第47話 提案と条件
丈一郎から話を聞いて家に帰ってくると、顔を綻ばせた美羽に迎えられた。
普段よりも帰るのが遅くなったが、事前に言っていたからか疑問を持たなかったようだ。
風呂と飯を済ませ、片付けを終えてから美羽と向き合う。
「それで、話したい事って何?」
負の感情など混ざっていない表情で美羽が尋ねてきた。
今からその顔を曇らせると思うと、申し訳ない気持ちで胸が一杯になる。
だが、ここで引いては駄目だと気持ちを奮い立たせた。
「丈一郎さんにお礼を言いたいって言ってたよな。あれは本当の事なんだな?」
「……うん」
美羽が顔を曇らせたので、やはりそう簡単にはいかないようだ。
「でも、昨日言ったように怖いの。怒られるかもしれない、習い事をさせられるかもしれない。そう思うと、声が出ないの」
丈一郎も辛かったようだが、一番辛かったのは美羽なのだ。
ここで悠斗が説得しても、昔からの考えは変えられないだろう。
「いきなり言おうとすると、どうしていいか分からないよな」
「そうだね。何から話せばいいのか、どうやってお礼言えばいいのか分かんないよ……」
さらりとお礼を伝えられるのならここまで
とはいえ、悠斗には東雲家二人の普段の行動など分からない。
悠斗が知る範囲で何かないかと探すと、ふとある事に気が付いた。
「そういえば、美羽って魚を使った煮物を作らないよな」
今まで美羽の魚料理は焼いている物がほぼ全てだった。
文句は無いし、味を変えているのでもちろん非常に美味しかったのだが、魚の煮物をしないのは気になる。
丈一郎に会った事であまりにも美味しかった煮付けを思い出したからか、余計に違和感を覚えた。
「お母さんが苦手だったから、基礎だけ教わったの。だからあんまり得意じゃないんだよ」
「そういう事か。それなら作りたくないよな、気にすんな」
申し訳なさそうに美羽が肩を落としたが、怒っている訳ではない。
ここから何か話を膨らませられないかと思考すると、一つの考えが浮かんだ。
しかし、悠斗の思いつきを伝えるのはどうしても気が引ける。
下手をすると、悠斗が嫌われてしまうのだから。
(……それでも構わない。なるようになれ、だ)
他の考えなど思いつかないし、例え嫌われてでもやると決めたのだ。その相手が美羽でも、悠斗の気持ちは変わらない。
胸の痛みから意識を逸らしつつ、美羽の表情に注意しながら口を開く。
「今月末の球技大会のご褒美に、美羽の魚を使った煮物が食べたい。……丈一郎さんから教わるのはどうだ?」
「……それは」
あまりにも急過ぎる提案だったが、美羽は悠斗の意図を汲み取ってくれたようで驚きに目を見開いた。
これなら普段とは違う接触が出来るだろう。その結果、丈一郎との仲が少しでも良くなるならやる価値はある。
ただ、ご褒美として要求するにはあまりに辛い行為のはずだ。
悠斗の提案は、ご褒美という建前を利用して美羽を丈一郎の前に連れて行くというものなのだから。
それを分かっているからこそ、美羽の意思をしっかり確認したい。
「もちろん、美羽がお礼を言いたいのならっていうのが前提だ。……本当の気持ちを教えてくれ」
自分勝手な事を言っているのは自覚している。少しでも美羽が嫌がるのなら止めるつもりだった。
けれど、美羽は悠斗の言葉にしっかりと頷く。
「お礼は、言いたい。でも、怖いよ……」
「ああ。そんな美羽にお願いするんだから、条件を付けたい。俺が球技大会――バレーで優勝したらでいいか?」
幼い頃からの恐怖に立ち向かうのだから、ただ悠斗がバレーに参加しただけでご褒美をもらうのは不公平だ。
それでも悠斗と美羽の苦労が釣り合っていないとは思うが、少しでも同じ立場に立ちたい。
ちぐはぐな提案に美羽が眉を下げて苦笑する。
「優勝なんていいよ。私、頑張るから」
「いや、これは俺のケジメだ。美羽が頑張るなら俺も頑張る。……全然関係のない頑張りだってのは分かってるけどな。それでもだ」
「……どうして、そんな事をしてくれるの?」
はしばみ色の瞳に薄い膜を掛け、美羽が尋ねてきた。
美羽からすれば、悠斗の行動が理解出来ないのだろう。
決して気負わせるつもりはないのだと笑みを向けた。
「俺がやりたいからだよ。他人の家庭事情に首を突っ込んで、強引に引っ掻き回してるのなんて分かってる。でも、世話になってる人の願いを叶えたいんだ」
丈一郎に伝えた想いは本心だが、それを美羽に伝えれば必ず彼女は自分を追い込む。
そもそも美羽からすれば丈一郎はよく分からない人なので、尚更無理をしてしまうはずだ。
「だから、これは俺が自分の家で丈一郎さんの料理を食べたいっていう我が儘なんだよ」
本当のところが違っているなど、とっくに美羽に理解されている。けれど冗談めかして告げると、美羽の頬から雫が落ちた。
「……助けられなきゃ家族と話が出来ない弱虫でごめんね」
「人が弱いのは当たり前だ。俺だって弱い人間なんだからな」
「そんな事ない。私と違って悠くんは強い人だよ」
「あのなぁ、強い人間が隣の家の奴と揉める訳ないだろ」
悠斗は決して善良で強い人間ではない。一緒に居たくない人には雑に接するし、親しくなければ平気で見捨てる人間だ。
今の状況は、たまたま美羽と仲を深められたというだけでしかない。
呆れた風に告げると、ようやく美羽の顔に笑顔が戻った。
「そうだね。すっかり忘れてた」
「忘れてくれていいけどな。会いたくないし」
「わあ、悠くんが珍しく毒を吐いたね」
「生憎、こういう人間なんでな。……そんな人間の提案を受けてくれるか?」
ちぐはぐな提案を改めて伝えると、美羽が柔らかく破顔して頷いた。
「うん、よろしくお願いします。あ、でも……」
「何か問題があるのか? あるなら言ってくれ」
急に美羽が顔を
美羽の意思を曲げる事だけはしてはならないと尋ねれば、美羽が気まずそうな表情をしながら首を振った。
「……何でもない」
「本当か? 少しでも嫌だったら言ってくれよ?」
「大丈夫。悠くんの言葉に流されてる訳じゃないよ」
「ならいいんだが」
曇った表情が気になるが、ここで美羽が嘘を言う理由はないはずだ。
妙な違和感を覚えつつも話は
美羽を家まで送り、ベッドに寝転ぶ。
やる事が決まった以上、最大限の努力をするだけだ。
正臣や結子、丈一郎に美羽と、様々な人の期待を裏切る訳にはいかないのだから。
その為にはなりふり構ってはいられない。利用出来るものは利用させてもらう。
スマホの電話帳を開いて目的の人物に電話を掛ける。
家の事で忙しいかもしれないと不安を抱いたが、すぐに繋がった。
『よう。こんな時間に珍しいな、悠』
「蓮に頼みがある」
『いいぜ』
「まだ何も言ってないんだが?」
内容を言っていないにも関わらずあっさりと返事をした蓮に肩を落とす。
安請け合いをするなと注意すれば、電話越しにからからと笑われた。
『わざわざ休日の夜に電話してくるんだから、よっぽど大切な事なんだろ? そんな悠の頼みなんて断らねえよ』
「助かる。ありがとな」
『礼はいい。それで、用件ってのは何だ?』
「今月末の球技大会で優勝したいんだ。どこか練習出来る場所を確保出来ないか?」
残念ながらバレーを練習出来る場所など、そうそう見つからない。
部活に関しては論外だ。明日からバレー部の活動に参加し、球技大会が終わればさよならなど横暴な行為は許されない。
それに、悠斗の情報を与えて警戒されたくないというのもある。大した戦力ではないが、隠しておく事で良い事もあるだろう。
そうなると、蓮の力を借りるしかないのだ。もちろん個人ではなく蓮の家の力が。
ただ、友人ではなくその家の力だけを見ているようで、この方法は取りたくなかった。
それでも、今の悠斗には蓮の家の力に頼るしかない。個人で、なおかつ急に場所を確保出来はしないのだから。
かなりの無茶振りなのだが『分かった』と頼もしい言葉が聞こえてきた。
『明日から使える場所を探しておく』
「……お前の家の力を利用して、本当にごめん」
『気にすんな。悠になら構わねえよ』
「本当に、ありがとう」
電話越しになど伝わらないが、それでも深く頭を下げる。
どこで練習するかなどの詳細は明日話す事になり、そのまま球技大会の話題になる。
「優勝出来ると思うか?」
『……厳しいだろうな。現バレー部が一人、経験者が悠だけ。他の学年と戦わないだけマシだが、簡単に勝てるなら苦労しねえよ。別のクラスにはバレー部が集中しているところもあるんだからな』
「まあ、そうだよな」
いくら蓮の力が凄まじいとはいえ、一人の力で勝てるほど甘くはない。それは多少動ける悠斗が入っても同じ事だ。
誤魔化しやお世辞ではなく、厳しい意見をくれる蓮はとても頼りになる。
『それに球技大会まで二週間もない。そこまで体力は落ちてないだろうが、たった一週間と少しの練習なんて
「それでも、やらないよりはマシだ」
ほんの僅かとはいえ、練習するのとしないのでは確実に違いが出る。
今の悠斗に甘えた行動は許されない。
『だな。少しでも勝つ確率を上げるならやっておいた方がいいだろ』
「そういう訳で、頼む」
『任せてくれ』
頼もしい言葉に胸が温かくなる。
悠斗のような人間には優勝など無謀かもしれない。それでも、約束したからには絶対に叶えなければならない。
決意を新たにし、蓮と話しながら夜は更けていくのだった。
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