第85話 クリスマスプレゼント

 美羽の髪を乾かし終えると、風呂に入らされた。

 想い人が入った後だという動揺を押し殺し、湯船に浸かる。


「はぁ……」


 スーパーへの買い物は別として、美羽と外へ遊びに行ったのは初めてだった。

 正直なところ楽しんでもらえるか不安だったが、最後を除いて大成功と言っていいだろう。

 もちろん、悠斗も本当に楽しかった。

 美羽と外で過ごすのも悪くないと思えるくらいに。


「そんな事、出来る訳ないって……」


 今回はクリスマスという特別な用事だから誘えただけだ。

 現状維持を選んだ悠斗に、用事のないお出掛けの誘いをする資格などあるはずがない。

 ただ、口実さえあれば出掛けられるかもしれないとも思った。


「……最低だな」


 卑怯ひきょうで浅ましい考えに呆れ、がっくりと肩を落とす。

 これ以上考えるのは良くないと、大きく息を吐き出して思考を切り替えた。


「にしても、泊まりに来るとは思わなかったな」


 かなり夜が更けており、いっその事泊まった方が楽だというのは分かる。

 それでも、緊張してしまうのが男というものだ。

 実際、美羽がパジャマを着ただけであんなにも動揺してしまった。


「……美羽が同じ家で寝るのか」


 先程の可愛らしいパジャマ姿を思い出し、改めて美羽が泊まるのだと実感する。

 当然ながら同じ部屋や同じ布団で寝る訳ではない。

 それでも寝顔を見ようと思えば、簡単に見る事が出来るはずだ。

 きっと可愛らしい寝顔なのだろう。想像するだけで頬が緩む。


「まあ、想像するだけしか出来ないけどな」


 寝顔を見に行くような不誠実な行為など絶対にしない。

 見たいというほんの少しの欲望を理性で押さえつけた。


「後は、プレゼントに何が来るかだな」


 美羽の髪を乾かすだけでも色々あったのだ。

 プレゼントとなれば、悠斗の心臓が虐められるのは間違いない。

 頬を叩いて気合いを入れ、風呂から上がってリビングへと戻る。


「上がったぞ」

「じゃあこっちに来てくれる?」


 美羽がドライヤーを片手に目の前の床をポンポンと叩いた。

 その行動の意味が分かってしまい、頬がひくりと引きる。


「……念の為に聞くが、何をするつもりだ?」

「さっき私の髪を乾かしてくれたから、今度は私が乾かそうと思って」


 瞳に穏やかな光を湛え、美羽が再び床を叩く。

 やってもらいたいという欲望が沸き上がったが、必死に抑え込んで首を振った。


「短いし、そこまでやってもらわなくてもいい。自然乾燥で十分だ」

「私がやりたいの。いいから来て?」


 聞き分けのない子供を諭すかのように、柔らかい声が催促してくる。

 美羽が望むなら仕方ないと言い聞かせ、最後の抵抗として溜息をつきつつ美羽の前に座った。


「本当にそこまでされるような事じゃないんだがな……」

「それでもだよ。はーい、それじゃあ始めるねー」


 悠斗の悪態など意に介していないようで、ご機嫌な声を発して美羽が悠斗の髪を乾かす。

 他人に髪を乾かしてもらった事など、結子に昔やってもらって以来だ。

 細い指先がくしけずる感覚が心地よく、悠斗の体から緊張が抜けていく。


「悠くんの髪ってさらさらだよねぇ。特に手入れもしてないのに不思議だよ」


 悠斗の努力の成果ではないので、褒められても素直に喜べはしない。

 しかも質感なら美羽の方が良いと断言出来る。

 変な所で悠斗を持ち上げる美羽に苦笑した。


「そう言われても、元々の髪質がこうだからなぁ。と言うか美羽の方がさらさらだろ」

 

 どうせ先程正直に言ったのだから、多少の褒め言葉くらい僅かな羞恥心で済む。

 ハッキリと告げれば、美羽の手が止まった。


「……ありがと」


 ドライヤーの音に紛れ、拗ねたような、恥ずかしそうな声が耳に届く。

 美羽の髪を乾かした時の光景からすると、耳まで真っ赤になっていそうだ。

 気持ちの切り替えの為か、細い指の動きが再開される。

 とはいえすぐに落ち着いたようで、後ろから羨むような溜息が聞こえた。


「いいなぁ。私はすぐ癖がつくから、朝とか手入れが大変だよ」

「その髪の長さならそりゃあそうなるだろ」


 いくら美羽の髪が滑らかでも、寝たりすればすぐに癖がつくはずだ。

 美羽の寝起きの姿など見たことはないが、おそらくは凄い事になっているのだろう。

 その可愛らしい姿を想像して、悠斗の頬が弧を描く。


「そんなに大変なら短くしないのか?」

「んー、そうだなぁ。悠くんはどっちがいい?」

「え、俺?」


 唐突に意見を求められ、思わず振り向いた。

 まだ生乾きなのか、美羽が不満そうに唇を尖らせて背中を叩いてくる。

 「早くしろ」と聞こえた気がして、大人しく美羽へと背を向けた。


「ね、悠くんは長いのと短いのどっちがいい?」

「その人に似合ってるならどっちでもいい」

「悠くんは、どっちが、いい?」


 妙な圧のある声が背中に掛かり、ぴくりと体を震わせる。

 美羽がここまで圧を掛けてくる事などほとんどなかったので、何が何でも意見を聞きたいらしい。

 どうして悠斗の意見を大事にするかは分からないが、ここまでねだられたのなら答えるべきだ。


「……長い方がいいかな」

「じゃあこのままにするね」


 手入れが面倒くさいと言っていた割には、美羽はあっさりと長さを決めた。

 そんなに簡単に決めていいのかと首を捻る。


「俺の意見で決めていいのか?」

「いいの。私にとっては何よりも大切な意見なんだから」

「……そうか」


 悠斗の為に長くすると言っている気がして、喜びに胸がどくりと鼓動した。

 歓喜が表情に出ないように抑えていると、美羽がドライヤーを切る。


「やっぱり乾くのが早いね」

「まあな。……で、何で撫でてるんだよ」


 くしで整える必要などないので、てっきりこれで終わりだと思っていた。

 しかし、美羽は悠斗の髪をずっと触り続けている。


「楽しいから。やっぱり悠くんの髪は触り心地良いねぇ」

「はぁ……。もう好きにしてくれ」


 美羽は悠斗の髪を気に入っているらしいが、普段は触ろうとしてこない。

 だからなのか、触るとなると必ず長い時間触られている気がする。

 今日もそのつもりのようだ。

 時間に追われている訳でもないので、文句を言うのは諦めて好きにさせる。


「えへへ、やったね」


 何がそんなに嬉しいのか、美羽はにこにことご機嫌な笑みで暫く悠斗の髪を触っていた。





「今更言う事じゃないけど客間に布団があるから、今日はそこで寝てくれ」


 美羽が悠斗の髪を堪能していると、いつもなら寝る時間に差し掛かってきた。

 美羽はこの家のどこに何があるのかを把握しているので、余計なお世話かもしれない。

 それでも念の為に説明をして自室に戻ろうとすれば、美羽が服の裾を引っ張ってきた。


「眠くなるまで悠くんの部屋に居ていい?」

「……眠くないのかよ」

「全然! むしろ楽しくてずっと起きてたいくらいだよ!」

「あぁ、そう……」


 妙にハイテンションな上に瞳をキラキラと輝かせているので、本当に眠くないらしい。

 これまで他人の家に泊まった事などないはずだし、初めての経験で興奮しているのだろう。

 深夜に元気になる子供のようだと思いつつ、苦笑を返す。


「眠くなったらちゃんと布団で寝るんだぞ? 申し訳ないからってリビングのソファで寝るのは駄目だからな?」

「分かってる。そんな事しないよ」


 心外だとでも言わんばかりに美羽が頬を膨らませた。

 今の美羽なら忠告しておけばそんな遠慮はしないと判断し、美羽と一緒に悠斗の自室へと戻る。

 これまでと全く変わらず読書やゲームをしていると、眠気が襲ってきた。


「ふわぁ……」

「悠くんお疲れみたいだし、もう寝る?」

「いや、もうちょっと起きてるよ」


 眠いのは確かだが、折角美羽が同じ部屋に居るのだ。もう少しくらい一緒に過ごしたい。

 提案を断ると、美羽は瞳に心配と微笑ましさを込めて悠斗を見つめた。


「眠い時には寝なきゃ。無理はよくないよ?」

「元々俺はゲームとかで夜更かししてたから。これくらい平気だって」

「じゃあそんな悠くんへ、クリスマスプレゼントをあげる」

「クリスマスプレゼント?」


 脈絡のない美羽の発言に首を傾げる。

 この場でクリスマスプレゼントと言っても、美羽が何も持っていないのは分かっているのだ。

 どうするつもりなのかと訝しむと、ベッドに寝そべっていた美羽が背を起こし、ぽんぽんと膝を叩く。


「おいで、悠くん」


 両目を細めて優しい笑みを浮かべた少女が、悠斗を誘うのだった。

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