第89話 大掃除

「さあ始めるよー!」


 あと数日で一年が終わるという冬休みのある日。軽装の美羽がリビングで溌剌はつらつとした声を上げた。

 むっと握り拳を作って気合いを入れる美羽とは対照的に、悠斗は思いきり頭を下げる。


「大掃除を手伝ってもらって、ホントに悪いな」

「気にしないで。正臣さんと結子さんが帰ってくるのは年末ギリギリなんでしょ? 悠くん一人でこの家の大掃除は大変だよ」


 両親が年末に帰ってくるのは嘘なのだが、悠斗一人で大掃除しなければならないのは間違いない。

 そして美羽の言う通り、一人で一軒家の大掃除は骨が折れるどころの話ではないのだ。

 両親には時間はあるのでゆっくりやると答えていたが、凄まじくやる気が出なかった。

 そんなところに美羽が手伝いを申し出てきたので、ありがたく力を借りている。


「正直、一人でやるのは無謀過ぎて諦めてたくらいだ。本当に、ありがとう」


 友人の手を借りようにも、ぼっちの悠斗には蓮くらいしか家に呼べる人がいない。

 その蓮も年明けまで忙しいとの事だったので、完全にお手上げ状態だった。

 救いの女神へと心からの感謝をすれば、にんまりとした笑みを返される。


「代わりに、掃除が終わったらご褒美をもらっていい?」

「無理難題じゃなければいいぞ」


 当たり前だが、美羽が悠斗の家の大掃除を手伝う理由などない。

 それでも助けてくれるのは、美羽の優し過ぎる性格がゆえだ。

 見返りとしてご褒美が欲しいのなら、美羽へのお礼としてある程度の事はしたい。

 釘を刺しつつ許可すると、美羽が笑みを深めた。


「大丈夫だよ。一度悠くんにはやってもらってるからね」

「内容を言わないのは気になるが、まあ大丈夫だろ。じゃあ掃除が終わったらご褒美って事で」

「うん。これで更にやる気が出たよ!」


 いつにも増してやる気をみなぎらせている小さな姿が可愛らしく、悠斗の顔に笑みが浮かぶ。

 ただ、ふと東雲家の事が気になった。


「手伝ってくれるのはいいんだが、美羽の方は大丈夫なんだよな? 俺の家を掃除したけど、自分の家の掃除が出来なくて丈一郎さんに怒られるとかはナシだからな?」


 美羽とて家での大掃除があるはずだ。

 まだ年越しには早いが、悠斗の家の掃除に精を出し過ぎて本来の掃除が出来なかったとなれば、申し訳なさすぎる。

 念の為に確認を取れば、美羽が自信有り気に頷く。


「大丈夫だよ。元々私の部屋ってそんなに物がないし、最近は軽く勉強するのと寝るくらいにしか使ってなかったからね。掃除はすぐに終わるよ」

「他の部屋は? 丈一郎さん一人で掃除するのは大変じゃないか?」


 いくら丈一郎が美羽に家事をさせたがらないとはいえ、悠斗と同じく一軒家を一人で掃除するのは無茶だ。

 こういう時こそ、祖父と孫が協力すべきではないか。

 心配になって尋ねると、美羽が申し訳ないような、気まずいような何とも言えない笑みになった。


「……大丈夫だよ?」

「おい、その間と疑問形は何だ」

「えー、どうしても聞きたい?」


 どうやら丈一郎一人でも大丈夫な理由があるようだが、美羽が顔を曇らせて言うのを渋る。

 美羽がこういう微妙な笑みをするのは非常に珍しいので、何かあったのではないか。


「もしかして、仲違いしたとかじゃないだろうな?」

「それはないよ。約束する」

「じゃあどうして大丈夫って言いきれるんだよ」

「……悠くんが気に病むから、言いたくなかったんだけどなぁ」


 万が一があっては困ると問い詰めれば、美羽が苦い笑みをしながらぼそりと呟いた。


「どうして俺なんだ?」


 仲が悪くなっていないのなら、丈一郎と美羽のやりとりで悠斗が気まずくなる事はない。

 疑問に思って首を傾げると、美羽が小さく溜息をついて口を開く。


「悠くんの家の掃除を手伝うのは私の意志でもあるけど、おじいちゃんのお願いでもあるの」

「はあ……。丈一郎さんが俺の家を気にする理由なんて――」

「『悠斗の事だから、どうせ一人で頑張ろうとするだろう。下手をすると無理かもしれんな。こっちの事はいいから手伝ってやれ』だってさ」

「うわぁ……」


 完全に悠斗の思考を読まれ、その上で美羽を手伝いに出してくれたらしい。

 あまりの情けなさに顔を覆う。確かに、聞いてしまえば悠斗が気に病んでしまう内容だ。


「それに普段から片付けてるから、丈一郎さん一人でも大丈夫だよ。というか割と長い間一人で住んでるんだし、大掃除出来なかったら今頃家はゴミ屋敷だって」

「……確かに、それもそうだ」


 丈一郎は美羽が来るまで一人暮らしをしていたのだから、掃除が出来ないはずはない。

 そもそも綺麗好きと聞いているので、家にゴミが溜まる事もないのだろう。


「それで、掃除を始めてもいいかな?」

「オネガイシマス」


 何の反論も思いつかず、にっこりと笑みを浮かべる美羽に、今日何度目かも分からない頭を下げた。





「ゆーくーん! てつだってー!」


 いつかの時と同じように悠斗が二階、美羽が一階を掃除していると、一階から悠斗を呼ぶ声が聞こえた。

 以前は悠斗に助けを求めなかったが、今はこうして素直に頼ってくれている事に小さく笑みを落とす。


「すぐ行くー!」


 美羽に届くように大声を出し、急いで下に降りる。

 足音で悠斗が来たのを判断したのか、リビングから「こっちこっち」と鈴を転がすような声が届いた。


「遅くなった。それで、何をすればいいんだ?」

「えっとね。コンロの上にある棚の中の物を、下に降ろして欲しいの」

「あいよ」


 悠斗の家のキッチンには、コンロの上の方にも収納棚がある。

 普段使用する事はないのだが、使い古した鍋やフライパン等の調理器具をしまってあるのだ。

 悠斗の背ならば背伸びをせずとも届くのだが、美羽は大変なのだろう。

 短く応えて調理器具を降ろすと、美羽が微笑に羨望を込めて悠斗を見つめた。


「やっぱり悠くんは背が高いねえ」

「こういう時は得した気分になるな。……にしても、前に掃除した時はどうやって降ろしてたんだよ」


 以前も美羽は一階を掃除していたので、当然この棚にも触れていたはずだ。

 大掃除ではないからと手を付けていない可能性もあるが、美羽の性格上その線は薄い。おそらく、軽くは掃除している。

 じとりとした目で尋ねると、美羽が焦ったような顔をしながら両拳を握り込んだ。


「こ、根性!」

「正直に言えっての」

「あぁ! 髪、髪がー!」


 あまりにも下手な誤魔化し方をされたので、淡い栗色の髪を思いきり掻き回した。

 無遠慮とも思える行為だが、ぼさぼさの髪から覗く整った顔には笑みが浮かんでいる。


「えへへ、乱れちゃった」

「どうせ汚れたり汗を掻くんだし、後で風呂に入ってくれ。その時に髪も直せるだろ」

「ならいいかな」


 ふにゃふにゃと緩みきった笑顔に、悠斗の心臓が鼓動を早めた。

 動揺を押し殺して咳払いをし、話を戻す。


「あんまり危なっかしい事をすんなよ。人手が欲しい時には言ってくれ」

「ありがとー、悠くん。でも、棚の上とか冷蔵庫の上くらいは私だって拭けるんだからね!」


 以前ふらふらしていたので、強引に換わった時の事を言っているのだろう。

 そこまで言うのなら、多少危なくても任せてもいいかもしれない。

 それに今の美羽ならば、本当に危険な時は悠斗に頼るはずだ。

 

「じゃあ任せた。どうしても無理そうなら言うんだぞ?」


 乱れた髪に触れ、少しだけ撫でて整える。

 はしばみ色の瞳が気持ちよさそうに蕩けたが、すぐに気合という光が灯った。


「うん、分かってるよ」

「よし、なら俺は二階に戻るよ」

「はぁい」


 掃除という大変な作業な上に、美羽と一緒の場所を掃除する事はない。

 けれども、不思議と楽しく掃除出来たのだった。





「ねー、悠くん。掃除のご褒美をもらっていい?」


 大掃除も夕方になる頃には終わり、美羽が風呂から出てきた。

 風呂上がりだからか赤らんだ頬でドライヤーを持っている姿に、以前見た光景が重なる。


「髪を乾かせってか?」

「うん。お願いしていいかな?」

「ご褒美となれば断る訳にはいかないな」


 単にお願いされたのなら断ったが、今回は美羽へのご褒美なのだ。

 望まれたのなら仕方ないと言い聞かせて、しっとりとした髪に触れる。


「オイルとかはないから、乾かすだけだぞ?」

「それでもいいよ」

「なら全力を出さないとだな」


 美羽の後ろへと回り込み、ドライヤーを使いながら髪を乾かし始めた。

 既に二回目だからか、一回目よりかは手際良く出来ている気がする。


「自分でやるより、悠くんにしてもらった方が気持ちいいねぇ」

「散髪する時に髪を洗ってもらうけど、あれいいよな」


 髪を伸ばしているので散髪に行くことは少ないが、髪を洗ってもらうのは気持ちが良い。

 髪を乾かすのも同じような事だし、実際悠斗も美羽に乾かしてもらうのは癖になりそうだった。

 少なくとも美羽が喜んでくれるくらいの腕はあるのだと嬉しく思っていると、もぞりと美羽が身じろぎする。


「……そうじゃないんだけどなぁ」

「何だって?」


 ドライヤーを使っている為、悠斗達の会話は大きな声でしていた。

 美羽が何かを呟いた事は分かっても、当然ながら内容までは耳に届かない。

 もう一度とせがむが、ぶんぶんと首を振られた。

 長い栗色の髪が悠斗の手から離れ、ふわりと広がる。


「大した事じゃないから、気にしないで。……うん、乾いた。ありがと、悠くん」


 一瞬だけ仕方ないなぁという笑みをした美羽が、髪の乾き具合を確認した。

 どうやら満足のいく仕上がりのようで、悠斗も鼻が高い。


「おう。前よりかはマシになったな」

「ふふ、このまま練習すれば、私の髪の手入れがバッチリになりそうだね」

「……喜んでいいのか分からんな、それ」

「悠くんの好きなように受け取ってね」


 練習として美羽の髪を手入れ出来るのは嬉しいが、それは美羽が毎日悠斗の家の風呂を利用すると言っているようなものだ。

 嬉しいような、無防備過ぎて不安なような、複雑な表情をする悠斗を美羽がくすくすと軽やかに笑うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る