第63話 仲を深めて
「本当にごめんなさい、美羽さん」
美羽は綾香から解放されると、一目散に悠斗の背中へと逃げてきた。
それだけではなく、悠斗のシャツを握り締め、綾香に向かって思いきり唸り声を上げている。
どうやら、突然の
「うー! ふーっ!」
毛を逆立てる猫のような姿からは怖さなどなく、可愛らしさが溢れていた。
その姿に再び綾香が興奮しそうになったが、流石にやりすぎだと蓮が止める。
「いいかげん落ち着け。これ以上やると東雲に嫌われるぞ」
「そ、そうですよね……。えっと、もう大丈夫ですよー?」
「……」
美羽のじっとりとした瞳には露骨に警戒心が宿っており、綾香が手を差し伸べても近付く事すらしない。
凄まじい警戒っぷりに綾香ががっくりと肩を落とした。
「言い訳をさせてもらえるなら、これでも我慢した方なんですよ? あんなの卑怯じゃないですか」
「それは認めるけどな。もう少し抑えておけば、あんなに警戒されなくても済んだろうに」
「うぅ……。れんー」
「はいはい。とりあえず落ち着け」
綾香が蓮に泣きつき、大人しく頭を撫でられる。
あまりイメージ出来なかった甘え方に、驚きで硬直してしまった。
ちらりと後ろの様子を見ると、美羽も目を見開いて驚愕している。
「……なんていうか、私の中の綾香さんのイメージが崩壊してるんだけど」
「安心しろ、俺もだ。というか、親が決めた婚約者なのに相変わらずいちゃつくなぁ」
「え、付き合ってるだけじゃなくて、婚約してるの!?」
美羽が素っ頓狂な声を出して、体をぴくりと揺らした。
恋人同士だと説明はしたが、詳しい事は話していなかった気がする。
「あの二人の家はいわゆる良家ってやつなんだよ。それで、お互いの家に利益があるようにって婚約したんだとさ。今は年齢的に許嫁だけど」
「今時許嫁とかあるんだねぇ……」
美羽がぱちりと瞬きを繰り返しながら、呆けたような声を出す。
悠斗も最初聞いた時は驚いたので、美羽の反応は懐かしい。
ようやく落ち着いたようで、綾香が「んんっ」と咳払いをして普段通りの態度に戻った。
「時代錯誤なのは自覚していますよ。まあ、そういう家なだけです」
暴走していない綾香は警戒しないのか、美羽が悠斗の背中に引っ付きつつも綾香の言葉に反応する。
「好きな人を自分で決められないんですよ? それでもいいんですか?」
「ええ、構いませんよ。私は蓮の事が好きなので」
「俺も同じだ。最初は親が決めた事だが、今は自信を持って好きだと言えるぞ」
「はぇー」
美羽とはあまりに違う価値観だからか、小さな口からは間延びした声しか出ていない。
とはいえ美羽の方も落ち着いたようで、先程から悠斗の背中を離れている。
多少は話し合いが出来ると思ったのか、綾香が少しだけ美羽に近付いた。
「改めて、すみません美羽さん。初対面にも関わらず、失礼な事をしてしまいました」
「まあ、突然すぎて驚いただけで、嫌って訳じゃないですよ」
「本当ですか!?」
「ひうっ!」
「あの、それくらいで……」
嫌われていないと分かった瞬間、綾香が美羽に詰め寄った。
流石に急接近すると警戒するのか、再び美羽が悠斗の背中に隠れる。
女性同士のあまりにちぐはぐなやりとりに、男性二人が渋面を作った。
「可愛い物好きってのは知ってたが、そんなに東雲の事が気に入ったのか?」
「はい! これぞ可愛らしい女性じゃないですか! 気に入らない方がおかしいですよ!」
「女性らしいというなら綾香さんの方が綺麗だと思いますよ。背が高いですし、出るとこ出てるし……」
元々背の高さ等に不満がある美羽からすれば、抜群のスタイルを誇る綾香は羨ましいを通り越しているのだろう。
はしばみ色の瞳には羨望と嫉妬が混じっていた。
だが、反対に綾香が目を輝かせて首を振る。
「そんな事ありませんよ、美羽さんはすごく魅力的です。ねえ悠斗さん?」
「……俺に聞かないでくれますかね。というか、あまりデリケートな話は無しでお願いします」
美羽への感想など、どう答えても地雷にしかならない。それに、目の前で体型の話をされるのは気まず過ぎる。
隣からは期待の目を向けられている気がしたが、取り合う気はないのでそっぽを向いた。
「ふふ、すみません」
「にしても美羽の反応は過剰だったな。ああいうのは学校でされた事ないのか?」
普段美羽は輪の中心にいるのだから、多少なりともスキンシップはあったはずだ。
いくら綾香の接触が激しかったとはいえ、反応が大げさ過ぎる。
念の為に小さな声で尋ねれば、美羽の顔に苦笑が浮かんだ。
「悠くんは知ってるだろうけど、深い付き合いなんて分からないから微妙に距離を取ってたの。だから、ああいうのは初めてでびっくりしちゃった」
「すまん」
ぼそりと悠斗にだけ聞こえるように呟かれた声に、素直に頭を下げる。
蓮と綾香も踏み込んでは駄目だと判断してくれたようで、悠斗達のやりとりに首を突っ込んでくる事はない。
少しだけ微妙な空気を吹き飛ばすように、蓮がパンと手の平から乾いた音を響かせた。
「さて、話してるだけで時間も結構経ったな。もういっそ、今日はお互いに交流を深めるだけの方がいいか?」
悠斗達の事情説明に綾香の暴走があったからか、蓮達が悠斗の家に来てから随分と時間が経っている。
この状況でゲームをしても大した事は出来ないだろうし、折角なので美羽に蓮と綾香を知ってもらいたい。
「その方がいいかもな」
「じゃあお菓子とお茶を持ってくるね」
「頼む」
美羽が嬉々としてキッチンに向かって行き、その後ろ姿に声を掛けた。
「任せて」
ちらりと悠斗を振り返った横顔は普段通りの穏やかな微笑なので、おそらく手伝いを断られるだろう。
とはいえ普段の倍の人数のお茶とお菓子は、持って来る事すら大変のはずだ。
あまりに危なっかしい運び方をしているのなら、強引に手伝おうと決意する。
相変わらず手伝ってとは言わないなと溜息をつけば、蓮と綾香から生暖かい視線を向けられた。
「もうすっかり馴染んでるな。……こう言っちゃあなんだが、お前の傍に居るのが東雲で良かったよ」
「美羽さんの事、大事にしてくださいね」
「はい。もちろんです」
茶化す為というのもあるのだろうが、それでも二人の言葉には温かいものが宿っていた。
気恥ずかしくて眉を下げながら頷く。
その後三人でとりとめのない会話をしていると、美羽がリビングへと帰ってきた。
「おまたせ」
「……ああもう、どうして助けを呼ばないかなぁ」
悠斗の予想通りの、両手にトレイを持った無理な運び方に苦笑を落とす。
すぐに片方のトレイを奪う為、悠斗は席を立つのだった。
「今日はありがとな」
「ありがとうございました」
蓮と綾香を玄関まで送り届けると、二人がお礼を告げてきた。
最初はどうなる事かと少し心配していたが、結果は大成功だったと思う。
美羽も綾香の暴走の件は脇に置いているのか、にこやかな笑顔だ。
「いえ、私の方こそありがとうございました。楽しかったです」
「ありがとうございました」
四人での会話は随分と弾み、特に美羽と綾香は最初の警戒は何だったのかと思えるくらいに仲良くなっていた。
連絡先すら交換していたので、相当気が合ったらしい。
蓮と綾香の姿が見えなくなるまで見送ろうとしていると、蓮が何かを思いついたようで「そうだ」と発した。
「なあ綾香、折角だし、冬休みのやつに東雲を誘ったらどうだ?」
「そうですね。それなら悠斗さんも来やすいでしょう」
「何の話だ?」
蓮と綾香が頷き合っているが、何のことかさっぱり分からない。
美羽と二人で首を傾げていると、蓮が爽やかな笑みを浮かべた。
「悠には冬休みにスノボか温泉に行くって話をしなかったか?」
「そういえばそんな話をしてた気がするな。もしかして、本格的に決まったのか?」
「ああ、そうだ。東雲と二人なら疎外感もないだろ。どうだ?」
「私、運動はちょっと……」
スノボという単語を蓮が出したからか、美羽がおずおずと言葉を発した。折角の誘いを断ってしまい、申し訳なさを感じているのだろう。
ただ、蓮も美羽が嫌がる事をするつもりはないようで、分かっているという風に頷く。
「だから、温泉にしようかと思ってる。運動する予定はないから、東雲も遠慮しないでくれ」
「なら行こうかな」
「うし、決まりだな。詳しい事は冬休み前に連絡する。じゃあな!」
「それではまた」
話が纏まり、蓮と綾香が帰っていった。
外の空気は冷え切っているので、すぐに美羽とリビングへと戻る。
「何かバタバタだったけど、本当に行くって決めて良かったのか? どっちも初対面だろ?」
今日の美羽の表情は普段悠斗と一緒に居る時に近いものだったので、悠斗を気遣って無理をしていたとは思っていない。
先程の提案を受けたのも本心からのはずだ。
けれど万が一があっては嫌だと尋ねれば、美羽がふわりと柔らかい笑みを浮かべた。
「それでも、あの二人となら温泉に行っても楽しめると思う。それに――」
「それに?」
美羽が言葉を切り、気まずそうに眉を下げる。
深く聞くつもりはないと穏やかな声で尋ねれば、言い辛そうに美羽が口を開いた。
「なんていうか、私の立場を利用しない人達だったから、学校よりもずっと気が楽だったの」
おそらく美羽が学校で接している人の中には、美羽の人気を目当てにしている人もいるのだろう。
けれど、蓮と綾香は自分の中に芯がある人だ。外見で人付き合いなどしないと断言出来る。
美羽が痛々しい笑みをしているが、何も自虐する必要はない。誰だって損得勘定だけでの付き合いは疲れるだけだ。
「まあ、学校での立場にあれこれ言うつもりはないけど、一緒に居ても気楽な人が出来てよかったな」
「もちろん、その一番は悠くんだからね?」
美羽が元気になったのはいいが、悪戯っぽい笑みは悠斗の心臓に悪い。
視線を逸らしつつ、美羽の発言に突っ込みを入れる。
「一番は丈一郎さんじゃないのか?」
「確かにおじいちゃんも一緒に居て過ごしやすいから、否定は出来ないかな。そう考えると、順番が入れ替わっちゃうかも。……ねえ、一番はどっちだと思う?」
「……そういうのは狡いぞ」
余裕すら見える態度で笑みを濃くする美羽に、どうやっても敵わないと肩を落とす。
本当に悠斗が一番だったなら嬉しいなと、不謹慎な事を考えてしまったのだった。
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