第86話 美羽の寝床

 美羽が悠斗の布団の上でぽんぽんと膝を叩く。

 何をしたいのかは分かるが、クリスマスプレゼントにしてはやり過ぎなのではないか。


「行けと?」

「うん。遠慮せずにどうぞ」

「遠慮するに決まってるだろうが……」


 美羽からすると、膝枕をしたいと思えるくらいにお出掛けが楽しかったのだろう。

 提案した側としては冥利に尽きるのだが、素直に身を委ねるのには抵抗がある。

 渋面を作って溜息をつけば、きょとんと無垢な表情で美羽が首を傾げた。


「嫌なの? こういうのは男の人が喜ぶと思ったんだけど」

「……否定はしない。というか、そんな事よく知ってるな」


 好意を向けている人の膝枕となれば、殆どの男が望む状況のはずだ。

 悠斗とて身を委ねたい欲望が沸き上がって来ているのだから。

 とはいえ、美羽がそんな情報をどこで仕入れてきたのか気にはなる。

 疑問をぶつけると、美羽が茶目っ気たっぷりに笑んだ。


「いろいろ情報源はあるよ。女子の会話って結構過激なんだからね?」

「ああ、そういう事か」


 よくよく考えれば、美羽は悠斗よりも話す人が圧倒的に多い。

 おそらく、学校で友人と話す際に情報が入ってきたのだろう。

 もしかすると綾香から何らかのアドバイスを受けたのかもしれない。

 納得の意を示すと、いつまで経っても来ない悠斗に痺れを切らしたのか、美羽が少し強めに膝を叩く。


「嫌じゃないんでしょ? さあおいで?」

「いや、でもな――」

「つべこべ言わず、いらっしゃい」

「……ハイ」


 有無を言わせない迫力のある笑みに、悠斗の言い訳は却下された。

 ベッドへ上がり、おそるおそる美羽の膝に頭を乗せる。


(柔らかいな。それに、いい匂いがする)


 美羽の体は細く、それは膝も例外ではない。

 それでも女性らしい柔らかさを備える膝は、ずっと頭を乗せていたいくらいに良い感触だ。

 ミルクのような甘い匂いと合わせて、美羽が傍にいるのを強く意識してしまう。

 緊張と興奮で心臓の鼓動が激しくなるが、同時に安らぎを得てもいるので、感情が整理出来ない。

 ぐちゃぐちゃな心のままぐったりと体の力を抜けば、細く白い指が髪に触れる。


「ふふ、私の膝はどうかな?」

「……凄く良い。ありがとな」


 極上の感触と悠斗を労わるような手つきに、離れたくないと思ってしまった。

 美羽が愛らしい瞳を輝かせて、幸せそうに目を細めているのも理由の一つのはずだ。

 あまりの心地よさに目を閉じる。


「お疲れ様、悠くん。もう大丈夫だからね。私はどこにも行かないよ」


 眠気が急速に悠斗を満たしていき、このままでは寝てしまうと思ったところで穏やかな声が掛かった。


「不安だったら触れてね。私が離れないって事を確かめて欲しいな」

「……じゃあ少しだけ、いいか?」


 この愛しい少女を離したくなくて、もっと温もりを感じたくて。悠斗を撫でている手と反対の方を求め、腕を少しだけ上げる。

 すぐに小さくも温かい手が悠斗の手に重なった。


「悠くんの手は相変わらずおっきいねぇ」

「美羽の手は小さいなぁ」


 滑らかな手の感触を楽しむ為に、あちこちへと指をわせる。

 その感触がくすぐったいのか、はしばみ色の瞳が細まった。

 仕返しとばかりに、悠斗の手の様々なところを細い指先がなぞる。


「ねえ悠くん。こういう事をしたのは私が初めてだよね?」

「当たり前だろ。篠崎と子供同士でこんな事なんてしないって」


 幼少期に親にしてもらうならまだしも、子供同士での膝枕などしたいとすら思わなかった。

 はっきりと答えれば、美羽の頬がへにゃりと緩む。


「なら良かった。これからも、私がしていい?」

「好きにしろ」


 美羽の厚意を無下にする事など出来ないし、むしろ何度でもして欲しいとすら思う。

 素直に許可するのは恥ずかしかったので素っ気なく告げれば、美羽が嬉しそうに顔を綻ばせた。


「じゃあ気が向いたらするね」

「程々にな。……でも、ありがとう。最高のクリスマスプレゼントだよ」


 綺麗過ぎる笑みが、優しい手つきが、膝の感触が、甘い匂いが、悠斗の心を解していく。

 今度は正直に感想を口にすると、くしゃりと頭を撫でられた。


「なら良かった。眠かったらこのまま寝ていいからね?」

「そうさせてもらおうかな。美羽もちゃんと寝るんだぞ?」


 どんどん眠気が強くなってきている。おそらく目を閉じた瞬間、悠斗は眠りに落ちるだろう。

 念の為に釘を刺すと、やけににやっとした笑みが返された。


「うん。悠くんが寝たら客間に行くよ」

「……まあいいか」


 悪戯っぽい笑みが気になったものの、美羽ならば変な事はしないはずだ。

 しっかり寝てくれる事を願いながら、ゆっくりと瞼を下ろしていく。


「膝枕だけじゃない。今まで生きてきた中で、一番のクリスマスだったよ。美羽は、どうだった?」

「私も、最高のクリスマスだったよ」

「なら、よかった……」


 囁くような声に安堵が満ち、視界が暗闇に閉ざされた。

 あやすような指使いが心地良すぎて、すぐに意識が遠くなる。

 眠りに落ちる直前、「おやすみ」という温かな声が聞こえた。





「……寝ちゃった」


 膝の上で安らかに眠る悠斗を眺めながら、ぽつりと呟く。

 泣いて、ずっと抱えていた思いを吐き出したのだ。ゆっくり寝て欲しいと黒髪を撫でる。

 今日もそうだが、美羽は何度か大胆な行動を取った。それこそ、ただの友人では絶対に有り得ない行動を。

 当然ながら好意も伝わったはずなのに、悠斗は必ず見て見ぬフリをする。

 全てを理解した今、その態度が腑に落ちた。


「篠崎さんの時のようになりたくない。そんな風に思うのは当たり前だよ……」


 簡潔に説明してくれたが、美羽が想像出来ないくらいに苦しかったはずだ。

 幼少期を共に過ごし、ずっと一緒に居ると思っていた幼馴染。

 そんな人が自分を完全に下に見ていると分かって、傷付かない人などない。

 ましてや、心が折れて卑屈になるに決まっている。

 悠斗が美羽に対して好意を抱いてくれているのは何となく分かるが、踏み込んでまた傷付きたくないのだろう。


「悠くんの言い分も分かるけど、それでも許せない」


 多少距離が離れてしまえば、家が近いだけの他人になる。

 興味のない人の行動を覚える人はいない。

 そんな人に対して優しく接する理由などないというのも理解出来るのだ。

 けれど、もう少し悠斗の事を考えて欲しかった。

 昔はただの他人などではなく、悠斗の事を深く知っていたはずなのだから。

 茉莉の悠斗への態度を思い出すと、胸がむかむかしてくる。


「私だって強くは言えないけど、あれは酷過ぎる」


 美羽とて告白してきた人に対して深い思い入れなどない。申し訳ないなと思うくらいだ。

 茉莉の事は言えないかもしれないが、あの見下した態度はどうかと思う。

 おそらく、下手に昔の悠斗を知っているからなのだろう。

 あんな態度を取られれば、悠斗が冷たい対応をするのも当然だ。


「……でも、私は大丈夫だよ。離れたりなんてしないからね」


 眠りに落ちた悠斗には、美羽の呟きなど届きはしない。それでも口にしたかった。

 これほど優しい人から、美羽を救ってくれた恩人から、距離を取るなど有り得ない。

 例え、悠斗がこのまま美羽の好意に気付かないフリをし続けてもだ。


「ふふ。答えなんて出さなくてもいい、前に進みたくないならそれでもいいよ。そんな悠くんの傍に居るからね」


 恋人というものには憧れを抱くし、悠斗とならなりたいと思う。

 もちろん、美羽はこれからも悠斗に近付いていくつもりだ。

 しかし悠斗が恋人という関係を求めないのなら、想いを伝えて明確な線引きをしなくてもいい。

 元々ある程度はそう思っていたが、悠斗の全てを知って更に思いは強まった。

 近付けば離れていくかもしれない。何も為せなかった自分には、前に進む権利などない。そう思うならそれでいい。

 いつか、いつか悠斗が自分自身を認められるまで、そして認めてからも、ずっと傍に居続けよう。

 その為の土台はとっくに出来上がっているのだから。


「それはそれとして、この状況は私にとってのご褒美だよねぇ」


 家には美羽達以外誰もいない。唯一美羽の行動を咎める悠斗は眠りの中だ。

 そんな状況など、悪戯してくれと言っているようなものではないか。


「客間でなんて寝ないよ。だって、ずっとやりたかったんだから」


 今日は泣いて疲れただろうから、悠斗は簡単に起きない。

 それに美羽の方が絶対に早く起きるので、みっともない姿を見られる事もないだろう。 

 仮に悠斗が途中で起きたとしても、言い訳などいくらでも出来る。

 おそらく、今の美羽は悪い笑みを浮かべているはずだ。


「枕に頭を乗せて……。うん、スペースはあるね」

「ん……」

「ああ、ごめんね。大丈夫だよー」


 頭を動かしたからか、悠斗が顔をしかめて呻き声を漏らした。

 あやすように撫でると、すぐに安らかな寝顔へと変わる。


「さて、それじゃあお邪魔しまーす」


 一人用のベッドに二人は狭いが、美羽が小柄なので大丈夫だ。

 こういう時だけはこんな体型で良かったと思う。

 ぐっすりと寝ている悠斗へ身を寄せて、大きく息を吸い込む。


「あぁ、しあわせぇ……」


 悠斗の温もりと匂いを堪能しながら眠れるのだ。

 この素晴らしいひと時のまま、時間が止まって欲しいとすら思う。

 残念な点を挙げるならば、悠斗と軽い接触しか出来ない事と、次のお泊りが未定な事だ。

 とはいえ、くよくよしても仕方ない。

 今はこの状況を堪能すべきだと考え、悠斗の存在を全身で感じる。


「毎日こうして寝れないかなぁ」


 いつかそんな日々が来たらいいなと胸を弾ませつつ、美羽は目を閉じるのだった。

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