第45話 妙な態度
日曜日の昼となり、美羽が悠斗の家に来たようで玄関の呼び鈴が鳴った。
正臣と結子は既に居らず、家を出る際にエールとからかいの言葉をもらっている。
思い出して嬉しいような、気恥ずかしいような気持ちを抱きつつ扉を開けると、そこには思わず撫でたくなるような可愛らしさの美羽がいた。
「こんにちはだな」
「う、うん、こんにちは……」
これまでと何も変わらない挨拶をすると、美羽がうっすらと頬を染めて視線を僅かに逸らす。
恥ずかしがるような仕草だが、そんな態度を取られるような事などした覚えがない。
「どうした?」
「……何でもないよ」
首を捻りつつ尋ねると、美羽に素っ気なく返事をされた。
何でもない、という割には美羽の視線はあちこちにさ迷っているし、そわそわと落ち着きがない。
昨日の事を引き
何が何だか分からないとはいえ、ずっとこのまま玄関で話をすると体が冷えてしまう。
すぐにリビングに案内すると、美羽が料理を作る為にカーディガンを脱いで椅子に掛けた。
悠斗の家に来る為とはいえ少ししか外に出ないからか、中に着ていたのは薄手の長袖ワンピースだ。
昨日は別として美羽は普段から上品な服を着ているが、今日はチェック柄のスカートと合わせて、いつにも増して気合が入っているように見える。
「何か、普段と違くないか?」
「ち、違うって、どこが?」
「んー。何と言うか、綺麗な気がする」
「ふえっ!?」
何がとは言えずパッと思いついた言葉を口にすると、美羽が素っ頓狂な声を出した。
その声に今度は悠斗が驚いてしまい、どうしたのかと美羽の顔色を
おろおろと慌てている様子に頭が冷え、とんでもない事を言ってしまったのだと頭を下げた。
「変な事を言って悪い。さっきのは忘れてくれ」
急に褒められれば誰だって動揺する。ましてや美羽は異性と付き合う事など、これまで全く考えられなかったのだ。
別にお世辞を言った訳ではないが、こうして会っている異性に外見を褒められれば変に意識してしまうだろう。
謝罪をすると美羽は瞳を僅かに潤ませ、悠斗を上目遣いで見上げた。
「……そんなに、綺麗なの?」
「だから忘れてくれって――」
「もう一回だけ。もう一回だけでいいから。それで忘れるから」
「は、はぁ……」
美羽が期待するような、けれど不安なような必死な表情で
美羽の態度は良く分からないものの、怒っていたり距離を取られる訳でもないのだし、後一回くらいはいいはずだ。
しかし先程の無意識と違い、今度は自分の意志で言わなければならない。
妙な気恥ずかしさを覚えつつ口を開く。
「綺麗だぞ。こんな感想で申し訳ないがな」
「……そ、そう。ありがとう」
悠斗の褒め言葉に美羽が顔を
気を悪くしたのかと心配になったが、顔が見えにくいとはいえ美羽の口元が緩んでいる気がする。
少なくとも喜んでくれたようなので、悠斗の対応は間違っていないはずだと胸を撫で下ろした。
「じゃあご飯作るから、悠くんはゆっくりしてて!」
何かに耐えるようにジッとしていた美羽が、急にキッチンに向かっていく。
なんだか逃げていったような気がしつつも、美羽のいじらしい反応に熱くなった頬を冷ます為に、悠斗はぐったりとソファに体重を掛けた。
「……ん?」
相も変わらずの絶品な昼食を平らげていると、ふと正面から視線を感じた。
料理から目を離して美羽の方を見た瞬間、すぐに美羽の視線が悠斗から離れる。
「何かあるのか?」
「ううん、何も。味は大丈夫?」
どうやら味が悠斗の口に合うか気になっていたようだ。
相変わらずの気遣いぶりに苦笑しつつ、普段と同じように感想を伝える。
「ああ、今日も美味いぞ」
「……えへへ、なら良かった」
へらっと緩みきった微笑みを浮かべ、美羽が食事を再開した。
美羽の内心を知った悠斗だからこんなにも気を許しているのだろうが、無垢な笑顔はあまりに心臓に悪い。
美羽が顔を下に向けて良かったと思いつつ、悠斗も食事に戻ると再び視線を感じた。
だが顔を上げても、先程と同じく悠斗と美羽の視線は交わらない。
「まだ何かあるのか?」
「何もないよ」
「いや、でも――」
「何もないの。感想を言ってくれて嬉しかっただけ」
何度も感想を言っているので、今更そんなに喜ばれるのは違和感がある。
けれど、美羽がそう言うのであればこれ以上は踏み込めない。
「……そうか」
その後も昼食を平らげていると、何度も何度も美羽に視線を向けられた。
とはいえ聞けもしないので、気にせず昼食を終えて皿洗いの為にキッチンに美羽と並ぶ。
皿の受け渡しをしているのだから、多少手が触れ合う事くらいは今までもあった。
けれど手が触れた瞬間に美羽の体がぴくりと震えたのだから、いくらなんでもおかしい。
「今日の美羽は変じゃないか?」
「そう? いつもと変わらないよ?」
食器を洗いつつ美羽の横顔を見ても頬がうっすらと赤くなっている気がするだけで、それ以外は普段と変わらないように見える。
しかし、なんとなく悠斗の様子を観察されている気がした。
「……もしかして、昨日触れたのが嫌だったか?」
これほどまでにジッと見られ、しかも悠斗の手に反応したのだ。
もしかすると昨日頭を撫でたのは失敗で、実は嫌がっていた可能性がある。
それどころか抱き締めてもいたので、もしやあの行動が駄目だったのかもしれない。
そうであるなら今日の美羽の態度も納得なので、怖くはあったが思いきって尋ねてみた。
すると、美羽が勢いよく首を振る。近い距離だったので淡い栗色の髪が
「そんな事ないよ! 嬉しかったから!」
「でも、今日は俺の事をずっと警戒してないか?」
「してない! なんというか、その……」
「その?」
美羽がぷるぷると震えて縮こまる。
本当にどうしたのかと美羽の顔色を窺うと、少しだけ潤んだ瞳と視線が合った。
気恥ずかしさを押し込めたような濡れた瞳に、悠斗の心臓がどくんと跳ねる。
そのまま目を合わせていると、美羽が思いきり視線を逸らした。
「何でもない! 気にしないで!」
「いや、でも、明らかに――」
「本当に何でもないの! 昨日の事が嫌だった訳じゃないし、警戒なんてしてないから!」
「……ならいいけど」
昨日の悠斗の態度は大丈夫だったようだし、警戒されていないのならわざわざ蒸し返す必要もない。
それでも美羽の態度がよく分からないのは確かだ。聞けはしないので渋々と納得して洗い物を再開すると、視界の端で美羽がホッと息を吐いたのが見えた。
美羽の態度は悠斗の部屋で本を読んでいてもおかしい。
昨日は黙々と読んでいたはずなのに、背中に視線が突き刺さっている。
どうしたのかとテーブルから顔を上げて振り向くが、一瞬だけ美羽と視線が合うとすぐに視線を逸らされた。
こんな事は今までなかったと首を捻りつつ読書を再開し、
そうして夕方になり、普段と同じくランニングに行く悠斗を美羽が見送りしてくれている。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「行ってきます。ああそれと、今日はゆっくり走るから、少し帰るのが遅くなると思う」
「分かった。じゃあ晩ご飯を作るのは悠くんが帰ってきてからにするね」
「それで頼む」
普段よりも笑顔な気がする美羽にお願いすると、疑問を持たずに頷いてくれた。
あるいは気付いたのかもしれないが、深くは聞かないでくれたのだろう。
家を出て、これまでのランニングコースとは違った道を駆ける。
そして歩きであれば十五分程度の道を制覇し、少し古ぼけた家の前に立つ。
覚悟を決めて呼び鈴を鳴らすと、中から年老いていても鋭い雰囲気を放つ老人が出てきた。
連絡も無しに急に来たが大丈夫だったようだ。
「何の用だ?」
遠雷のような声に
「東雲からこれまでの話を聞きました。貴方からも話が聞きたいんです、丈一郎さん」
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