第100話 旅行スタート
「あの、今回も送れずにすみません」
両親が帰ってきて数日後の朝。美羽が玄関先で正臣と結子に頭を下げている。
側にはキャリーバッグがあり、出掛ける用意は完璧だ。
しかし蓮と綾香から誘われた温泉旅行に行くと、その間に正臣達が出張先へ帰ってしまう。
初めて知った時も美羽がショックを受けて正臣達に慰められていたが、未だに気に病んでいるようだ。
とはいえ正臣と結子は気にしておらず、二人の顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。
「私達の事なんて気にしないでいいのよ。楽しんできなさい」
「結子の言う通りだよ。それに、私達は悠斗と東雲さんの様子を見に来ただけだからね」
「でも、今回こそは送ろうと思ってたんですよ……」
美羽がぽつりと言葉を零し、今にも泣きそうなくらいに顔を歪ませる。
このままでは美羽が気持ち良く旅行に行けないと思ったのか、いつかと同じように結子が美羽を撫でた。
「今回は運が悪かっただけよ。それに折角の旅行なんだから、笑顔で行ってくれると嬉しいわ」
「……はい! 行ってきます!」
美羽がぐっと唇を噛むが、すぐに笑顔を浮かべて結子と正臣に明るい声で挨拶する。
丈一郎には悪いが、親子のような会話に頬が緩んだ。
「ケガしないようにね、悠斗。それと、美羽ちゃんをエスコートしなさいよ?」
「気を付けて行ってくるんだよ」
「分かってる、父さんと母さんも気を付けて。……それじゃあ、行ってきます」
両親に呆れを混ぜた笑みを返して玄関の扉を開けると、門の前に高級車が停まっているのが見える。
閑静な住宅街には場違いとも思える車の中から、これぞ清楚美人と言える少女と、悠斗が逆立ちしても敵わない程の顔の整った男子が出てきた。
「こんなに朝早くにすみません。暫くの間、お二人を預からせていただきますね」
「もし何かあれば、元宮と風峰の名に
綾香もそうだが、蓮の普段とは違う
たかが旅行に行くだけなのだから、堅苦しい挨拶など必要ない。
こういう所は別世界の人間だなと苦笑すると、驚きに目を見開いていた正臣達が微笑ましそうに笑った。
「あらあら、そんなに気負わなくていいわよ。皆で楽しんできてね」
「そうだよ。庶民派の悠斗と東雲さんを驚かせてやってくれ」
「はい。必ず」
「お任せ下さい」
にこにこと楽しそうな笑顔を浮かべて、両親が家の中に入っていく。
その後ろ姿を見送ると、蓮の雰囲気が普段の緩いものに戻った。
「さて、行きますかねぇ」
「変わりようが凄いな。二重人格かよ」
「こういう時は礼を尽くすべきなんだよ。
へらりと笑いながら、蓮が車に乗り込む。
頼もしくはあるものの、そこまでしなくてもいいだろうと思いながら後に続いた。
走り出した車は数十分後には目的地に着き、旅行鞄を持って車から降りる。
事前に告げられていたとはいえ、こういう所は庶民と同じなのだと目の前の駅を眺めて苦笑した。
「で、新幹線で移動と。失礼を承知で言うなら、長距離用の車とか用意してると思ったぞ」
「馬鹿なことを言うなって、何時間掛かると思ってるんだよ。使えるものは使わないとな」
「私達も公共の乗り物を使うんですからね?」
「そりゃあそうですよね」
車での移動よりも、新幹線を使った方が早いのは分かる。
現実的な意見に頷くが、蓮がにやりと笑んだ。
「ジェット機とか持てるくらいの家じゃないしな。でも、飛行機の高級席にした方が良かったかもな」
「いや、そこまでしなくていいだろ」
そんな場違いなものを利用するつもりはない。
隣の美羽もぶんぶんと勢いよく首を振っている。
庶民二人の遠慮する姿を見て、綾香が悪戯っぽく目を細めた。
「とはいえ、新幹線も一番良い席を予約してあるんですがね」
「あぁ、そういう所はしっかりするんですね……」
今回の旅行の事前準備は蓮と綾香がやると言っていたので、完全に任せていた。
その結果飛行機は免れたものの、やはり豪華な旅は変わらないらしい。
嬉しさと申し訳なさを混ぜた笑みを浮かべると、からからと蓮が笑った。
「折角の旅行なんだから、伸び伸びと行こうぜ。でもお金は全額とはいかなくても、ある程度は払ってもらうからな」
「こんなに良くしてもらってるんだ。当然だっての」
「うん。タダで行く旅行なんて楽しめないよ」
ここまでしてもらっているのに一銭も払わないのは、どう考えても間違っている。
決して奢られるつもりはないと美羽と一緒に伝えれば、蓮が駅の方へと身を翻(ひるがえ)した。
「うし。それじゃあ行きますかね」
蓮の声に押されて駅のホームに入ると、すぐに新幹線が来た。
蓮が予約してくれた席は四人が向かい合って座れる席であり、十分に足を伸ばせるスペースもある。
ふかふかの席の座り心地に感心していると、蓮がぐったりと力を抜いた。
「あ゛ー、つっかれたぁ……。旅行に行くからって予定を詰め込みやがって。あの親父覚えとけよ」
「もしかして、昨日までずっと連れ回されてたのか?」
「おう。こういう時ばかりは嫌になるぜ……」
「まあ、なんだ、お疲れさん」
やはり良家の年末年始は忙しいようだ。先程まである程度気を張っていたのは、綾香の車の中だったからなのだろう。
こうしてだらけているのは全員の親がいないからなのだが、だからこそ疑問が浮かんだ。
「それはそうと、よく高校生四人での旅館の予約が出来たな。普通こういうのは保護者同伴なんじゃないか?」
「普通はな。でも、今日行く旅館は母さんの知り合いなんだ。その
「そういう事か。じゃあ何か
「おう。それでも親の目がないだけマシだがな。はぁ……」
普通では考えられない程の自由の代わりに、旅館ですら他人に監視紛いの事をされるのは、想像だけでもあまりいい気分ではない。
だからなのか、普段の蓮では考えられないくらいの大きな溜息を零した。
見栄を張るのも大変だなと渋面を作ると、綾香が蓮をほんのりと睨む。
とはいえ整い過ぎている顔立ちは、いつにも増して疲れているように思える。
「人前ではしたないですよ。悠斗さんや美羽さん以外も居るんですからね?」
「そういう綾香だって、ようやく気が抜けて安心したんだろ? 顔に出てるぞ」
「そう、ですね。はあ……」
「ゆっくりしていいですよ。高校生の旅行じゃないですか、気楽に行きませんか?」
はしゃいだりする事はあれど、綾香が重い溜息を吐き出す所を初めて見た。
流石に心配になったのか美羽が慰めると、力のない笑みを綾香が浮かべる。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきますね」
ぴんと伸ばしていた背筋を曲げ、綾香が座席に体重を預けた。
気を抜けた綾香の姿に、蓮が慈しむように目を細める。
「気を張らなくていい友人が出来て良かったな」
「もう、何を言ってるんですか! 余計なお世話ですよ!」
「痛い痛い、悪かったって」
子供っぽく叩いてくる綾香をあやす蓮は、これぞ彼氏と言わんばかりの雰囲気だ。
唐突に甘い雰囲気をぶつけられ、美羽と二人して苦笑する。
何も言わずに見守っていると、綾香が気まずそうに咳払いした。
「……えっと、防寒着は多めに持って来ましたか? 目的地は温泉街ですので、結構冷えますよ?」
「大丈夫ですよ。ちゃんと準備してきました」
事前に蓮から聞いており、準備は万端だ。美羽も結子に連れられて先日買い物に行っている。
悠斗がいると悪目立ちしそうだったので一緒に行かなかったが、その際に美羽に不満気に睨まれた事を思い出して、そっと苦笑を零した。
「
「わあ! 凄いね、悠くん! 雪合戦とか出来るかな!?」
雪が積もると聞いて、美羽のテンションがいきなり上がった。
普段生活してる際にはあまり興味なさそうだったが、こういう時は別なのだろう。
あまりのはしゃぎように悠斗の腕を掴んで勢いよく振っているので、抑えてもらう為に美羽の頭へと手を伸ばした。
「落ち着けって。焦らなくても着くから、な?」
「えへへ、そうだね」
撫でた瞬間に美羽が落ち着きを取り戻し、ふにゃりと緩みきった笑みを浮かべる。
ホッと胸を撫で下ろすと、目の前の二人が生暖かい目をしているのに気が付いた。
「今、自然に頭を撫でたなぁ」
「美羽さんも嬉しそうでしたねぇ」
にやにやとした笑顔で指摘され、美羽の頭から手を離す。
正臣達の前では未遂で終わったが、今回は完全に撫でてしまった。
羞恥が沸き上がってきて、悠斗の頬を炙っていく。
「……これは、その」
「ああいや、変な事を言って悪かった。続けてくれ」
「私達の事はお気になさらず。壁とでも思ってください」
「そんな事出来ませんよ……」
あまりに恥ずかしくて、今すぐこの場を逃げ出したい。
けれど悠斗よりも深刻な状況になっている人が隣に居るので、落ち着く事が出来た。
「あ、あわわ。ど、どうしよう、ゆうくん……」
視線をあちこちさ迷わせ、耳まで真っ赤に染めた美羽が取り乱している。
なんとか冷静になってもらおうと、何も考えずに美羽の頭へと再び手を伸ばすが――
「「……」」
じいっと四つの瞳に悠斗の行動を凝視され、空中で手を止めた。
何とも言えない空気の中で手を下すと、意地の悪い声が聞こえてくる。
「撫でて落ち着かせないのか?」
「やらねえよ!」
「あ、あう……。はぅ……」
「あぁ、美羽さんが可愛すぎます……!」
「なんなんだよ、これ!」
ごちゃごちゃした状態に途方に暮れた声を上げる。
旅行が始まったばかりなのにも関わらず、前途多難だと思うのだった。
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