第62話 暴走

「私が言える事じゃないけど、先日のバレーボール、準優勝おめでとう」


 悠斗の話で打ち解けた後、話題が球技大会へと移った。

 優勝したクラスである美羽に言われた事で、蓮が気まずそうな顔になる。


「東雲のクラスこそ、優勝おめでとう」

「私が頑張った訳じゃないから、素直に喜べないね。それに、私としては悠くんに勝って欲しかったの」

「普通自分のクラスが勝つ方が嬉しいと思うんだがな。いや、待てよ……?」


 不思議そうな表情をした蓮が悠斗を見つめ、その次に美羽へと視線を移す。

 何かを閃いたのか、蓮の顔が一瞬で笑みへと変わった。

 隣の綾香も悠斗が頑張った理由に何となく気付いたようで、表情を和らげている。


「なるほど、そういう事か」

「詳しく聞くのは野暮ですよ、蓮」

「分かってるっての」


 にやにやとした笑みを浮かべながら蓮が何度も頷く。

 からかいの視線が苛立たしくて、思いきり睨み付けた。


「完全に理解した風に頷くな、むかつく」

「お、そんな事を言っていいのか? 悠が何が何でも勝ちたいって言ったのは、東雲の――」

「すみませんでした、許してください」


 この場に居る全員にバレているとはいえ、言葉にされるのは恥ずかし過ぎる。

 思いきり頭を下げると、くすくすと美羽に笑われた。


「ふふ。ありがとね、悠くん」

「もういいから」


 既に何度もお礼を言われているのだ。ここで再び感謝されても困る。

 苦笑に呆れを混ぜて美羽を見れば、にっこりとした笑みを返された。


「まあ、なんだ。悠に協力はしたが、優勝は出来なかったからな。悪い」

「気にしないで。結果が全てじゃないって分かってるし、少なくとも私の願いは叶えられたから」

「それなら良かったです。結構心配だったんですよ」


 当然ながら綾香と蓮にはその後の詳細を伝えられなかったので、かなり心配していたらしい。

 蓮だけではなく綾香にも世話になったのだから、恥ずかしくても悠斗の口から感謝を伝えるべきだ。


「なんだかんだで上手く行きました。ありがとうございました、綾香さん。それに蓮も、改めてありがとな」

「おう。機会があればまたバレーしような」

「私の方こそありがとうございました。悠斗さんと練習するのは結構楽しかったですよ」

 

 悠斗のお礼に二人が柔和な表情を浮かべる。

 これで先日の件も一段落したと一息つこうとしたのだが、不機嫌そうな「ねえ」という声が聞こえてきた。


「そう言えば悠くんって風峰さんの事を名前で呼んでるよね。何で?」

「それは私が苗字で呼ばれるのが嫌なんですよ。だから、友人には名前呼びをしていただいてます。代わりに私からも名前呼びをしますが、大丈夫ですか?」

「はい」

「では美羽さん、改めてよろしくお願いしますね」

「こちらこそ。改めてよろしくお願いします。綾香さん」


 悠斗が綾香を名前呼びした理由を分かってくれたようで、美羽が穏やかな笑みになる。

 先程はどうして美羽の機嫌が悪くなったのか分からないが、悠斗からも説明が必要だろう。


「俺だって、お願いされなきゃ自分からは呼ばないからな」


 悠斗には初対面の人をいきなり名前呼びする度胸などない。

 けれど、名前呼びを願われたら応えるのが友人というものだ。

 決して自分から進んで行ってなどいないと伝えれば、美羽がほんのりと唇を尖らせて思案しだす。


「ふうん……。それじゃあ綾香さんといつ知り合ったの?」

「文化祭の時が初めてだな」

「それで、その時に名前呼びになったんだ?」

「そりゃあお願いされたからな」


 決して変な事は言っていないし、美羽も事情を理解してくれたはずだ。

 けれど、美羽がどんどん不満そうに眉を寄せていく。


「私を名前呼びしたのは話し始めて、三週間くらい経った後なのに……」

「そこ、比べるところか?」

「比べるよ! 初対面の人に私は負けたんだね……」

「勝ち負けの問題じゃない気がするんだが」


 名前呼びの早さなど勝負するものではない。

 首を傾げていると、蓮に呆れた風な目を向けられた。


「……まあ、なんだ。謝った方がいいぞ?」

「待て、俺は何も悪い事なんてしてないだろ。一体何がどうなってるんだよ」

「悠斗さん、私が言うのも何ですがアウトですよ」

「ホントに何なんだ!? なあ美羽、俺が何かしたか?」


 蓮と綾香からやれやれと言わんばかり態度をされ、いよいよ頭が混乱してくる。

 隣に助けを求めても、美羽は唇に小さく山を築いているだけだ。


「何もしてない。でも、名前で呼ぶまで長かった。しかも私からだった」

「それは仕方ないだろ? じゃあ俺が初めから名前で呼んで、美羽は俺を信用したか?」

「それは、そうだけど……。むーー!」


 納得のいかなさそうに美羽が頬を膨らませる。

 拗ねた子供のような姿に微笑ましさを感じるが、ここまで不満を露わにするという事は相当ご立腹のはずだ。

 とりあえず悠斗が悪いようなので、ここは頭を下げるのが正解だろう。


「すまん」

「何が悪かったのか、分かる?」

「……すまん」

「もー! そういう所がずるいんだよー!」


 分かりやすくむくれて美羽が怒りをぶつけてきた。

 もう悠斗の理解を超えているので、蓮と綾香に視線で助けを求める。

 蓮には知らんぷりをされたが、なぜか綾香が我慢するように震えていた。


「もしかして、私が悠斗さんと言うのも嫌ですか?」

「……綾香さんが悠くんをどう呼ぶかなんて、私に決められる事じゃないですよ」


 いくら悠斗に怒っているとはいえ、綾香に八つ当たりする程ではないらしい。

 とはいえ整った眉を思いきり釣り上げているので、不満なのは変わらないようだ。

 美羽が不機嫌になるのとは反対に、綾香が今まで見た事ない程の満面の笑みになる。


「では、悠くんと呼ぶのは?」


 悠斗としては呼び方など余程悪くなければどうでもいいと思っていた。

 けれど、綾香に美羽と同じ呼び方をされて胸がざわついてしまう。

 どうしてこんなにも不快感を感じているのかと戸惑っているうちに、美羽が思いきり綾香を睨んだ。


「………………それは私のです」


 美羽のこれでもかと苛立ちの感情がこもった言葉に胸が軽くなる。

 なぜか歓喜が込み上げてきて口の端を緩めると、顔を伏せた綾香がすっと立ち上がった。


「……もう、限界です」

「あーあ、俺しーらね」


 途中から傍観に徹していた蓮が我関せずとばかりにそっぽを向く。

 どうやら綾香の急変に関して何か知っているらしい。

 そんな蓮をよそに、綾香がじりじりと美羽に近付いてくる。


「あ、あの、何ですか?」

「ずるいんですよ。そういうの……」


 低い声の呟きに恐怖を感じたのか、美羽が引きった顔で席を立つ。

 その瞬間、普段のお淑やかな態度はどこへ行ったのかと思うくらいに俊敏な動作で、綾香が美羽を抱き締めた。


「ああもう、可愛すぎます! 意地悪してごめんなさい! でも美羽さんがそんなに可愛いのが悪いんですよ!」

「んー!?」


 形の良い胸に強引に顔を埋めさせられ、美羽がじたばたともがく。

 余程強い力で抱き締められているようで、抜け出せないらしい。

 そんな美羽の抵抗が更にお気に召したのか、きらきらと輝いた笑みをしている綾香の頬が興奮で赤くなっていく。


「すべすべですし、髪もさらさらですねぇ……。ずっと抱き締めていたいです……」

「んんー! むー!」

「……なあ蓮。これ、どういう事だ?」


 こんなに興奮している綾香など見た事がない。

 事情を知っているはずの蓮に尋ねると、遠い目をしながら蓮が口を開く。


「綾香は可愛い物好きでな。普段は抑えてるんだが、限界が来るとああなるんだ」

「さっきまで美羽は怒ってただろ。何が可愛いんだ?」


 むくれている姿は確かに可愛かったが、綾香が暴走するくらいかと言われれば疑問を覚える。

 この場の空気についていけないと首を捻れば、じっとりとした目を向けられた。


「こっちはこっちで鈍感だしよぉ……。責められない分余計に質が悪いぜ」

「だから、どういう――」

「ああ、持ち帰りたいくらいです! いっそどうですか? 美羽さんが望むなら喜んでですよ!」

「た、たすけ……。ゆう、く……」


 息がし辛いのか、先程までの怒りも忘れて美羽が助けを求めてきた。

 悠斗から見ても過剰だと思えるので、流石に助け舟を出すべきだろう。


「あの、綾香さん。そろそろ放していただけると……」

「ヤです」

「即答!?」


 むっと眉を寄せて綾香が抱き締める力を強める。

 収拾のつかなくなった騒ぎは、綾香が満足するまで続いたのだった。

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