第46話 老人の想い

「それで、話を聞きたいだと?」


 丈一郎に案内されてリビングに座ると、開口一番素っ気ない言葉が飛んできた。

 相変わらずの威圧感だなと思いつつ、丈一郎を真っ直ぐに見つめる。


「はい。東雲から昔の話を聞いています。その上で丈一郎さんからも聞きたいと思ったんです」

「なぜだ? 美羽から聞いているのなら、それで十分だろうが」

「いえ、東雲の話だけでは分からない事がありました。どうして丈一郎さんが東雲に表面上冷たく当たるのか。それが知りたいんです」

「知ってどうする。知ったところでどうしようもあるまい」

「……そうかもしれません」


 丈一郎からすれば、他人である悠斗に話す事など何もないのだろう。

 それは理解出来るが、悠斗もここで引けはしない。


「東雲の母親に関しては俺にはどうしようも出来ません。でも、丈一郎さんと東雲の関係は改善出来るかもしれないじゃないですか」

「余計なお世話だ。美羽に嫌われている以上、改善など出来ん」

「……丈一郎さんは嫌われてなんていませんよ。むしろ感謝していると言ってました」


 悠斗の口から美羽の本心を伝えるのは駄目だと思うが、丈一郎の勘違いを正さなければ話は進まない。

 美羽に内心で謝罪しつつ伝えると、丈一郎が僅かに目を見開いた。

 だが、すぐにこれまでと同じく怜悧れいりな目つきになる。


「その言葉だけで十分だ。改善など望んでいない」

「どうしてですか。東雲の事を想っているのにすれ違ったままでいいんですか?」

「構わん。そもそも、なぜお前がそんな事を気にする? 美羽に料理を作ってもらう今の状況に不満があるのか?」


 丈一郎は決して悠斗の思いに頷かない。

 とはいえ美羽が幼い頃からずっとこの調子だったようなので、簡単に説得出来るとも思っていないが。

 そして、悠斗に向けられた言葉には確かな苛立ちが込められたいた。おそらく孫の何が不満なのかと思っているのだろう。

 そんなに美羽の事を想っているのに変に頑固だなと苦笑しつつ、ゆっくりと首を振る。


「いいえ。料理は美味しいですし、一緒に過ごしていて気が楽です。不満なんてありませんよ」

「なら、なぜわしらの事情に首を突っ込んでくるのだ?」

「前提が間違っているからです」


 悠斗の行動は余計なお世話でしかない。それを分かっていても、嫌な顔をされたとしても、ここは譲れないのだ。

 一歩も引かずに応えたからか、丈一郎が硬直した。

 誠意を伝える為に、昨日ひたすらに考えた続けた思いを言葉にしていく。


「丈一郎さんが東雲を嫌っているのなら、今の状況でもわざわざ口を挟まなかったでしょう。でも、すれ違っている状況を見て見ぬふりは出来ません」

「だから、それが余計なお世話というのが分からないのか?」

「いいえ、分かっているつもりです。それでも、お互いに大切に想っているのなら、この家は東雲の帰りたいと思う場所であって欲しいんです」


 悠斗の言葉に丈一郎が大きく目を見せた。


「自惚れじゃなければ、東雲は多少なりとも俺の家を過ごしやすいと思ってくれているはずです。だけど、その一番はこの家であるべきだと思うんですよ。もちろん、どうやっても過ごしやすいと思えないかもしれない。でも何もしていないのに諦めたくはありません」


 美羽が悠斗の家を気に入ってくれるのは嬉しい事だ。

 もし丈一郎が美羽を嫌っているのなら、美羽を好きなだけ家に居させただろう。

 しかし、二人はすれ違っているだけなのだ。それならば、まずは大切に想い合っている家族が居る家が居場所であるべきだと思う。

 理想論でしかない事など十分に分かっているので、丈一郎の鋭い視線にも動じない。


「そんなものは不可能だ」

「そうかもしれません。ならせめて、丈一郎さんの想いを伝えてあげられませんか? 昔のように習い事をさせるつもりはない。好きな事をしていいのだと」

「それは……」

「でも、俺にはどうして丈一郎さんがあんな態度を取るのか分からない。俺が言っている事は的外れな事なのかもしれない。だから、どうしてこうなったのか、丈一郎さんの口から知りたいんです」


 伝えるべき事は伝えた。後は丈一郎に任せるしかない。

 机に頭を当ててお願いすると、しばらくして「顔を上げろ」と声が聞こえてきた。

 頭を上げれば丈一郎の顔には苦笑が浮かんでいるのが見える。


「お節介な奴だ」

「すみません。でも、譲れないんです」


 苦笑に苦笑を返すと、丈一郎が重い溜息をついた。


「……分かった、話そう。だが、それで何が変わる訳でもないし、変えるつもりはないぞ」

「はい。お願いします」


 おそらく、これで東雲家の全ての事情を聞けるはずだ。

 一言すらも聞き逃さないと丈一郎に意識を集中させる。


「美羽の母――仁美ひとみは昔から男運が悪くてな。娘といえど付き合う男に文句を言うつもりはなかったが、その結果様々な男を好きになり、沢山傷ついた。……儂の男を立てる昔ながらの馬鹿な教育のせいだったのだろう」


 当時の事を想い出したのか、丈一郎の瞳が苦しそうに揺れた。

 丈一郎が悠斗を気遣って詳細を語らないでくれたようだが、おそらく相当な目にっていたはずだ。


「だが、ある日一人の男を好きになった。雑に言うなら人当たりが良く高収入で、将来が安泰の相手だ」

「じゃあ、その人が東雲の――」

「そう、父だ。しかし、その男にも問題があったのだ」

「……なんというか、本当に男運が無いんですね」


 美羽に料理を作らせている悠斗が言えたものでもないが、美羽の母――仁美の境遇には苦い笑みしか出て来ない。

 丈一郎も同じ気持ちなのか、珍しく肩を落とした。


「……そうだな。そして、その男の問題とは自分をあらゆる面で支える妻を求めていた事だ」

「あらゆる面?」

「仕事が出来る分、仁美にも同じ事を求めた。常に自分を気遣い、家では一切の口答えを許さない。儂が言うのもなんだが亭主関白というやつだ」

「それはまた凄い人ですね……。もしかして、別れた理由はその人の望みに応えられなかったからですか?」


 美羽と丈一郎から聞いた仁美の印象を合わせると、彼女は必死に夫の望みに応えたのだろう。

 だが今の状況からは、亭主関白であり高い要求をしてくる美羽の父の期待には応えられなかったのが分かる。

 悠斗の問いに丈一郎が深く頷いた。


「タイミングの悪い事に離婚の際には既に美羽を身籠っていてな。娘を利用して足を引っ張られるのは困るからと十分な金を渡して縁を切られたのだ」

「お金を渡す分まだマシと言えるかもしれませんが、残された側としては辛すぎますね」

「ああ。幸いそのお金で生活は出来たから問題はなかったが、残された仁美は苦しんだ。……そして、結婚を諦めた仁美は自分が出来ない事を美羽に託したのだ」

「どんな人相手でも尽くせるように、それだけの力を付けられるように、ですか」

「そうだ」


 完全に美羽の予想は合っていたようだ。

 ある意味では男に狂わされた人と言えるかもしれない。そこまでの事をされれば美羽への過剰な教育は理解出来る。

 しかし、美羽と同じ年である悠斗には理解は出来ても納得が出来ない。


「俺も親が居なければ生活出来ないし、感謝もしています。でも、子供にする教育にしては明らかに過剰だとは思わなかったんですか?」

「……思った。だが、言えなかった」

「どうして!」


 丈一郎の呟きに怒りがこみ上げ、声を張り上げた。仁美が自分で止まれないのなら、それを止めるのは丈一郎の役目のはずだ。

 美羽の顔を毎日見てはいなかったのかもしれないが、それでも出来る事はあったと思う。

 つい怒鳴ってしまい怒られるかと思ったのだが、丈一郎は申し訳なさそうに瞳を伏せるだけだ。


「そもそも仁美がそんな性格になるように教育したのは儂だ。そんな儂が今更止めろと言っても聞きはしないし、その権利もない。……何より、美羽が必死に期待に応えようとしているのだ。それを誰が止められると思う?」

「じゃあ、美羽が苦しんでいるのを見ているだけだったんですか?」


 丈一郎の言い分も一理ある。だが、これでは美羽が苦しいだけだとやるせなさで拳を強く握った。


「その通りだ。仁美への負い目もあり、美羽にどんな顔をして会えばいいのかも分からず、偶に会っては様子を確認するだけの老いぼれなど、美羽には恐怖にしか映らなかったのだろうな」

「でも、その生活に変化が起きた。仁美さんの再婚、ですよね?」

「ああ。もう一度やり直せるチャンスに仁美は飛びついた。儂から見ても流石に今度の男は大丈夫だと思う。……まあ、間違ってばかりのじじいの言葉など信用に足りんと思うがな」


 しわがれた頬には苦悩が見え、普段は伸びている背筋が曲がっている。

 そんな丈一郎にどんな言葉を掛けたらいいかなど悠斗には分からない。


「そうして仁美の期待に応えられなかった美羽について揉めた際に、儂が引き取ると言ったのだ。これからの美羽の教育は儂に一任するのを条件にな」

「だから一切の習い事を止めさせ、家の事を何もさせなかったんですね」


 これなら、今までとは全く違う丈一郎の教育方針に美羽が戸惑うはずだ。

 その結果、どこにも行けずに公園で時間を潰すしかなくなるのだから。

 悠斗の言葉に丈一郎が大きく頷く。美羽に似た赤茶色の瞳は揺れているように見えた。


「もういいのだ。仁美の過剰な教育は忘れ、好きに生きて欲しい。間違い続けた儂に何かする必要もない。美羽を追い込んだ原因である儂に、美羽の味方をする権利など無いのだから」


 これが丈一郎の本心なのだろう。

 娘も孫も不幸にしてしまい、何も出来なかった丈一郎に出来る事はあるのかと必死に考えたはずだ。

 その結果嫌われることを覚悟し、関係の修復を諦め、わざと嫌われるような事を言って美羽を自分から離した。

 どこまでも上手くいかない関係に顔をうつむける。


「それで、嫌われてでも東雲を家から遠ざけようとしたんですね」

「それしかないからな。……きっと、これで良かったのだろう。美羽のお礼の言葉をお前から聞けたのだから」

「……」


 本当にいいのか、と頭の中で疑問が渦巻く。

 迷う思考は丈一郎の痛みを押し込めた、けれどどこか晴れやかな笑顔にせき止められ、口から言葉として出て来ない。

 もう丈一郎の中で折り合いがついているのだろう。


「これが儂の知っている全てだ。悠斗、全てを知ってお前はどうする?」

「俺は――」


 昨日考えたが、解決策など思いつかなかった。

 ここで説得しても丈一郎は絶対に頷かない。それだけの想いも知った。

 その上で悠斗がどうしたいかと聞かれれば、答えはすんなりと出てきた。


「なんとかしたい。丈一郎さんが良くても、東雲が俺の家に来て楽に過ごせていても、それでも見て見ぬふりは出来ない!」


 子供の我が儘だと分かっている。けれど、美羽も丈一郎もこんなに苦しんでいるのだ。

 同じ家で過ごしている家族が、大切に想い合っている人達が、すれ違い続けているのは間違っている。

 顔を上げて丈一郎を見つめると、眩しいものを見たかのように目を細められた。


「ふん。それで、具体的にどうするつもりだ?」

「……それは、分かりません。でも必ず何かあるはずです」


 丈一郎の問いかけに再び気持ちが沈んでいく。

 言い訳のように呟いた言葉に、丈一郎が大きく息を吐いた。


「儂は今から美羽に歩み寄りはせん。……だが、美羽が歩み寄ってくれるのなら、きちんと言葉にするのを約束しよう」

「本当ですか!」


 丈一郎の言葉に顔を上げる。ほんの少しの前進に、目の前が明るくなったように感じた。

 しかし悠斗の気持ちが軽くなるのとは反対に、丈一郎の目が厳しくなる。


「もちろん、お前が美羽に無理強いをするのならこの話は無しだ」

「分かっています。絶対にしません」


 悠斗が美羽にお願いして無理矢理歩み寄らせても、何の解決にもならない。

 ただ、美羽は丈一郎を悪くは思っていないので何か突破口はあるはずだ。

 それだけはしないと丈一郎に誓うと、丈一郎の顔に挑戦的な笑みが浮かんだ。


頑固がんこな老いぼれの気持ちを変えたのだ。女一人の気持ちを前に向かせる事くらい出来るだろう?」

「もちろんです」


 方法など思いつかないが、これは悠斗の決意だ。絶対に何とかしてみせる。

 それに丈一郎にエールを送られたのだから、頑張らない訳にはいかない。

 勢いよく頷いて席を立ち、玄関に向かった。

 聞きたい事は聞けたので、流石にこれ以上長居するのは迷惑になる。

 靴を履き終えると、丈一郎がしわがれた顔を苦笑へと変えた。


「儂の半分にも満たない歳の男に願いを託す事になるとはな。……恥を忍んで言うが、頼む」

「任せてください。お邪魔しました」


 丈一郎が深く頭を下げたので、気にする必要はないのだと笑顔で応えて家を出る。

 不思議と体に元気がみなぎっていた。

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