第49話 試合前日

 球技大会の練習も順調に進み、明日が本番となった。

 前日はゆっくり体を休めるようにという事で、今日の練習は無しだ。

 ちょうどいいタイミングだと思って、用事を済ませて家に帰る。


「ただいま」

「おかえり、な、さぃ……」


 これまでと同じく美羽が迎えに来てくれたが、美羽の言葉が尻すぼみに小さくなっていった。

 瞳を大きく見せているので、余程悠斗の姿に驚いているらしい。

 そんな態度を取られるとは思っておらず、悠斗の顔に小さな苦笑が浮かぶ。


「ただ髪を切っただけなんだし、そんなに変か?」


 普段であれば髪が視界をさえぎっているが、今は少し視界の端にかかるくらいに短くなっている。

 しっかり髪型は整えてもらったので、笑われる事はないはずだ。

 美羽に感想を求めると、美しい顔がくしゃりと歪む。


「変じゃない。でも、どうして?」

「学校外で運動する時はヘアバンドを着ければ良かったけど、明日はそういう訳にもいかないだろ。髪が邪魔でボールが見えなかったなんて笑えない」


 球技大会はあくまでも学校行事なので、ヘアバンド等は禁止されている。

 そして、髪が邪魔だから負けたなど言い訳にもならない。

 悠斗は絶対に勝たなくてはならないのだから、出来る事は全てやるべきだ。

 その結果周囲に何を言われようとも、目的が果たせるのならそれでいい。


「髪が短いの、嫌いじゃなかったの?」

「嫌いだな。けど、いいんだ。俺のくだらないこだわりよりも、大切な事があるからな」

「……拘りって?」


 不安そうに顔を曇らせ、美羽がおそるおそる尋ねてきた。

 あまり自分の事を話したくはないが、美羽は事情を話してくれたのだ。悠斗だけが拒絶するのは駄目だろう。


「視線が怖かったんだ。『お前は価値がない』、『お前には何の興味もない』って、今まで話してた人にどうでもいい人を見るような視線を向けられるのが怖かったんだよ」


 自分の力など十分に理解している。多くの物は望まない。だから、道端の石ころを見るような視線を止めて欲しい。

 初めから無関心ならまだ大丈夫なのだ。けれど、親しかったはずの人からの無関心な視線は耐えられない。

 だからこそ人間関係を絞り、友人の目を見る際には髪で壁を張って生きてきた。

 悠斗の呟きに美羽が納得のいったように頷く。


「だから、髪を伸ばして視線を隠したんだね」

「ああ。髪越しに壁を作って話せば、もしそんな目を向けられても耐えられたからな」

「でも、もう出来ないよ。本当に良かったの?」

「構わない。それで優勝出来るなら安いもんだ」


 いきなり髪を切り、これまで地味だった男が球技大会で頑張るのだ。非難の言葉を向けられるかもしれない。

 それでも勝つ確率が上がるのなら、やらなければならないと思う。

 何の後悔もないと示す為に笑い掛けたのだが、美羽の顔が曇り、今にも泣きそうに瞳が揺れる。


「……ごめんね。本当に、ごめんなさい」

「何を謝られてるのか分からんな。これは俺が家で上手い料理を食べる為にやってるんだ。美羽の為じゃない」


 他人の家庭事情に首を突っ込む男に謝る必要などない。

 嫌われるのも覚悟で自分の為だと横暴に振る舞うと、美羽が力なく首を振る。


「悠くん優しいから、私が気に病まないようにってしてくれてるの分かってるよ」

「さあ、何のことやら。……でも、それなら少しだけ我が儘を言っていいか?」

「うん。私に出来る事なら何でもするよ」


 食いつくように悠斗に近寄る美羽からは、絶対に叶えるという必死さが伺(うかが)えた。

 おそらく、今なら何を言っても美羽は悠斗の言う通りにするだろう。

 自分を捨てるような態度を取る美羽の頭に手を乗せる。

 落ち着かせる為に、さらさらの髪をゆっくりと撫でた。


「謝罪じゃなくて、感謝の言葉が聞きたい。背中を押されるなら、そっちの方が嬉しいんだ」


 これまで何度も何度も美羽が謝ってきたが、その度に自分を傷つけているようで嫌だったのだ。

 親の期待に応えようと必死で、けれど唐突に梯子はしごを外されて、どこにも行けずに公園に辿り着いた。

 確かに美羽は丈一郎から逃げた弱虫なのかもしれない。けれど、これ以上美羽が苦しむ必要がどこにあるというのだろうか。

 それに、美羽から向けられる言葉は感謝の方が元気が出る。

 どこまでも勝手だなと自分自身に呆れると、美羽が大きく目を見開き、嬉しさと申し訳なさを混ぜた笑みを浮かべた。


「ありがとう、悠くん。明日のバレー、頑張ってね」

「おう。任せてくれ」


 短い言葉だが、悠斗の体に気力がみなぎった。これならどれほど辛くとも頑張れるだろう。

 玄関で長話をしてしまったので、着替える為に二階に上がる。

 改めて明日の大会への覚悟を決めていると、背中に「悠くん」と明るい声が掛かった。


「私にとって、悠くんは無価値でも、興味の無い人でもないよ。何があっても、誰が何を言おうと、それは揺らがないからね」

「……ありがとな」


 信頼の込められた声に胸がしびれ、震える声でお礼を言う。

 今まで一度も言われた事のない温かい言葉に、より一層やる気が出た。


「それに、髪型も似合ってる。かっこいいよ」

「お世辞はいいから」

「お世辞なんかじゃないよ。やっぱり悠くんは目元が見えてる方がいいね」

「……言ってろ」


 真っ直ぐな褒め言葉に背中がむず痒くなる。

 突き放すような言葉を放ったが、くすくすと軽やかな笑い声が下から聞こえてきた。


「じゃあ何度でも言うね。悠くんは髪を切った方が――」

「あーもうやめろって! 恥ずかしい!」


 放っておくと美羽の言葉が止まらなさそうだったので、強引に打ち切って自室へと入る。

 扉が閉まる瞬間、「ありがとう」と小さく柔らかな声が耳に届いたのだった。





「ふぅ……」


 美羽を送り、ベッドに倒れ込む。

 重い溜息を吐き出し、目をつむった。


「俺なりに出来る事はやった。後は本番だけだ」


 時間の許す限り練習したし、蓮と綾香に手伝ってもらった事で当初悠斗が想像していた以上に練習出来た。

 もちろん完璧ではないだろう。そもそも、多少バレーが出来るだけの悠斗の努力などたかが知れている。

 それでも、決して妥協はしなかったと胸を張って言える。


「……今度は誰かの為に、か」


 中学校でバレーを始めた動機は自分勝手なものだったなと思い返す。

 見栄を張り、くだらない努力をし、盲目的に頑張ったせいで全てを無駄にした。

 けれど、今回は美羽と丈一郎の関係の修復の為だ。

 今更仲良く出来ないのは分かっている。けれど、お互いに本当に伝えたい言葉を伝えて欲しい。

 それは一方通行だった悠斗には出来ない事だから。


「優しすぎるんだよ。丈一郎さんも、美羽も」


 他人である悠斗が首を突っ込む事を許してくれたのは勿論だが、全く関係のない条件を受け入れてくれたのには感謝しかない。

 普通なら突っぱねられるはずなのに、美羽は何度も何度も謝罪してきた。

 だからこそ、悠斗は勝たなくてはならない。正面から、堂々と。

 今まで一度も試合に出た事がない悠斗にとってあまりにも高いハードルだが、それでも譲れないのだ。

 幸いトーナメント形式なので、八クラスから一位を決める為に三試合だけ勝てばいいのは嬉しい。

 

「最初は興味無かったんだけどな……。でも勝ってみせる。絶対に」


 まさか蓮に誘われて渋々参加した行事が、こんなに大切なものになるとは思わなかった。

 けれど、今は決してないがしろに出来はしない。

 意気込みを新たにし、意識を睡魔に委ねたのだった。

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