第93話 寝床はどこ?

「美羽ー、起きてくれー」


 深夜を過ぎ、自室だからと気を抜いて寝てしまうのは理解出来る。

 けれど、美羽が膝の上で寝ているのだ。こんなもの、悠斗からすれば落ち着ける訳がない。

 心臓がうるさいくらいに音を立てているのを自覚しつつ、一度起こさなければと頬を軽く叩く。

 声を掛けながら瑞々しい頬に何度も触れると、ようやく美羽が目を開けた。


「ん、ぅ……。なぁに?」


 とろみを帯びた瞳は吸い込まれそうな程に綺麗で、ずっと見ていたいとすら思う。

 けれど、今はそんな場合ではない。欲望をぐっと抑えて肩を掴んだ。


「寝るならちゃんと布団に入って寝てくれ。風邪引くぞ?」

「えー、ゆうくんの、ひざが、いい……」


 普段の美羽の声は幼げだが、芯が通っているような聞きやすさがある。

 けれど眠気に浸された今の声は、完全に舌足らずで非常に可愛らしい。

 いやいやと悠斗の膝に頬ずりされて、一瞬だけ決意がぐらついた。

 んんっと咳払いをして、意思を固める。


「駄目だ。またしてやるから、今日は退いてくれ」

「ほんとぉ?」


 あまりの愛らしい姿につい条件を出すと、美羽がとろみを帯びた笑みを浮かべた。

 変な事を言ってしまったかと後悔したが、この状況を解決するのが一番だ。後の事は後で考えればいい。


「ああ。だから、ちゃんと布団で寝てくれ」

「はぁい」


 のろのろと美羽が立ち上がったので、すぐにベッドから離れる。

 美羽がきちんと布団に入った事を確認してホッと一息つくと、ふと疑問が浮かんだ。


「……あれ? 俺ってどこで寝るんだ?」


 丈一郎からは寝床を教えられていない。同じく美羽も言っていなかったはずだ。

 夏場なら廊下等で寝ても問題ないのだが、真冬の今では凍えてしまう。

 どこで寝るにしても、毛布は欲しい。

 申し訳ないと思いつつ、再び眠りの国へ行こうとまぶたを閉じかけている美羽の肩を揺する。


「なあ美羽。廊下で寝るから、毛布の場所を教えてくれないか?」

「もうふ……? そんなの、いらない。ここで、ねよ?」

「は?」


 一番有り得ない提案をされ、呆けた声が出てしまった。

 ここは美羽の部屋なのだ。丈一郎にバレてしまえば、激怒はされないだろうが小言を言われる気がする。

 そもそも、女性の部屋で一緒に寝るのはいかがなものかと思う。

 お互いにどんな想いを抱いていようと、今の悠斗と美羽はあくまで友人なのだから。

 けれど悠斗の葛藤かっとうをよそに、美羽が布団を広げて手招きする。


「ほらぁ、おいで?」

「いや、でも――」

「おーいーでぇ?」

「……分かった」


 全てを受け入れるような緩みきった笑みに、悠斗の意思はあっさりと負けた。

 これは美羽から誘った事なのだと言い訳をし、けれど明日怒られる覚悟をして、布団の中に入る。


「んー、ゆうくんだぁ……」


 背を向けようとする前に、小柄な体型を生かして美羽がするりと悠斗の腕の中に入ってきた。

 これほどまでに密着してしまうと、どうしても美羽の体つきを意識してしまう。


(細いし、柔らかいし、いい匂いだし、もう訳が分からん)


 華奢で細すぎるが女性らしい柔らかさを備えた体は、腕の中の女性が子供などではなく、悠斗と同じ年の女性なのだという事実を、容赦なく悠斗へと叩きつけてくる。

 美羽が普段寝ている場所だからか、ミルクのような甘い匂いが強すぎて、悠斗の心臓を虐めてくるのも辛い。

 更に良くない事として、美羽が悠斗の胸に頭を押し付け、ぐったりと体の力を抜いている。

 悠斗の理性をガリガリと削る大量の情報に、頭が破裂しそうだ。

 このままではおかしくなってしまいそうで、美羽を引き離すべく肩を掴む。 


「おい、くっつくなって。離れろ」

「やー。このまま、ねるの」

「頼むから、な?」

「や! ぜったいにいや!」


 宝物を取られたくない子供のように、美羽が悠斗を抱きしめた。

 幼い口調で告げられたが、先程の強い言葉には確かな意思が込められていたように思う。

 この状況で無理矢理引きはがす事など悠斗には出来ず、大きく溜息をついて肩の力を抜く。


「ならここで寝るけど、文句言うなよ?」

「いわないよぉ。えへへ、ゆうくんといっしょー」


 美羽がすぐに機嫌を直し、悠斗の胸に頬ずりする。

 こんなに接触しているのなら、悠斗もある程度は我慢しなくていいはずだ。 

 美羽の頭の下に腕を置き、淡い栗色の髪を撫でる。


「きもちー」

「ホント、少しは警戒しろっての」


 ふにゃふにゃの笑みには、悠斗への警戒など欠片も浮かんではいない。

 とはいえ、悠斗の予想が正しければ美羽が警戒しない事も分かっている。

 嬉しいような、申し訳ないような複雑な気持ちで愚痴を零すと、眠気で蕩けた瞳が悠斗を見上げた。


「だいじょぶ、ゆうくんだもん」

「……ありがとな」


 無防備に甘えてくる美羽の言葉に、少しだけ胸が軽くなる。

 今日くらいは、何も考えずに身を寄せ合ってもいいかもしれない。

 あやすように撫で続けていると、だんだんと美羽の瞼が下がってきた。


「もう寝ろ。今日はありがとな」


 一人で年越しをすると覚悟していた身からすれば、今日東雲家に招待された事は本当に嬉しかった。

 先の事や今の状況などの頭を悩ませるものはあれど、後悔はない。

 くしゃりと撫でて感謝を伝えると、美羽が顔を曇らせる。


「やだ。ねたく、ない。まだ、ゆうくん、と……」

「大丈夫だ。美羽が起きるまで、ずっとこうしてるから」

「ぜったい、だよ? やくそく、だからね?」

「ああ」

「ふふ、しあわせ、だよ。しあ、わせ」


 何の憂いもない、言葉通り幸せが溢れ出すような笑みに、悠斗も口元が緩む。


「おやすみ、美羽」

「おや、すみ……」


 長い睫毛に覆われた瞼が、美羽の意識を奪っていった。

 愛しい少女と一緒に寝る事が出来るのだ。これを幸福と言わずして何と言うのだろうか。

 胸に温かなものを宿して目を閉じるが、一向に眠気がやって来ない。

 むしろ、目を閉じたせいで美羽の体の感触や匂いを強く意識してしまった。


「寝れねぇ……」


 未だに心臓が鼓動を早めているし、こんな場所で落ち着ける訳がない。

 溜息をついて胸の中にある少女の顔を見ると、安らかな寝顔をしていた。


「人の気も知らないでさ」


 悪態をつきながらも、悠斗の唇は弧を描いている。

 真っ白で滑らかな頬を撫でると、美羽が「ん」と鼻にかかったような声を漏らした。


「まあ明日も休みだし、何とかなるだろ」


 徹夜を覚悟し、諦め気味に呟く。

 眠気が来ないというのもあるが、この愛らしい寝顔を目に焼き付けたい。

 暗闇の中、悠斗はずっと美羽を撫で続けたのだった。

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