第88話 男女のスキンシップ

「ねえ悠くん、気になった事があるんだけど」


 クリスマスから数日が過ぎたある日。

 すっかり慣れた様子で悠斗のベッドを占領する美羽が起き上がり、唐突に尋ねてきた。


「何だ?」

「クリスマスの時に元宮くんと取っ組み合いしてたけど、ああいう事もするんだね」


 あの時の光景を思い出したのか、美羽が目を細めて柔らかく微笑む。

 幼い顔つきとは真反対といえる大人びた笑みに、あの時は子供っぽかったと言われた気がした。

 羞恥が沸き上がってきて、悠斗の頬に熱を灯す。


「男同士のやりとりなんてあんなもんだ」

「そうなんだ? 普段の悠くんは落ち着いてるから、意外だったよ」


 目を逸らしつつ素っ気なく告げれば、鈴を転がすような笑い声が耳に届いた。

 

「そういう美羽こそ、取り乱すのは綾香さんに襲われた時くらいじゃないか? 最近は俺の発言に怒ることもないし」


 美羽と話すようになった当初は、悠斗の無神経な発言で怒らせてしまう事があった。

 しかし、最近の美羽は悠斗に対して怒ることがなくなっている。

 それに悠斗が落ち着いていられるのは美羽が穏やかな空気を作ってくれるからなのだが、当の本人には自覚がないらしい。

 素直に美羽のお陰だとは言えずに話題を変えて誤魔化せば、美羽が申し訳なさそうに苦笑した。


「懐かしいなぁ。悠くんの気遣いを見抜けずに怒っちゃったよね」

「いや、女性の背を弄ったんだから、俺が怒られて当たり前だぞ?」


 いくら重い空気を軽くする為だとはいえ、デリカシーが無さ過ぎたと思う。

 こうして穏やかな一日を一緒に過ごせているのは、美羽の優しい性格の賜物たまものだ。

 渋面を作って訂正すると、美羽が小さく笑みながら首を振った。


「ううん、そんな事ないよ。でも、言われてみれば悠くんに怒らなくなったなぁ」

「一緒に居るんだから、そっちの方がいいだろ。まあ、のんびりしてるから、はしゃいだりする事もないけどな」

「悠くんと一緒に居るのは楽しいけど、どっちかと言うと落ち着くからね」


 とろりと蜜を含んだような甘い笑みを向けられて、悠斗の心臓が早鐘を打ち始める。

 悠斗としても、一緒に過ごす人はずっとテンションが高い人より、落ち着いた人の方が良い。

 悠斗の考えに近いものを美羽も持っていると分かり、歓喜が沸き上がってきた。

 緩みそうになる頬を根性で抑える。


「……そっか」

「でも、ああいうのはちょっと憧れるよ」

「え……。俺と美羽が取っ組み合いするのか?」


 残念ながら、悠斗と美羽では体格が違い過ぎる。非常に申し訳ないが、蓮とは違って勝負にならないだろう。

 そもそも女性と取っ組み合いをするような歳でもない。仮に美羽と取っ組み合いをするのならば、間違いなく違う方向に行ってしまうはずだ。

 当然ながらそんなつもりはないので、あんまりにも予想外な望みに顔をしかめる。


「ち、違うよ! ああいう遠慮のない関係が羨ましいなって思っただけなの!」


 やはりというか悠斗の勘違いだったようで、美羽が耳まで真っ赤に染めて勢いよく首を振った。

 淡い栗色の髪がなびく光景は美しいが、見惚れている場合ではない。

 悠斗のせいで美羽が取り乱したのだから、責任を取って落ち着かせなければ。


「そういう事か。悪い、勘違いした」

「もう! というか、私と悠くんだと取っ組み合いじゃなくなるよね……」

「すまん、後ろの方が聞こえなかったんだが」


 後半につれて音量が小さく、かつ早口になっていったので、何を言ったのか聞き取れなかった。

 もう一度と頼み込めば、美羽が焦ったように手を振る。


「何でもないよ!」

「は、はぁ……」

「それより、元宮くんとあんなやりとりをしてるんだから、私にも遠慮しなくていいんだよ?」

「とは言ってもなぁ」


 平日どころか休みの日も殆ど一緒に過ごしているのだ。

 同じ部屋に居るのは慣れきっており、互いに別の事をしていても何の気負いもない。

 むしろ程々の距離感が心地いいし、遠慮などしていないつもりだ。

 気楽にしろと言われても、何をすればいいか分からない。

 腕を組んで唸っていると美羽がいい事を思いついたようで、にんまりとした笑みを浮かべた。


「元宮くんとは普段どんなスキンシップをしてるの?」

「スキンシップって言われるのは納得がいかないが……。まあ、至って普通の男子高校生のやりとりだぞ」


 悠斗と蓮がいちゃついているような発言をされて、背中に冷たいものが這い上がってくる。

 一番の友人と言えば間違いなく蓮なのだが、妙な方向に持って行かれるのだけは避けたい。

 とはいえ特別な事など何もしていないので、美羽への返答も味気ないものになってしまった。

 悠斗の言葉に納得がいかないのか、美羽が頬を膨らませる。


「その普通が知りたいの!」

「そうだなぁ。軽く肩を叩いたりどついたり、あおったりとかかな」

「煽る、は特に内容が思いつかないから、それ以外をやってみて?」

「えぇ……」


 どうぞ、と言わんばかりにベッドの上の美羽が手を広げた。

 確かに取っ組み合いよりかは軽いものだが、普通に考えて女子とするような事ではない。

 そもそも、やれと言われてやるようなものではない気がする。

 芸人なら出来るかもしれないが、残念ながら悠斗は一般人だ。


「そんなムキにならなくてもいいだろ。張り合ってもロクな事がないぞ?」

「いいから、お願い!」

「……分かったよ」


 美羽のお願いならば仕方ないと、ベッドへと上がる。

 最近リビングに居る時は距離が近いが向き合っておらず、今はベッドの上で向き合っているので、どうにも気恥ずかしい。


「え、えへへ……」


 美羽も同じ気持ちなのか、うっすらと頬を染めてへにゃりと口元を緩めている。

 瞳は期待からか潤んでおり、悠斗が触れるのを今か今かと待ちわびているようだ。

 体をそわそわと忙しなく動かしている姿があまりにも可愛らしく、撫で回したくなる。


(いや、マジで触るのか?)


 美羽が求めたのは軽い接触だ。頭を撫でるくらいで済ませようと思うが、悠斗には止まれる自信などない。

 想い人と自室のベッドで二人きり。しかも接触を求められて興奮しない男がいるだろうか。

 すぐ傍に美羽がいるからか、ミルクのような甘い匂いがふわりと香った。

 多くの場合悠斗を落ち着かせる匂いだが、今は興奮を煽る材料でしかない。


「い、いくぞ?」


 どくどくと心臓の鼓動がうるさい。おそらく、今の悠斗の顔は真っ赤だろう。

 美羽も耳どころか首まで真っ赤にしているので、かなり恥ずかしいはずだ。

 それでも逃げる素振りなど見えず、悠斗が触れるのを待っている。

 ぐらぐらと揺れる理性のままに手を伸ばし――


「よーしよしよしよし」

「ひゃあああ!?」


 美しい栗色の髪を思いきり掻き回した。

 手入れがしっかり行き届き、くせ毛一つない髪があっという間に乱れていく。

 美羽が素っ頓狂な悲鳴を上げたが気にしない。こうしなければ悠斗の理性が崩壊してしまうのだから。


「何!? 何なの!?」

「いやぁ、前に美羽の髪を乾かした時に思ったけど、綺麗な髪を乱すのは面白いな」


 常識的に考えて、悠斗の行動と発言は非難されて当たり前だ。

 けれど普段整っている髪を乱していると、言葉に出来ない何かが込み上げてくる。

 もちろんこの行為が相当な失礼に当たるのは分かっているので、怒られる覚悟も既に完了済みだ。

 あまりに乱し過ぎると直すのに大変だろうから、程々に抑えて解放した。

 悠斗の唐突な行動に目をぱちくりとさせている美羽を置いて、手櫛で髪を整える。


「まあ、こういう事になるから、男同士のスキンシップに張り合っても良い事なんてないんだ。分かったか?」


 これくらい大胆な事をすれば美羽もりるだろう。

 言い聞かせるように告げると、状況を理解した美羽の顔に屈託のない笑顔が浮かんだ。


「ふふ、こういうのも楽しいね」

「全然懲りてねぇ……」


 先程の接触は美羽の中で面白いものとして受け止められたらしい。

 訳が分からないと重い溜息を吐き出すと、美羽がくいくいと裾を引っ張ってきた。


「ね、ね、もう一回!」

「お断りだ」


 ちょうど髪を整え終わったので、瞳をキラキラと輝かせる美羽の額に人差し指を当て、軽く押す。


「ひゃん!」

「女の子なんだから、髪は大事にしろって。今度変な事を言ったら、もっと髪を乱すからな?」

「悠くんに怒られちゃったぁ」


 落ち込んでいそうな言葉とは裏腹に、美羽の頬はゆるゆるだ。間違いなく反省していない。

 髪がぼさぼさになる事で喜ぶおかしな美羽に、悠斗はがっくりと肩を落とすのだった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る