第43話 次に会う約束

 ふと時刻を確認すれば、かなり夜がふけていた。

 流石に美羽を帰らせなければと、撫でるのを止めて手を離す。


「あ……」


 残念そうな声が耳に届き、罪悪感で胸が締め付けられた。

 正直な事を言えば、淡い栗色の綺麗な髪をもっと撫でたい。

 けれど、このままではずるずると悠斗の部屋に居てしまうだろう。

 胸の苦しみと美羽の表情を無視しつつ立ち上がる。

 

「だいぶ遅い時間だから、もう帰った方がいいぞ」

「……そうだね」


 美羽が再び催促さいそくする事なく頷いた。

 物欲しそうな表情は、すぐに普段通りの平静な顔つきになる。

 その表情にちくりと胸が痛んだが、ぐっと奥歯を噛んで我慢した。


「帰ったらちゃんと目を冷やしておけよ? 明日腫れるからな」


 真っ赤になった瞼を心配すれば、美羽が柔らかく笑む。


「うん。ありがと」

「よし、なら帰るか」


 帰り支度を終えた美羽と部屋を出る。

 一階へと降りてリビングの扉を開けると、心配そうな顔つきをした正臣達と目が合った。

 やはり美羽の事が気がかりだったのだろう。両親を安心させる為に笑顔で頷く。

 

「美羽はもう大丈夫だから、送っていくよ」

「分かった、気を付けて――」

「あの。正臣さん、結子さん」


 美羽が正臣の言葉を遮ってリビングへと入る。

 正臣達と顔を合わせるのが気まずいかと思っての対応だったが、挨拶しておかないと気が済まないようだ。

 二人の近くへと向かうと、美羽が深く頭を下げた。

 

「ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」


 突然の謝罪に、正臣と結子が二人そろって微笑ましさを混ぜ込んだ苦笑を浮かべる。


「気にしないでいいのよ」

「そうだね。まあ、結子の不用意な接触は私が叱っておいたから」

「え!?」


 正臣の発言に美羽が顔を青くした。

 美羽からすれば、自分のせいで結子が怒られるのは許せないのだろう。


「全然嫌じゃなかったですから! 結子さんが怒られる理由なんてありません!」

「あらあら、ありがとう美羽ちゃん。でもまあ、いきなりだったからびっくりしたわよね、ごめんなさい」

「結子さんが謝らないでください! 悪いのは私なんです!」

「まあまあ東雲さん、落ち着いて」

「は、はい」


 焦って必死にお願いをしている美羽を正臣がなだめた。

 美羽が大きく息を吐き、落ち着いたのを確認してから正臣が口を開く。


「とりあえず、もう大丈夫だね?」

「はい。ご迷惑を――」

「さっきも言ったが、気にしないでいいよ。また元の話に戻るから、ここで終わりにしよう」

「……分かりました」


 美羽が納得がいかなさそうに顔を曇らせるが、このまま話を続ければ正臣の言う通りになるのが分かったらしい。渋々と言わんばかりの顔をしながら受け入れた。

 美羽の態度に正臣が満足そうに笑み、空気を入れ替えるようにパンと手を叩く。


「さて、もう夜も遅い。悠斗も一緒だが、気をつけて帰るんだよ?」

「ありがとうございます」

「それと、次に帰ってくる時も一緒にご飯を食べてくれると嬉しいかな」


 しばらく会えないかのような言い方をする正臣に疑問を覚えたのか、美羽が首を傾げた。


「次、ですか? ……そういえば、正臣さんと結子さんはいつ帰るんですか?」

「私と結子は明日の朝に帰るよ。だから東雲さんとはここでお別れだ」

「……はい?」


 突然の言葉に、美羽が目を見開いて固まった。

 悠斗もそんな言葉は初耳であり、正臣へと問いかける。


「いつもは日曜の昼くらいに出てなかったっけ?」

「前はそうだったけど、家が綺麗に片付いているから予定を早めても大丈夫かと思ってね。あっちに着いてからゆっくりも出来るし」

「そんな!? 私、何もお礼してません! 何時に出るんですか!?」


 そう簡単に気に病む性格は変えられないのか、美羽が焦ったように顔を曇らせた。

 何が何でもお礼をしようとする美羽を、微笑ましそうに結子が見つめる。


「お礼なんて気にしないでいいわよ。朝早くから来る必要もないわ」

「でも……」

「どうしても気にするのなら、今度料理を作ってくれるかしら?」


 美羽の必死さから、いくら大丈夫と言っても駄目だと思ったのだろう。

 正臣と同じように次に会う約束を持ち掛けると、髪が乱れるほどに美羽が大きく頷く。


「はい! 絶対に美味しいものを作ります!」

「……そこまで気負わなくてもいいんだがね。まあいいさ。それじゃあ東雲さん、さようなら」

「またね、美羽ちゃん」

「本当にありがとうございました! さようなら!」


 何度も何度も美羽がお礼を言いつつ家を出る。

 玄関まで来ていた正臣達が見えなくなるまで、美羽はしきりに後ろを振り返って頭を下げていた。

 とはいえ流石に姿が見えなくなると、頭を下げるのを止めて歩くペースを早める。

 先程まであれほど話していたのに、今はなぜか会話が無い。

 けれど美羽の事を深く知れたからか沈黙が気まずいとは思わず、むしろ温かさすら感じる。

 触れるか触れないかの距離で歩く事約十五分。東雲家に着いた。

 あまり距離がないのは確かだが、普段よりも歩く時間が短く感じた気がする。


「……じゃあね」


 お別れの言葉を告げた美羽の顔は曇っており、申し訳ないというよりかは名残惜しんでいるように見えた。

 勘違いもいいところだと自分に呆れつつ、部屋でのお詫びだと適当な理由で自らを納得させて、美羽の頭に手を伸ばす。

 一瞬何をされるか分からなかったようだが、美羽は無抵抗で悠斗の手を受け入れた。


「明日は昼から来るのか?」

「そうしたいな。ご飯も一緒に食べたいんだけど、駄目?」


 悠斗の家に居る事に罪悪感を感じなくなったのか、あまりにも可愛らしいお願いをしてきた。

 どうせ昼には両親が居なくなるのだ。美羽が料理をしなければ、悠斗が弁当を食べる事になってしまう。


「むしろ俺からお願いしたいくらいだ。昼飯も作ってくれるか?」

「うん、任せて」

「ありがとな」


 少し乱暴に頭を撫でると、申し訳なさそうな顔が気持ちよさそうに綻ぶ。

 もう美羽は大丈夫だと安心して手を離せば、美羽の顔が一瞬だけ悲しそうに曇った。


「……じゃあ、また明日ね。本当にありがとう、悠くん」

「お礼なんていらないって。また明日な」


 再び美羽の頭へ手を伸ばしてしまいそうになったが、これ以上撫でていては悠斗が帰れなくなってしまう。

 断腸の思いで後ろを向き、美羽の家を後にする。

 先程と同じ無言の空気なのに、先程と違った寒さを感じて身震いするのだった。

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