第96話 久しぶりの両親

 三が日も過ぎ、両親が家へと帰ってきた。

 一日を殆ど悠斗の家で過ごしているとはいえ美羽にも事前に連絡しており、今は両親へと頭を下げている。


「あけましておめでとうございます。正臣さん、結子さん」

「あけましておめでとう。東雲さん」

「あけましておめでとう。今年もよろしくね、美羽ちゃん」

「はい」


 以前は唐突に会ったせいで美羽が取り乱したが、今は普段通りのお淑やかな態度だ。

 むしろ以前両親に会った時とは違って心のつかえが取れているからか、変な気負いがない気がする。

 三人が一通り新年の挨拶を済ませると、結子が「そういえば」と呟いた。


「悠斗もそうだけど、美羽ちゃんは初詣に行ったのかしら?」

「行ってないですね」

「……悠斗?」


 美羽の返事を聞いて、じろりと結子が悠斗を睨む。おそらく、美羽を初詣に連れて行っていない事に怒っているのだろう。

 確かに初詣には行っていないし、美羽とそんな話もしなかった。

 けれど、決して考えなしだった訳ではない。


「美羽さえ良ければ、今日か明日の人が少なくなった時に行こうと思ってたんだ。嘘じゃない」


 美羽が人目を引く容姿だというのもあるが、単純に人が少なくなってから行きたかった。

 取って付けたような言い方になってしまい、必死に弁明する。

 事前に伝えておけば良かったと後悔すると、美羽が目を輝かせた。


「え、一緒に行ってくれるの!?」

「家の近くの神社だし、同じ高校のやつに会わないからな。まあ、それくらいなら」


 茉莉や直哉、もしくは同じ中学校だった人達と会う可能性はあるが、それを言い出したらキリがない。

 少なくとも悠斗と美羽の学校生活は守られるのだから、負っても良いリスクだろう。

 それに、初詣に行くだけでこんなに喜んでくれるのだ。人混みくらい耐えてみせる。

 悠斗の言葉に、結子がようやく表情を柔らげた。


「ならよし。悠斗一人なら行かなくても許せたけど、美羽ちゃんも行ってないのは駄目だからね」

「あの、そこまでしてもらわなくても……」


 悠斗だけなら許されたのか、美羽の方を優先するのかと文句を言いたくはある。

 しかし結子が美羽を気に入っているのは確かなので、ひっそりと苦笑するだけに留めた。

 美羽も眉を下げて苦笑するが、結子がご機嫌な笑みで美羽に近付く。


「そうだ。美羽ちゃんって着物は持ってるかしら? 持ってないなら借りるか買いに行きましょう?」

「着物で行くのかよ。……まあ、別にいいけどさ」


 両親が買ってくれたので着物は持っている。けれど準備が面倒なので、私服で行こうと思っていた。

 どうやら結子は違うようで、悠斗が渋々ながらも承諾すると、美羽へと改めて問いかける。


「という訳で、どうかしら、美羽ちゃん?」

「持ってます、持ってますから! 借りるとか、買わなくていいです!」


 流石に着物となれば美羽も遠慮するらしい。淡い栗色の髪が大きくなびく程に首を振った。

 おそらくだが、仁美が買い与えたのだろう。その目的はあまり喜べるものではないはずだ。

 とはいえ、手間が省けるのは有難い。


「なら、一度美羽を家に送るよ。美羽が着替え終わる頃に迎えに行くけど、それでいいか?」

「うん、それでお願い」

「じゃあ行くか」


 こうして、悠斗達の唐突な初詣が始まった。





 結子に着替えさせてもらい、連絡が来たので東雲家へと向かった。

 呼び鈴を鳴らすと、「はーい」という鈴を転がすような声の後に玄関の扉が開く。

 そこにはあまりにも可憐な、人形とも思えるくらいに可愛らしい少女がいた。

 口からは溜息しか出て来ず、まじまじと目の前の高嶺の花を眺める。


(美少女だとは思ってたけど、着物も似合うなぁ……)


 赤の布地に花をあしらった着物は、美羽の穏やかで明るい雰囲気にとても合っている。

 腰まである栗色の髪は今はかんざしで纏められており、普段とは違った上品さを醸し出す。

 うっすらとだが化粧をしているようで、妙な色っぽさがあるのがこれまた狡い。


「……ど、どうかな?」


 美羽がほんのりと頬を赤らめて、上目遣いで悠斗を見つめた。

 魅力的な容姿にこれまた魅力的な仕草が合わさって、悠斗の心臓が痛いくらいに跳ねる。


「に、似合ってる。本当に、綺麗だぞ」


 つっかえそうになる口を必死に動かし、しどろもどろなりながらも正直な感想を伝えた。

 頬の熱さが自覚出来るので、悠斗の顔は真っ赤だろう。


「えへへ、やったぁ。頑張ったかいがあったよぉ……」


 美羽が瞳を蕩けさせ、歓喜が溢れんばかりに笑む。

 もじもじと忙しなく体を揺らしているのも相まって、撫でたくなってしまった。

 つい手を伸ばしてしまうが、美羽に触れる直前で引っ込める。


「撫でてくれないの?」

「……髪が乱れるだろうが。折角綺麗にしてるんだし、今は駄目だ」


 たかが初詣の為にここまで着飾ってくれたのだ。

 まだ神社についていないにも関わらず、悠斗の手で崩す事だけは絶対にしてはいけない。

 撫でたいという気持ちは本当なのでそっぽを向きつつ告げれば、美羽がへにゃりと眉を下げる。


「なら、後でいっぱい撫でてね」

「分かったよ」

「……お前らは玄関で何をしているのだ?」


 美羽と二人して笑っていると、呆れきった声が耳に届いた。

 体の熱が急激に下がり、ゆっくりと玄関の奥に視線を向ける。

 そこには、刺さりそうな程に鋭い視線を悠斗に向ける老人が立っていた。


「あ、これは、その……」


 美羽の着物姿に見惚れて正常な判断が出来なかったが、当然ながらここには丈一郎も居るのだ。

 褒めるだけならまだしも、撫でるという宣言は玄関でやるべき事ではない。

 妙な気まずさにどうやってこの場を切り抜けようかと混乱した頭で考えていれば、丈一郎が大きな溜息をついた。


「美羽の姿を褒めた事と、髪を崩さなかったのはまだいい。だが、玄関で長い事話すな。さっさと行け」


 丈一郎が白けたような目で悠斗達を見つめ、しっしっと追い払うような仕草をする。

 どうやら怒るつもりはないようだが、その発言からは悠斗達のやりとりが全て見られていたことが分かってしまった。

 あまりに恥ずかし過ぎて、悠斗の頬に再び熱が灯っていく。


「はい、すみません!」

「い、行ってきます、おじいちゃん!」

「気を付けてな」


 すぐにでも逃げ出したくて、頭を下げてから東雲家を後にする。

 最後に聞こえた声には、美羽への気遣いがこもっていた。


「追い出されちゃったね」


 家を出ると、美羽が申し訳なさと恥ずかしさが混ざった苦笑を浮かべる。


「そりゃあそうなるよなぁ。はぁ……」


 以前の泊まりの際は美羽の髪を乾かしたり一緒の布団で寝たところを丈一郎に見られていたが、それ以外の変な事はしていなかった。

 けれど、先程は美羽に見惚れていた姿を思いきり見られたのだ。

 次に会う時にどんな顔をすればいいか分からず、がっくりと肩を落とす。


「まあまあ。あの様子だとそこまで怒ってないみたいだし、いいじゃない」

「そこが唯一の救いだな」


 丈一郎に怒られる事があるのなら、悠斗が余程の事をした時だ。

 先程の丈一郎の態度は結構怒っていた気がするが、美羽が大して怒っていないというなら大丈夫に違いない。

 とりあえず後で考えればいいと脇に置くと、美羽の表情がふっと和らいだ


「そうだ、悠くんも着物似合ってるよ。かっこいい」

「……ありがとな」


 甘い蜜をしみ込ませたような言葉に、どくりと胸が鼓動する。

 嬉しさに緩みそうになる頬を抑えながら答えれば、美羽がむっと頬を膨らませた。


「なんだか反応が薄い気がするなー」

「滅茶苦茶嬉しかったっての。まあ、俺より格好いい人なんて山ほどいるけどな」


 もちろん褒めてくれたのは嬉しいが、悠斗は平凡な見た目だ。

 嘘を言われたとは思っていないものの、素直には受け取れない。

 皮肉を言うと、美羽がじっとりとした目つきになった。


「……そうじゃないよ。ばか」

「え、何で罵倒されたんだ?」


 露骨に不機嫌になった美羽に尋ねれば、つんと美羽がそっぽを向く。


「自分の胸に聞いてください」

「そこを何とか」

「ふんだ。しらない」

「頼むよ美羽、この通りだ」

「やだ」


 手を合わせて頭を下げるが、美羽の機嫌は直らない。

 何とか美羽のご機嫌を取り続け、美羽が普段通りの平静な表情に戻ると、ちょうど目的地に着いた。

 視線を神社の中に巡らせ、思いきり顔をしかめる。


「滅茶苦茶人が多いな」

「うわぁ、本当だねぇ……」


 三日が過ぎていても、神社には人が多い。

 おそらく悠斗と同じような考えを持っている人達だろう。

 今から目の前の人混みに突撃すると思うだけで、疲れが押し寄せてくる。

 がっくりと肩を落とす悠斗を、美羽が気遣わし気に見つめた。


「大丈夫? 本当に嫌だったら無理せず帰ろう?」

「……いや、行くさ。ここまで来ておいて、初詣せずに帰るのはないだろ」


 何より、美羽がこれだけ綺麗な姿をしてくれているのだ。ここで尻込みするのは、頑張ってくれた美羽への失礼に当たる。

 人混みに負けはしないと意気込みを新たにしていれば、少し冷たく柔らかいものが悠斗の手を掴んだ。


はぐれるかもしれないし、いいでしょ?」

「それなら仕方ないな」


 適当な理由をでっち上げ、真っ白な手を悠斗からも握る。

 少しだけ心を弾ませ、神社へと入るのだった。

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