第90話 嘘はバレるもの

『今更だけど、本当に大丈夫なんでしょうね?』

「大丈夫だっての。美羽が晩飯を作りに来てくれるし、平気だって」


 大晦日おおみそかのお昼時。心配になったのか、結子が電話を掛けてきた。

 もちろん、美羽が作りに来てくれるのは嘘だ。

 少しだけ胸が痛むが、実家ではなくとも両親にも休んでもらいたいが為の嘘なので後悔はない。


『それならいいけど。正月すら一緒に居られずにごめんね、悠斗』

「俺から言い出した事なんだ。もう高校生なんだし、気にしないでいいよ」


 実質的な独り暮らし――とは最近呼べなくなってきているが、両親が居らずとも生活出来ているのだ。

 正月を一人で過ごす程度、何も問題はない。

 心配してくれる結子に呆れつつ平気だと伝えると「そうよねぇ」と電話越しの声が少し高くなった。


『高校生だものね。私達が居ると美羽ちゃんと心置きなくいちゃつけないわよねぇ』

「余計な詮索をするんじゃない! 茶化すな!」


 両親に想い人とのやりとりを気遣われる程恥ずかしいものはない。

 それだけでなく、詳しく話していないのに最近の悠斗達の行動を当てられたのだ。

 つい声を張り上げると、電話越しに結子が軽やかに笑った。


『大真面目よぉ。でもそれなら問題ないでしょうし、正臣さんに代わるわね』


 悠斗をからかえて満足したからか、電話越しの声が落ち着いた男性へと変わる。


『今日は甘えてすまないね。大丈夫かい?』

「大丈夫だよ。母さんとゆっくりしてくれ」

『ああ。ちゃんと休んで、年が明けたら帰るよ。ところで、東雲さんの方は大丈夫だったかい?』

「……そういえば伝えてなかったっけ。ごめん」


 正臣に言われて、心配してくれていたにも関わらず結果を伝えていなかった事を思い出した。

 親不孝な息子だなと苦笑を落とす。


「解決したよ。美羽も喜んでくれた」

『ならいいんだ。詳細は帰ってから聞かせてもらうよ』

「話せる範囲でならね」


 悠斗から話せる事はそう多くない。すでに解決したとはいえ、無断で話せる事ではないのだから。

 申し訳なさに眉を下げながら告げると、「分かっているよ」という穏やかな声が返された。


『東雲さんには東雲さんの事情があるからね。それじゃあ悠斗、良い年越しを』

「うん。父さんと母さんも良い年越しをしてくれ」


 短く別れの挨拶をして電話を切る。

 思いきりベッドに倒れ込むと、悠斗のものではない甘い匂いがした。


「……何しようかな」


 僅かに跳ねた心臓の鼓動を聞きつつ独りちる。

 ゲームや読書等、美羽が居ても居なくてもやる事は変わらないのだが、どうにもやる気が出ない。

 何をするでもなくぼんやりとベッドの上で動画を見て、時間を潰すのだった。





 大晦日も夕方となり、流石に晩飯の事を考えなければいけなくなった。

 夜遅くに家を出るのは寒過ぎるので、今のうちに買い物を済ませるべきだと着替えを始める。

 準備を終えて家を出ようとした瞬間、呼び鈴が鳴った。


「こんな日に誰だよ……」


 蓮や綾香が来るはずもないし、美羽は東雲家にいるはずだ。郵便等も来るとは思えない。

 とはいえ誰かが来たのは間違いないと、頭を掻きながら玄関を開ける。

 そこには、にこにこと機嫌良さそうに笑んでいる小柄な少女が立っていた。


「こんにちは、悠くん。それともこんばんは、かな」

「いや、何で居るんだ?」


 今日、美羽が悠斗の家に来る予定はなかったはずだ。

 訳が分からず首を傾げると、美羽がにんまりとした笑みを浮かべて悠斗を見上げる。


「折角だし、一言くらい正臣さんと結子さんに挨拶しようと思ったの」

「あー、悪い。まだ帰ってきてないんだ」


 今日は帰って来ないと言えるはずもなく、適当な事を言って誤魔化した。

 少し出掛けていると答えれば、美羽は間違いなく悠斗の家で待つはずだ。

 そうなってしまえば悠斗の嘘がバレるので、帰ってきていないと言うしかない。

 あまり深くは踏み込まないだろうと楽観的に考えていると、美羽がきょとんと首を傾げる。


「もう大晦日の夕方だよ? そんな事ってあるの?」

「……そういう事もあるだろ」


 はしばみ色の瞳がジッと悠斗を見つめた。

 美羽の表情は笑顔なのに、澄んだ瞳の奥が全く笑っていない気がする。

 真冬の玄関で会話しているはずだが、なぜか悠斗の背中に汗が流れた。


「それと、悠くんは今からどこに行くの?」

「え? 買い物に――」

「買い物? 晩ご飯は結子さんが作ってくれるんじゃなかったのかな?」


 失言だった、と後悔してももう遅い。

 美羽が笑みを深めると同時に、妙な圧力を感じた。


「ねえ悠くん、ちゃんと正臣さんと結子さんは帰ってくるんだよね?」

「そうだ」

「普通、どんなに遅くても昼くらいには帰って来てるはずだよね? それに、結子さんがご飯を作るのに、どうして買い物に行くのかなぁ?」

「お菓子とか、摘まめる物をだな――」

「ゆ う く ん ?」

「……スミマセンデシタ」


 もはや誤魔化しは利かないと、思いきり頭を下げた。

 どこからバレたのかは分からないが、美羽は今日両親が帰って来ないのを確信している。

 顔を上げると、美羽がぷくっと頬を膨らませているのが見えた。


「もう。どうして嘘をついたの?」

「こういう日くらいは、丈一郎さんとゆっくりして欲しいと思ったんだ」

「でも結子さん達が帰って来ないから、私が居ないと悠くんは一人になるよね?」

「……俺の為に急いで父さんと母さんに帰ってきてもらうのは悪いからな。仕方ないだろ」


 全てを隠さずに告げると、美羽が思いきり溜息をついた。

 綺麗な顔には呆れがこれでもかと表れている。


「優しいのは悠くんらしいけど、自分を犠牲にしてまで私や他の人を気遣うのは違うと思うよ」

「いや、別に自分を犠牲にしてなんて――」

「はいはい。とりあえず、今から晩ご飯の買い物に行くんだよね?」

「まあ、そうだな」


 美羽は悠斗の意見を流しつつ、状況の確認をしてきた。

 正直に答えると、美羽がふわりと笑んで手を叩く。


「じゃあ、今から泊まる用意をしてきてくれるかな?」

「は? 泊まるってどこにだよ」


 晩飯を買いに行くはずなのに、どうして泊まる用意が必要なのか分からない。

 あまりにも脈絡のない質問に首を傾げると、含みのある笑顔が向けられた。


「私の家だよ。ちなみに、おじいちゃんには許可を取ってるからね」

「……何で?」

「正確には、おじいちゃんに今日悠くんの両親が帰ってくるって話したら『どうせ嘘だろうから確認してこい。本当に嘘だったら泊まりに来させろ』って言われたの」

「……」


 頭が真っ白になり、口からは吐息しか出て来ない。

 美羽もそうだが、どうして丈一郎は数回会っただけの悠斗の行動をそんなに読めるのだろうか。

 呆然と立ちすくむ悠斗を悪戯っぽい目が見上げた。


「という訳で、晩ご飯を食べるなら私の家でだよ。もちろん泊まる用意もしてもらうから、年越しも一緒だね」

「流石に、それは、遠慮したい、なぁ……」


 いくら丈一郎が許可しているとはいえ、他人の家で年越しをするなどあまりに失礼過ぎる。

 そもそも、以前勝手に帰ってから一度も会っていないのだ。どんな顔で会えばいいのかなど分からない。

 頬を引きらせてやんわりと拒否すれば、美羽の目がすっと細まった。


「ちなみに、拒否すると悠くんが納得するまでここに居るからね。優しい悠くんは寒空の中、私を立たせるつもりかな?」


 冷たさを宿した瞳は少しも笑っていない。

 悠斗が拒否すると、美羽が玄関を動かなくなるのは確実だ。

 そんな事はさせられないと、頭をガシガシと掻きながら口を開く。


「……行くよ。行けばいいんだろ?」

「よろしい。じゃあ準備してきてね」

「はいよ」


 この期に及んで逃げられるとは考えていない。

 すぐに準備を済ませ、東雲家へと歩きだす。


「ちなみに、美羽は気付いてたのか?」

「最初の時点でなんとなくは気付いてたよ。普通大晦日に帰っては来ないからね」

「結局俺の考えはバレバレだったって事かよ」


 初めから疑っていたのなら、丈一郎から言われるまでもなく、今日悠斗を問い詰めようと計画していたのだろう。

 がっくりと肩を落とすと、呆れたと言わんばかりの溜息をつかれた。


「どれだけ悠くんと過ごしたと思ってるの? ああいう嘘は通じないからね?」


 一緒にいた時間もそうだが、嘘が通じない程の濃い生活をしてきたのだと告げられた気がした。

 悠斗の袖を摘まむのも、その生活で積み重ねてきた信頼がゆえだ。

 嬉しさに跳ねる心臓を抑え、何ともないフリをする。


「肝に銘じておくよ」


 下手をすると、そのうち何も言わずとも美羽は悠斗の考えを当ててくるかもしれない。

 そんな日が来る事を想像し、嬉しいような怖いような気持ちで歩くのだった。

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