第40話 焼き肉奉行

「良い時間だし、そろそろ行こうか」


 晩飯時となり、正臣が音頭を取って家を出た。

 正臣と結子が帰って来た時は毎回こうしているが、今日は美羽もいるのが少し違和感だ。

 とはいえ、美羽が両親と仲良く会話しているので何も問題は無いだろう。


「あの、本当に私もご馳走になって良かったんですか?」

「当然じゃない。遠慮しなくていいわよ」

「そうだね。私達は悠斗の顔を見る為に帰ってくると、毎回こうして外食してるんだ。気にしないでいいよ」

「むしろ外食するんですから、もう少しまともな服を着てきたかったです……」


 昨日の時点で美羽は正臣から「今日はラフな服で来て欲しい」と言われていた。

 おそらく美羽は家で食べるから、かしこまらなくていいのだと判断したのだろう。

 そう思って簡素なパーカーとズボンを着てきた結果、外食をする事になったのでしょげている。


「匂いが付くから止めておいた方がいいかな。まあ驚かせたくて行先を告げてないから、そこは申し訳ないけどね」

「匂い、ですか? どこに行くんでしょう……?」

「残念ながらまだ秘密だよ。とはいえ、高校生であれば大抵の人が好きな食べ物さ」

「はぁ……」


 疑問符を浮かべる美羽を微笑ましそうに眺めつつ、正臣と結子が先導する。

 繁華街に踏み入れ、とある店の前で立ち止まった。


「さあ着いたよ。昨日結子が聞いたと思うけど、肉は食べられるんだよね?」

「はい、大丈夫です。でもここって……もしかして、結構高いんじゃないですか?」


 目の前の店はいかにも上品な焼き肉店であり、雰囲気から美羽が高級店だと察したようだ。

 まさかそんな所に連れていかれるとは思っていなかったようで、顔を強張らせている。

 そんな美羽をご機嫌な笑顔の結子が見つめた。


「気にしないでいいのよ。こっちに帰って来た時にしか来ないんだし、偶には贅沢しなきゃね」

「あ、あの、でも、流石にこれは――」

「結子の言う通りさ。誘ったのは私達なんだから、東雲さんが気に病む必要はないんだよ」

「う……悠くん」


 美羽に助けをうような目で見つめられたが、残念ながら悠斗は両親側の人間だ。

 

「諦めろ、ここで逃げようとしても絶対に捕まるぞ」

「そんなぁ」

「美羽の料理は美味しいし楽しみにしてるけど、こういう日があってもいいだろ。父さんと母さんが言ったように遠慮すんなって」

「……すみません、ごちそうになります」


 何を言っても駄目だと判断したようで、美羽が思いきり頭を下げた。

 顔を上げた美羽の表情は申し訳なさで一杯であり、三人から気にするなと言われても気に病んでしまうのだろう。

 この場で何度も同じ口論をしても仕方ないと判断したのか、正臣が店へと足を向ける。


「じゃあお腹いっぱいになるまで食べてくれ。因みにこの店は肉以外も美味しいからね」

「はい。……うわぁ、こんな良い店に入るんだ」


 完全に気後れした声色で美羽が呟きつつ、びくびくしながら悠斗の後ろをついてくるのだった。





「……さて、東雲さんもいる事だし、改めて。この場は私が仕切らせてもらうよ」


 とりあえずの注文が届き、目の前には普段絶対に食べられないような肉が並んでいる。

 ただ、悠斗と結子は肉が来ても一切手を付けていない。

 そんな悠斗達に美羽が首を傾げていると、真剣そのものの表情をした正臣の声が響いた。


「いつも通り私が焼く。どうしても食べたいのであれば好きに焼いてもらって構わないが、出来れば言って欲しい」

「あの、そこまでしてもらわなくても自分で――」

「美羽、ストップ。それ以上はいけない」


 美羽の性格であれば自分で焼きたいと思うのは理解出来るが、この場では悪い方向にしか働かない。

 すぐに美羽の言葉を遮ると、やはりというか首を傾げられた。


「どうしてなの? ご飯をごちそうになるんだし、自分の分は自分で焼くべきだと思うんだけど」

「父さんのこだわりってやつだ」

「ああ、焼肉というのは適切な焼き加減こそ素晴らしいのであり、それを自分の手で行えるというのは至高の時だ。つまり――」

「え、えっと」

「はいはい。美羽ちゃんが引いてるからそこまでにしておいた方がいいわよー?」


 唐突に熱く語り始めた正臣を結子が制止すると、ばつが悪そうな顔をして正臣が頭を下げる。


「すまないね、まあ肉を焼くのが好きなだけだ。もちろん本当に嫌であれば好きにしても構わないし、他の人の焼き方に口出しもしない。ただ、出来るなら焼かせてくれないかい?」

「……はい、分かりました」


 正臣の意外な一面を見たせいか、美羽が引きった笑みで頷いた。

 すぐに正臣が肉を焼くのに集中し始めたからか、隣の美羽がこっそりと耳打ちしてくる。


「ねえ、正臣さんってもしかして……」

「まあ、そういう事だ。でも口うるさくはないし、焼き加減も言ったらその通りにしてくれる。むしろ沢山言うと喜ぶ変わった人だな」


 悠斗の知る限り正臣の唯一の欠点がこれだ。なので、悠斗と結子は焼き肉店に行くと完全に正臣に任せている。

 とはいえ、食べる側に色々注文されるのが好きな本当に珍しいタイプなので、堅苦しい空気にはならない。


「むしろ言わないとあれこれ勧めてくるから、自分のペースで食べたいなら言った方がいいぞ」

「……気を付ける」


 戸惑いが見える苦笑を美羽が浮かべていると、早速正臣が肉を焼き上げた。

 やはりというか、まずはおもてなしすべきである美羽に食べさせたいようだ。


「一口目は東雲さんからだね」

「いただきます」


 遠慮するのは諦めたらしく、素直に美羽が肉を口に運ぶ。

 一口噛むと、美羽の顔に驚きが広がった。


「おいしいです!」

「その言葉が聞けるのならいくらでも焼けるな。やはり焼肉は――」

「いいから正臣さんは次の肉を焼きましょうね?」


 もはやいつも通りとすら言える両親のやりとりに小さく笑みつつ、美羽の様子を見る。

 かなりいい肉だからか、その表情は輝かんばかりの笑顔だ。


「……本当に、おいしい」

「それなりに高い物だし、なんだかんだで父さんの焼き加減はばっちりだからな」

「ふふ、そうだね。美味しい、美味しいよ……」

「美羽?」


 先程まで美羽の表情は満面の笑みだった。けれど、今の笑顔はどこか儚げな気がする。

 違和感を覚えてじっと美羽の表情をうかがうが、美羽はすぐに瞳を細めて首を振った。


「何でもない。もうここまで来たんだし、お腹いっぱい食べようかな」

「それがいい。どうせ次から次へと肉は来るんだからな」

「さあ二人共、どんどん食べてくれ!」


 折角滅多に行かない高級店に来たのだ、ここで美羽に踏み込んでしんみりさせるのは駄目だろう。

 テンションの上がって子供のような笑顔を浮かべる正臣から肉を受け取り、質のいい肉の味を楽しんだ。





「今日は本当にありがとうございました」


 焼き肉を食べ終わり、家に帰ると美羽が深く頭を下げた。

 そんな美羽の態度に両親が柔らかい笑みを浮かべる。


「満足してくれたかい?」

「はい。本当に美味しかったです」

「それなら良かったわ。また食べに行きましょうね」

「ありがとうございます。それで、何かお返しをしたいんですが……」


 店で問答するのを諦めたとはいえ、されっぱなしというのは美羽の性格的に許せないようだ。

 おそるおそる尋ねれば、両親が気遣わし気な笑みになる。


「そんな事しなくていいんだよ。むしろ、これは東雲さんが悠斗と一緒にいてくれている事への私達からのお礼だ」

「お礼なんて――」

「美羽ちゃん、そんなに気を張らなくてもいいのよ? 私達からすれば二人共まだまだ子供なんだし、甘えて欲しいわ」


 この二日間で親しくなったからか、顔を曇らせて戸惑っている美羽の頭を結子が軽く撫でた。

 おそらく、気負いがちな美羽の心を少しでも軽くしようと思っての行動だと思う。

 こういう時は同性であり、母親としての包容力がある結子に任せるべきだと思っていると、美羽の頬に雫が流れた。


「あ、あれ……?」

「美羽ちゃん?」


 まさか美羽が泣くとは思っておらず、結子が美羽の表情を窺う。

 美羽自身どうして涙が溢れたのか分かっていないようで、勢いよく首を振った。


「違うんです! 嫌とか、そういうのじゃなくて……。あれ、おかしいなぁ」


 無理矢理作ったような泣き笑いをしつつ、美羽が結子から距離を取る。


「すみません、もう帰りますね」

「悠斗」

「分かってる」


 正臣の短い言葉だけで次に何をすればいいのか分かった。それに、正臣に言われずとも同じ行動をしただろう。

 きびすを返そうとしている美羽の前に立つ。


「美羽、部屋で少し休まないか?」

「大丈夫だよ、気にしないで」

「あのなぁ……。そんな状態の美羽を帰らせる訳ないだろ。いいからほら、上がれって」


 少々強引で申し訳ないと思いつつ、華奢きゃしゃな肩を軽く叩いて家に入るように促した。

 悠斗に引く気がないのを理解したのか、美羽が大人しく家へと入っていく。


「二階、行くか」

「……うん」


 いくら多少親しくなったとはいえ、両親がいると美羽が気を張ってしまうだろう。

 悠斗の部屋を提案すれば、美羽は大人しく後ろをついてくるのだった。

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