第44話 二人の気持ち

「おかえり、悠斗」


 美羽を送り届けて家に帰って来ると、正臣に迎えられた。


「ただいま」

「東雲さんから何か話は聞けたかい?」

「うん。今まで疑問に思ってた事の殆どを聞けたよ」


 両親について、公園で時間潰しをしていた本当の理由、どうして美羽がああいう性格になってしまったかなど、数々の疑問が解消された。

 少し分からない部分はあるが、それは美羽ではなく別の人に聞くべきだ。

 柔らかな笑みを浮かべる正臣に頷くと、正臣が笑みをより深くした。


「なら、悠斗はどうしたい?」


 美羽の事情を聞くでもなく悠斗の行動を求める真剣な言葉に、顔をうつむけて思考する。

 掛かった時間はほんの少しだった。


「全部を解決するのは俺には無理だ。それでも、出来る限りの事はしたい」


 母親との間にある複雑な想いを悠斗に解決する事は不可能だ。

 もちろん愚痴ならいくらでも聞くが、それで終わるほど甘くはない。

 ただ、ここまで美羽の事情に首を突っ込んでいるのだ。お節介だと分かっていても、丈一郎とのすれ違いは解消したいと思う。

 真っ直ぐに正臣を見て伝えると、正臣の目が嬉しそうに細まった。


「なら、自分のやりたいようにやるといい。応援してるよ」

「ありがとう、父さん」

「でも、私から一つだけ言わせてくれ」


 正臣が笑顔の質を悲しみへと変える。

 そこにはひたすらに悠斗を気遣う気持ちが溢れていた。


「私も、結子も、悠斗が大切だ。息子に一人暮らしをさせていてもね。でも、無理だけはしないで欲しい」

「……そんな事しないって。俺が無理しただけで変えられると思うほど、自惚うぬぼれちゃいないから」


 無理をする程頑張ったところで、悠斗の力だけでは何も変えられない。そんな事は十分に理解している。

 心配は杞憂きゆうだと首を振るが、正臣の顔から不安が晴れない。


「そうは言っても、少しでも可能性があるなら悠斗は頑張るだろう? 多分、誰から何を言われても」

「いや、しな――」

「仮にだ。悠斗が全校生徒から嫌われる事で東雲さんの問題が解決するのなら、悠斗はどうする?」

「それ、は……」


 どうせ悠斗など窓際でひっそりとしているだけの生徒だ。

 全校生徒から嫌われても、美羽の問題が解決するのなら構わない。

 それほどまでに美羽に入れ込んでいるのだと今更ながらに気が付いた。

 悠斗の言葉が止まった事で、正臣が眉を下げる。


「他人の為に頑張れるのは美点だし、私の息子として誇らしいけどね。それでも、悠斗がボロボロになるのを良しとは出来ないよ」

「……それでも」


 それでも、悠斗が傷つく事で美羽が苦しまなくて済むのなら悠斗は行動を起こすだろう。

 小さな呟きに正臣が「仕方ないなぁ」という風に苦笑した。


「ああ、それでも頑張るのが悠斗だからね。だから止めろとは言わない。けれど私も、結子も、おそらく東雲さんも、皆が悠斗の事を心配しているのを忘れないでくれ」

「……分かった、ありがとう」


 正臣の言葉を胸に刻み、深く頭を下げて二階に上がる。

 階段を登りきったところで、「悠斗」と結子の優しい声が聞こえてきた。


「無理しないでと言っても頑張るでしょうから、せめて悔いの無いように精一杯なさい」

「ありがとう、母さん」

「もし辛かったら美羽ちゃんに慰めてもらうといいわ」

「……誰がそんな事するか」


 事情を解決したいと思う人に慰められるなど、情けなさ過ぎる。

 素っ気なく返すと、結子のくすくすと軽やかな笑い声が聞こえてきた。


「でも、美羽ちゃんは慰めたいと思うかもしれないわよ?」

「そうだね。そういう場合は遠慮なく甘えるといい」

「……知らん。おやすみ」


 おそらく美羽の前で情けない姿を見せると慰められそうな気がするので、何が何でも強がろうと決めた。

 茶化してくる両親に挨拶して自室に引っ込む。

 ベッドの上に身を投げ出し、腕で目を覆った。


「何か、俺に出来る事はないのか……?」


 美羽と丈一郎はすれ違っているだけだが、そう簡単に関係を修復出来はしない。

 悠斗が多少言葉を掛けたところで、どちらも歩み寄れないだろう。

 どうしたものかと思考しつつ、夜は更けていった。









「……帰りました」


 家の扉を開けて中に入る。普段よりもかなり遅い時間に帰ってきたからか、リビングに電気は点いていなかった。

 丈一郎は早寝なので、とっくに布団に入ったのだろう。

 顔を合わせない事にホッとしつつも、そんな感情を抱く自分に罪悪感を覚える。

 そのまま自室に入り、風呂を終えてベッドに寝転んだ。


「話して良かったぁ……」


 母への文句など、あまりに親不孝過ぎてずっと心の中に押し込めていた。

 けれど、そんな美羽でも悠斗は受け入れてくれたのだ。

 あの時の嬉しさは言葉で言い表せないほどで、悠斗には少しも伝わっていないだろう。

 その嬉しさのままに頭を撫でてもらったが、とても気持ち良かった。

 それこそ、ずっとして欲しいと思えるくらいに。


「また、撫でてくれるかな?」


 何をしたら撫でてくれるかなど思いつかないが、撫でられる為なら何でもしてしまいそうだ。

 これまで男子に対して触れて欲しいと思った事などないのに、なぜか悠斗に対しては考えてしまう。

 美羽の黒い部分を受け入れてくれたからという事もあるが、おそらく美羽にとって一番親しい友人だからだろう。

 悠斗の事を考えるだけで胸が温かくなり、明日になるのが待ち遠しく思えた。


「ご飯を作って、本を読んで、偶に話して……。こんな生活が出来るなんて思わなかった」


 料理は母に納得してもらえるかと怯え続け、ほぼ自由時間など無く習い事と勉強ばかりだったこれまで。

 高校に入学してからは自由時間こそ増えたが、誰とも遊ぶ気になれなかった。

 そして丈一郎から逃げている罪悪感で押し潰されそうになりながら、夕食の時間まで公園に居続けていたのだ。

 丈一郎とは気まずい関係だが、それを抜きにすれば今はこんなにも穏やかな時間が流れている。

 それに、今日の晩ご飯もだ。あんなにも優しい時間があるとは思わなかった。

 だからなのか、醜い本心が溢れ出してしまう。


「お母さんと一緒に居るより、ずっと楽しかったな」


 悠斗に言ったように、お金と時間を掛けてくれた母には感謝している。けれど、どうしても不満はあるのだ。

 そして父親は分からないが、結子は美羽のイメージにある母親とはあまりにも違っていた。

 他の家の娘という事も十分にあるのだろうが、それでも美羽に優しくしてくれたのだから。

 そして結子の撫でる手があまりにも母と違っていて、優し過ぎて、いつの間にか涙が溢れてしまった。

 美羽が謝って水に流してくれたようだが、それでも申し訳なさは消えない。


「いつかお返しをしよう」


 もう次に会う約束をしているのだ。それに、この生活を続けていれば必ず結子と正臣に会える。

 忘れはしないと誓いつつ、大切にしている猫のぬいぐるみを抱き寄せた。


「……悠くん」


 名前を呼ぶだけで気持ちが弾み、頬が緩んでしまう。

 今すぐにでも顔が見たい、声が聞きたい、傍に居たい。

 とはいえ母や悠斗の事は抜きにしても、美羽は丈一郎から逃げている薄情者だ。美羽に出来るのは悠斗に喜んでもらえるように頑張る事だけだろう。

 思考を切り替え、明日は何を作ろうかと考える。

 すぐに温かで幸せな気持ちに胸が満たされ、ぬいぐるみを抱き締め続けたのだった。

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