第39話 悠斗の自室

「お、お邪魔します……」


 土曜日の午後。昨日約束していた通り、美羽が悠斗の家に来た。

 普段通り迎えに行くが、悠斗だけでなく結子までもが玄関へと向かう。

 そのせいか美羽がいつもより表情を強張らせ、おっかなびっくりという風に挨拶した。


「そんなに緊張しなくていいわよ、昨日一緒にご飯を食べた仲でしょう?」

「それは、そうなんですが……」

「そうやって圧を掛けるから美羽が怖がるんだろうが。……まあ、母さんの言う通りでもあるけど」


 結子は美羽の事を気に入ったようで、先程までいつ美羽が来るかとそわそわしていた。

 遠慮しがちな美羽からすれば、他人の親はどうしても緊張してしまう存在なのだろう。


「もっと力を抜いてくれ。雑なくらいでちょうどいいぞ」


 小さく苦笑しつつ大丈夫だと伝えるが、美羽の顔から強張りが抜ける事はない。


「そんな事出来る訳ないよ」

「あら、是非やって欲しいくらいだわ。美羽ちゃん、もっと友達に接するみたいにしていいのよ?」

「あの、その……」

「結子、そこまでだよ。いらっしゃい、東雲さん」


 流石に強引過ぎたのか、正臣がリビングから出てきて結子を制止した。

 普段は結子が正臣を引っ張っているものの、注意されると結子は驚くほど素直に引く。

 とはいえ、結子の顔には不満がありありと現れているのだが。


「こんにちは、正臣さん」

「こんにちは、さあ上がってくれ。今日は悠斗の部屋で遊ぶんだよね?」

「はい、お邪魔しますね」


 今日は正臣と結子がずっとリビングにいるので、そこに美羽を放り込むと気疲れして夕方まで持たないはずだ。

 なので、今日は悠斗の部屋で遊ぶ事になっている。

 美羽を先導する為に先を歩いて階段を上っていると、「ああ、そうだ」と結子のからかうような声が耳に届いた。


「部屋で二人っきりだけど、下に私達がいるんだから羽目を外し過ぎちゃ駄目よ?」

「おい母親。余計な事を言うんじゃない」


 これから女性を自室に招待するのだから、出来るだけ美羽に意識させたくはなかった。

 完全に計画を壊されたので、慌てて結子へと振り返りキツイ言葉をぶつければ、結子がにやにやと意地悪な笑みを残してリビングへと逃げていく。

 何を考えているのかと大きく息を吐き出しつつ美羽を見ると、やはり意識してしまったようでほんのりと頬を朱に染めている。


「悪いな、母さんにはちゃんと注意しておくから」

「まあ結子にも悪気があった訳じゃないんだ。少なくとも私や結子といるよりは、悠斗と一緒の方が落ち着くだろう?」

「それ、は……」

「父さんも何言ってんだ。そんなの答えられる訳ないだろ」


 反応に困る正臣の言葉に美羽が困惑しきり、瞳をあちこちへと散歩させ始めた。

 肯定すれば正臣達を落とす事になるし、否定すれば悠斗を落とす事になるのだから、あまりに意地悪な質問である。

 変な事を言うなと正臣にじとりとした視線を送ると、ほんのりとからかいの色を混ぜた笑みを返された。


「これでは結子の事を言えないな。という訳で夕方まで悠斗の部屋でゆっくりしてくれ」

「はい……」

 

 穏やかな笑みを浮かべて正臣がリビングに引っ込んでいく。

 結子がからかうのは分かるが、正臣も同じ事をするとは思わなかった。

 意識させらせた上に取り残されたのだから、微妙に気まずい。


「……じゃあ行くか」

「……お願いします」


 ぎこちない空気の中、悠斗の部屋に美羽を招き入れた。

 特段変わった物などないのだが、美羽が物珍しそうに辺りを見渡す。


「何かいっぱいあるねぇ。悠くんはこの部屋で過ごしてるんだ……」

「漫画にラノベ、ゲームと趣味ばっかりだけどな」


 正直なところ、あまり自慢出来るような部屋ではない。

 部活を引退し、受験勉強の息抜きがてらに何かないかとあれこれ買った結果だ。

 しかし、これぞインドア派の男の部屋だと言える悠斗の自室に、美羽は興味の目を向けている。

 どうやら先程の結子達のからかいはすっかり忘れたようだ。


「ゲームしてもいいし、本を読んでもいい。好きな事をしてくれ」

「……じゃあ、これ読んでもいい?」


 どうやら美羽は本棚に並べているラノベが気になったようで、おそるおそる尋ねてきた。

 そんなに怖がる必要はないと笑顔を向ける。


「それは面白いからおすすめ出来るけど、結構内容が複雑だから理解するのに頭を使うぞ?」

「いいの。絵が可愛いし、面白そう」

「それなら好きにしてくれ」

「……でも、よく考えたら一緒に遊んでないよね」


 二人で同じ部屋にいるのだから、一緒に遊ぶべきだと思ったのだろう。

 だが、何もかも二人でする必要はないはずだ。


「美羽が過ごしやすいようにしてくれたらそれが一番だから、気にすんな。折角だし俺も最近出た本を読もうかな」

「ありがと」

「お礼を言われるような事じゃないって。好きにくつろいでくれ」

「ならそうさせてもらうね」


 学校帰りに買ってきたはいいが積んでいる本を取って、ゲーム用に買っている椅子に座る。

 美羽の方はクッションに座り、ベッドの側面に体を預けた。

 初めて自室に女性を招いたにしてはあまりに味気ない気もするが、美羽といつも二人で過ごしているからか変な気負いはない。

 本が気になって仕方ないのかすぐに美羽が読み始めたので、小さく笑みつつ悠斗も読書に入った。





 読書をし始めて二時間。どうやらよほど面白いようで、美羽は黙々と読みふけっている。

 それほどまでに気に入ってくれたなら良かったと小さく笑みつつ、飲み物を取りに行く為に席を立った。

 かなり集中しているせいで悠斗の様子には気付いていないらしく、微動だにしない美羽を残して部屋を後にする。


「母さん。飲み物と適当なお菓子はないか?」

「ちょうど今から持って行こうとしたところよ。はい」


 タイミングが良かったようで、結子から渡されたトレイの上にはお茶が二つと菓子が置かれていた。

 折角あんなに熱中しているのだから、美羽の集中を乱すのは避けたい。リビングに降りて正解だった。


「ありがとう」

「どういたしまして。それで、変な事はしてないでしょうね?」

「誰がするか。二人共本を読んでるだけだ」

「一緒にいるのが当たり前みたいでいいわねぇ」

「そうだね。一緒の部屋で別々の事をしても気まずくならないのは良い事だよ」

「……まあ、気楽で俺は有難いけどな」


 正臣と結子に悠斗達の過ごし方を肯定されて背中がむず痒くなる。

 もっとあれこれ言われると思ったが、かなり意外だ。


「それならいいんだよ。一緒にいるのにずっと気を張るのは疲れるからね」

「美羽はどう思ってるか知らないけどな」

「大丈夫よ。女の子は警戒してる人と部屋で二人っきりになんてならないから」

「父さんと母さんに気を遣わせるのは悪いから、俺の部屋に来ただけだろ。……まあいいや、それじゃあもらっていくよ」

「ええ」


 悠斗の部屋にいる以上、普段よりも悠斗を意識してしまうはずだ。

 それでも美羽が気楽に過ごせるのであれば喜ばしい。

 にこやかな笑みを浮かべる両親に背を向けて自室に戻る。

 出る時はなるべく音を立てないようにしていたが、トレイを持っているのでどうしてもドアの音が鳴ってしまった。

 その音でようやく悠斗の様子に気付いたのか、美羽が顔を上げて申し訳なさそうに眉を下げた。


「手間掛けさせちゃってごめんね」

「普段あれこれしてもらってるし、飲み物を持ってくる事くらいやらせてくれ。それに、そんなに真剣に読んでくれるなら勧めたかいがある」

「でも……」


 おそらく、飲み物を持ってくるのは自分の役目だと思っているのだろう。悠斗がフォローしても美羽の顔は曇ったままだ。

 このままではいつまでも美羽が引きってしまうので、視線を美羽が持っている本へと向ける。


「二時間と少しでもう一冊読み終えるなんて早いな。何か面白い所とかあったか?」

「え? そうだなぁ……。読書感想文で小説は読んだ事はあったけど、ゲームで全てが決まる世界なんて新鮮過ぎて全部面白いよ」


 どうやら話を逸らせたようで、美羽が目を輝かせながら感想を述べた。

 読書感想文の題材にする本はどうしても堅苦しくなってしまうので、美羽からすれば驚きの連続なのだろう。


「あんな世界、よく考えつくよなぁ」

「そうだね。チェスのルールは良く分からないけど、あれが普通の攻略法じゃないのは良く分かったよ」

「普通は駒に意識なんて無いからな、あれがおかしいだけだ」

「ふふ、でも早く続きが読みたいくらいに読むのが楽しい。ねえ、明日も読みに来ていい?」


 余程気に入ったようで、美羽が明日の予定を聞いてきた。

 この様子だと美羽は悠斗の部屋を意識していないので、同じように過ごしても大丈夫のはずだ。


「ああ、いいぞ。でも課題はいいのか?」

「……忘れてた。いっその事、明日はここで勉強してもいいかもね」

「美羽がそれでいいならそうするか。正直、勉強道具を下に持って行くのは面倒くさいんだ」

「ふふ、じゃあそういう事でお願いね」


 とりとめのない話をしつつ、時間はあっという間に過ぎていく。 

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