第87話  冬休みの予定

 十二月の末になると、朝方の寒さも一段と厳しくなってくる。

 少しでも暖を取りたくて、抱き心地のいいものを抱きしめた。


(温かいし、良い匂いだな……)


 腕の中のものは柔らかく、ミルクのような甘い匂いがする。

 微睡みの中でぼんやりと思考しつつ、さらさらの何かに顔を埋めた。

 最近よく嗅いでいる匂いが濃くなり、悠斗の心を落ち着かせる。


「あわわ、どうしよう……」


 変に焦ったような声が聞こえてきて、少しだけ意識が浮上する。

 一体何なのだと身じろぎすると、暖かいものが腕の中からなくなった。

 もっとあの温もりを感じたくて、どこに行ったのかと目を開ける。

 普段であれば部屋を見渡せる視界の中に、愛しい少女がいた。


「おはよう、悠くん」

「あれ、美羽……? 何で……?」

「昨日は悠くんの家に泊まったんだよ。それで、様子を見に来たの」

「ああ、そうだったな……」


 おぼつかない思考で昨日の出来事を思い出す。

 美羽が居るのだから起きなければと思ったが、細い手が悠斗の髪を優しく撫でた。


「まだ朝早いし、寝ててもいいよ」

「でも、美羽は?」

「私の事は気にしないで。下でゆっくりしてるよ」

「……じゃあ、ごめん、寝る」


 頭を撫でられる感触に、再び意識が沈んでいく。

 元々悠斗が起きるよりか美羽は早く来ているので、時間を潰す事には慣れているはずだ。

 とはいえ悠斗が起きるのをずっと待つのも辛いだろうと、根性で目を開けて口を開く。


「暇だったら、本とかゲームとか、好きにしていいからな」

「うん、ありがとう。おやすみ」

「おや、すみ……」


 もう眠気が我慢できない。重い瞼が悠斗の視界を塞ぐ。

 悠斗の意識が眠りに落ちる直前、美羽の「危なかった」という言葉が聞こえた気がした。





 思いきり二度寝をすると、起きた時には昼前だった。

 すぐに跳ね起きて下に行き、リビングへ顔を出した悠斗を微笑ましそうに見つめる美羽に謝罪した。

 その後昼食を摂り、悠斗の部屋でのんびりとしている最中、ふと疑問が浮かんだ。


「今更だが、冬休みの予定はないのか?」


 クリスマスもそうだが、今日も引き続き美羽は悠斗の家にずっと居るらしい。

 悠斗としては嬉しいものの、年頃の女子高生の過ごし方としてはいかがなものかと思う。

 もちろん美羽があまり学校の友人と遊びたくないのも知っているので、強制するつもりはない。

 気負わせないように出来るだけ優しい声で尋ねれば、穏やかな笑みが返ってきた。


「特にはないかなぁ。強いて言うなら綾香さん達との旅行くらいだよ」

「他の人とは?」

「わざわざ学校近くまで行くのも大変だし、断ってるよ。年末だからってはしゃぐのは面倒くさいし」

「……そういう所はドライだよなぁ。まあ、それならゆっくりするか」


 悠斗としてもわざわざ一時間も電車に揺られたくはないので、気持ちは理解出来る。

 本心を遠慮なく口にする美羽に小さく笑むと、微笑を浮かべた美羽が首を傾げた。


「そういう悠くんは予定ないの?」

「蓮以外に親しい人なんていないんだから、外で遊ぶと思うか?」


 学校での友人が増えたとはいえ、休みの日に遊ぶほどではない。

 そもそも連絡先すら知らないのだから、誘えもしないし、その気もないのだ。

 ぼっちの心を抉るなとじとりとした視線を送れば、くすくすと軽やかに笑われた。


「ふふ、ごめんね。なら一緒にのんびりしよう?」

「そうだな」


 ゲームへと視線を戻しつつ、ちらりと美羽の姿を見る。

 今日の昼飯は昨日の鍋の残り物で済ませたからか、美羽の服装はパジャマのままだ。

 その服装で悠斗のベッドに寝そべっているのだから、油断しきっていると言ってもいいだろう。

 だらしないとも取れるが、そんな気持ちは全く抱かない。

 むしろありのままの美羽を見れた気がして、小さく笑みを落とすのだった。





「美羽ー、そろそろ帰るかー?」


 昨日や一昨日のような慌ただしさなどない一日を過ごし、気付けば夜も更けていた。

 いい加減帰らせるべきだろうと提案すれば、美羽が不満そうに頬を膨らませる。

 夕方に買い物へ行ったので、美羽は私服へと着替えていた。


「えー、今日も泊まりとか……」

「駄目だ。帰って丈一郎さんを安心させてやれ」


 ずっと悠斗の家に泊まりたいと思ってくれる事は嬉しく思う。

 けれど、二日連続での泊まりなど流石に丈一郎が心配するはずだ。

 既に寝ていたとしても、朝に顔を見せてあげるべきだろう。

 心を鬼にして提案を突っぱねると、渋々とだが美羽が立ち上がった。


「うぅ、分かったよぅ……」


 のそりと一階に降りるので、余程帰りたくないらしい。

 玄関を出ても名残惜しそうに悠斗の家を見上げる美羽に苦笑し、手を差し出した。


「ほら、帰るぞ」

「うん! ありがとう!」


 先程の不機嫌もどこへやら。美羽がへらりと緩みきった笑みを浮かべて悠斗の手を握る。

 部屋の中とは全く違う冷えた空気が頬を撫でても、心は温かいままだ。


「そうだ。年末に正臣さんと結子さんは帰ってくるの?」

「ああ。と言っても年末年始の数日くらいだけどな」


 美羽の質問に心臓が跳ねたが、動揺を抑えて告げた。

 実際のところは違っており、両親は年明けに帰ってくる。曰く移動が大変なので、落ち着いてから帰ってきたいとの事だった。

 嘘を吐いたのは心苦しいが、それでも正直に伝える訳にはいかない。


(俺が一人で過ごすと知ったら、美羽は絶対に家に来るからな)


 折角孫と祖父が何の憂いもなく過ごせるのだ。美羽には丈一郎とゆっくり過ごして欲しい。

 その為なら年末年始を一人で過ごすくらいやってみせる。

 疑われないように即答すると、美羽がじっと悠斗を見つめてきた。


「ふぅん……」

「……何だよ」


 澄みきったはしばみ色の瞳に悠斗の考えが見透かされた気がして、無表情を取り繕って尋ねる。

 美羽は一瞬だけ呆れた目をした後、普段通りの穏やかな表情に戻った。


「ううん、何でもない。じゃあ正臣さん達に会うのは難しいね」

「年末年始くらい家で過ごしてくれ。こっちの事は気にしなくていいからな」

「……そうだね」


 こう言っておけば、年末年始に美羽が悠斗の家に遊びに来る事はない。

 正臣達に顔を見せられないのが残念なのか、何とも言えない微笑を浮かべる美羽が、ぎゅっと握った手に力を籠める。


「ねえ悠くん、また泊まりに行ってもいい?」

「昨日は例外だ。気に入ってくれたのは嬉しいけどな」

「うー。なんでぇ?」


 納得いかなさそうにぶんぶんと繋いだ手を振られた。

 拗ねる子供のような態度に心が揺れてしまったが、流されては駄目だと心を固くする。


「男の家に気軽に泊まるとか言ったら駄目だって」

「……もう今更な気がするんだけどなぁ」


 美羽の呟きに呻きそうになるものの、態度に表さないよう必死に堪えた。

 休日は朝から夜まで一緒に居るのが当たり前。平日ですら同じ家で過ごしているのだ。

 お泊まりくらい大した出来事ではないとすら思ってしまう。

 それでも、最後の一線くらいは守りたい。


「いくら丈一郎さんから許されても、何かあったらマズいだろ?」

「何かあるの?」


 綺麗すぎる瞳が悠斗を見上げる。

 その奥には期待が渦巻いているような気がした。


「何もない為に家に送ってるんだろうが。はぁ……」

「ふふ、ごめんね」


 心臓に悪い美羽の発言に大きな溜息をつくと、悪戯っぽく笑んだ美羽が楽しそうに腕を振る。

 手の平で転がされたような気がして、重い溜息を吐き出すのだった。

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