえ」

「煽ってくる母さんが悪いだろ」

「私は事実を言っただけよ? その手だって――」

「ああうるさいうるさい! 変な事を言うな!」


 悠斗の羞恥を沸き上がらせる言葉を強引に切り、晩飯を掻き込む。

 癇癪かんしゃくを起した子供のような悠斗の態度に、悠斗以外の全員が笑うのだった。





「何というか、もうそこが定位置だよなぁ」


 晩飯を終えて美羽と一緒に自室でのんびりするのは、この冬休みの日常と言ってもいい。

 悠斗のベッドの上でだらりとくつろぐ美羽からは「ここがお気に入りだ」という思いが伝わってくる気がした。

 幸いな事にシャツのボタンを留めているか、悠斗の枕を抱いているので胸元は見えない。

 下もロングスカートなのでまだ安心だ。とはいえ、今日も今日とて真っ白なふくらはぎが見えているのだが。


「んー、だめー?」


 間延びした口調とゆるゆるの笑みからは、気を抜いているのが分かる。

 なぜそんな態度を取るのかは何となくだが分かっており、だからこそ悠斗の胸がくすぐられた。


「駄目じゃないけど、生足が見えてるぞ」


 今更指摘するのもどうかと思ったが、これくらいはやってもいいはずだ。

 スカートの奥が見えなくて良かったと胸を撫で下ろすと、美羽が跳ね起きて自らの足を確認した。


「……えっち」


 うっすら赤らんだ悩まし気な顔で告げられて、悠斗の頬が僅かに熱を持つ。

 確かにセクハラと言われてもおかしくはないが、悠斗だけが責められるのは納得がいかない。


「男の部屋で油断するからだ。前に大変な事になったのを忘れたのか?」

「確かに、そうだけど……。もしかして興味あるの?」

「はあ!? 何でそうなるんだよ!?」


 心臓に悪過ぎる話題に吹き出しそうになってしまった。

 素っ頓狂な声で問い詰めると、頬をほんのりと赤く染めた美羽がベッドの縁に座って足を延ばす。

 柔和な表情にはどことなく色気があり、呻きそうになった。


「だって見てたんでしょ? だから興味あるのかなって」

「さっき俺を怒った人が言うセリフじゃないよな、それ」

「別に怒ってた訳じゃないよ。恥ずかしくて言っちゃっただけ」

「それなら、変な事を言うのは止めておけって」


 恥ずかしいのに、悠斗を挑発するような言葉を言わないで欲しい。

 リビングに両親が居るとはいえ、今は二人きりなのだ。

 下手をすると襲ってしまうかもしれない。

 早まる心臓の鼓動を抑えつつ表情だけは取り繕って告げれば、美羽が甘さを滲ませた笑顔を浮かべた。


「変な事じゃない。悠くんになら、見せてもいいよ?」

「お、おい、美羽!」


 悠斗の静止の言葉を聞かず、美羽がゆっくりとスカートを持ち上げていく。

 何度も見ているはずの細く、真っ白な足が少しずつ露わになっていくだけなのに、なぜかごくりと唾を飲み込んでしまった。

 柔らかそうな太腿が僅かに見えたところで、美羽の手が止まる。


「ねー、悠くん。見たい?」

「それ、は……」


 正直なところ、美羽の足を見たいという気持ちは大きい。しかし、こんな状況でその先を見ていいのだろうかという疑問も沸き上がる。

 ぐるぐると思考を迷わせていると、美羽がはにかみにも似た色気のある笑みを悠斗に向けた。


「悠くんが見たいって言うなら――」

「美羽ちゃん? もう遅い時間だけど、帰らなくて大丈夫かしらー?」


 普段の悠斗達ならこれくらいの時間でも問題ないのだが、心配になったのだろう。扉越しの結子の声が美羽の言葉を遮る。

 美羽と二人して、結子が二階に上がってくるのに気付かなかったらしい。

 甘い蜜のような空気が消え去り、ドッと疲れが押し寄せてきて大きく息を吐き出す。


(助かった、でいいんだろうか)


 美羽の太腿を拝めずに残念な気持ちはある。けれど、あのまま進んでいたら良くない気がした。

 美羽も今更になって羞恥が込み上げてきたのか、頬だけでなく栗色の髪の隙間から見える耳すら真っ赤にして俯いている。


「あ、あう、その……」

「……帰るか?」

「………………うん」


 気まずい空気の中、美羽と一緒に外に出る。

 一言も話さず視線すら合わせない悠斗達を見て、結子が首を傾げた。


「もしかして邪魔しちゃったかしら?」

「……ノーコメントで」


 怒りたいような、感謝したいような複雑な気持ちで結子に小さく応えたのだった。

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