第36話 応援してくれる人

 最近は天候が良かったが、今日はかなり雨が降っているのでランニングはお休みだ。

 多少濡れるくらいならまだしも、ずぶ濡れになりながら運動する元気はない。


「雨だねぇ」


 いつもより早い時間から美羽と課題をしつつ雨の音を聞いていると、美羽がぽつりと呟いた。


「そうだな。しかも普段より寒いし、自転車通学の俺にとっては辛いな……」


 ただでさえ十一月に入って本格的に寒くなってきているのだ。

 まだ雪は降らないが、雨のせいで普段よりも気温が下がっている。

 そして自転車通学をしているのだから、雨合羽を着ていても多少濡れるのは避けられない。

 寒さに耐えながら雨の中自転車をぐのは大変だと肩を落とすと、美羽も同じようにしょげた。


「電車通学にとっても辛いよ……」

「電車の中は濡れないし、外でも足元以外は傘を差してればそこまで濡れないんじゃないのか?」

「満員電車の中が人の熱気でじめじめするのって、控えめに言って最悪だと思わない?」

「……それは嫌だな」


 濡れた人達が電車の中でぎゅうぎゅう詰めになり、無駄に湿度が高く人の温度で蒸された電車内など想像するだけで気が滅入る。

 自転車も苦労するが、悠斗と同じかそれ以上に美羽は苦労しているらしい。


「しかも背が低いから吊り革に手が届かないし、よく人の波に流されるし、挙句あげくに声を出しても気付かれない時もあるんだよ?」

「俺が言うのも何だが、苦労するな」


 いくら美羽が人目を引く容姿であっても、満員電車で余裕の無い人達には気付いてもらえない時があるのだろう。

 ままならないものだなと苦笑すれば、美羽が不満そうに口を尖らせた。


「その点、悠くんは憂鬱ゆううつだって言ってたけど、自転車通学の方が楽なんじゃないの?」

「夏は雨合羽がぴったり張り付いて気持ち悪いし、冬はどうしても長時間雨に濡れて指先の感覚が無くなるんだが、どっちがいい?」

「……それもそれで嫌だね」

「だろ? 結局苦労するのはどっちも変わらないって事だ」


 自転車だろうと電車だろうと、雨の日に苦労をするのは変わらないとお互いに苦い笑みを浮かべる。

 話も一段落し、勉強の手が止まっていたので再開しようと思ったが、美羽が「そう言えば」と声を上げた。


「月末に球技大会があるけど、悠くんは参加するの?」

「参加だな。ほぼ強制的にだけど」


 先日のロングホームルームで決まった事を言われて、悠斗の気持ちが更に落ち込んだ。

 思わず机に突っ伏すと、美羽がぱちくりと目を見開いた後、心配そうに眉を下げる。


「強制的だなんて強引だね」

「……正直、話を盛った。蓮から一緒に試合がしたいって言われたんだよ」

「蓮?」

「ああそうか、元宮蓮。俺と美羽が学校で初めて会った時に俺を呼んだ奴だ」


 突然出てきた名前に美羽が首を傾げた。美羽からすれば誰なのか分からないと思うので、これは悠斗が悪い。

 一度だけ見ていたはずだと告げると、美羽の表情が明るくなった。


「あの人かぁ。仲良さそうだったね」

「中学生からの付き合いだからな。とは言っても、親しくなったのは高校に入学してからだけど」

「そうなんだ。意外だね」

「昔は同じバレー部に所属していても、話す事なんてほとんどなかったんだ。上手くなる為のアドバイスをもらった事があるくらいだな」


 中学時代にそれほど親しくなかったにも関わらず、蓮は同じクラスになってからぐいぐいと距離を縮めてきた。

 最初は素っ気なく接していたものの、結局軽口を叩き合う関係になったのだから、蓮のコミュニケーション能力は凄まじいと思う。


「なのに親しくなって、一緒に試合がしたいってお願いされたんだね」

「そうだ。全く、勝ちたいなら俺じゃなくて運動が出来る奴を誘えばいいのにな」


 クラスに現バレー部が蓮以外におらず、更に経験者が悠斗しかいないという事情は理解出来る。

 けれど、悠斗が乗り気でない事など蓮には分かっていたはずだ。それでも煽ってまで参加させるのは熱血過ぎるだろう。

 呆れるように肩を落とすと、美羽がゆっくりと首を振った。


「違うよ。元宮君は他の誰でもない、悠くんと一緒に試合がしたかったんだと思う。食堂であれだけ仲良さそうにしてたんだから、悠くんも分かってるんじゃないの?」

「……ああ、分かってるよ、だから参加するのを決めたんだ。変な事を言って悪かった」


 本当のところは十分に理解しているのだ。学校での発言と態度から、蓮の強い意志がこれでもかと伝わってきたのだから。

 なので、強引な誘い方には怒っていない。

 逃げるような発言をした事を謝罪すると、美羽がふわりと穏やかな笑みを浮かべた。


「応援してるね」

「勘弁してくれよ。俺に出来るのは蓮の手助けだけだ」


 勝つ事が全てではないが、試合に出る以上は勝ちたい。

 そうなると、悠斗に出来るのはどれだけ蓮を活躍させられるかだけだ。間違っても悠斗は目立たないだろう。

 地味なサポートをし続ける悠斗を応援する必要などないと渋面を作れば、美羽の双眸そうぼうが細まった。


「そんな悠くんを応援したいの。目立たなくてもいい、活躍しないかもしれない、それでも私は応援するからね」


 普通なら一番目立っている人を応援する。蓮は見た目が整っているので、余計に応援したくなるはずだ。

 それでも絶対に譲らないという意思を込めた笑みに、悠斗を見てくれる人がいるのだと胸が温かくなる。


「ありがとう。やれるだけはやってみるよ」

「うん、その調子だよ」

「でも、声に出して応援するのは止めてくれよ? 俺と美羽が知り合いだってバレるからな」

「……そうだね、気を付ける」


 おそらく声に出して応援したいのだろう。

 けれど悠斗を応援すれば大事になると美羽も分かっているので、頷きつつも笑顔を引っ込めて落ち込んだ。

 納得してくれるのは有難いし応援の気持ちは嬉しいので、沈んだ美羽を励ます為に笑顔を向ける。


「気持ちはちゃんと受け取ってるから、気にすんな」

「じゃあ、代わりに何かしようか?」

「何かって何だよ」

「そうだなぁ……。この前のテストの時みたいにお菓子を作るのはどう?」

「たかが試合に出るだけでお菓子を作ってもらうのはやりすぎだろ。ご褒美でも何でもないんだから」


 声に出して応援出来ないからといって、別の事などしなくていいのだ。

 テストの時は乗り気ではない悠斗を乗せる為だったが、今回は既に参加する事が決まっているし、手を抜くつもりもない。

 極論を言うなら美羽には何の関係もない話なので、お菓子を作ってもらうのは駄目だろう。

 諭すように告げても、美羽の顔には不満が浮かんだままだ。


「でも、乗り気じゃなかった悠くんが頑張るんだから、何かしたいなって」

「……分かった、何をして欲しいかは考えとくよ。まだ約一ヶ月も先なんだから、すぐに決めなくていいだろ?」


 何を言っても納得しなさそうなので、悠斗の方が折れてしまった。

 とはいえ、まだまだ時間はあるので美羽が忘れるかもしれない。

 どうしようもなくなった時には以前のように簡単なお菓子を頼めばいいだろう。


「それでいいけど、私が忘れると思ったら大間違いだよ?」

「……くそ、駄目だったか」


 どうやら悠斗の考えは把握されていたらしい。

 思わず悪態をつくと、美羽は不機嫌さを隠さずに眉を顰(しか)めた。


「当然だよ。ちゃんと考えておいてね」

「ハイ」


 完全に逃げ道を封じられると、渋々と頷く事しか出来ない。

 それでも恨みがまし気に美羽を見つめると、美羽が大きく息をはく。


「全く、どうして悠くんはそんなに遠慮するんだか」

「それは俺が言いたいくらいだ。普段は美羽の方があれこれ遠慮してるだろ」

「……それを言われたら苦しいなぁ。というか普通は男子って女子からお菓子をもらったら喜ぶんじゃないの?」


 図星を突かれた美羽が、目を逸らしながら話題を変えた。

 内容には確かに同意出来るが、悠斗としては素直に喜びたくない。


「嬉しい事は嬉しいけど、何もしてないのにいきなり女子からお菓子をもらうとか、明らかにおかしいだろ」

「今回は試合に参加するんだから、頑張る悠くんへのご褒美なんだけど」

「男子が試合に出るのに、それを応援してご褒美を用意する女子ねぇ……」


 そんな間柄などもはや友人ではない気がするが、言葉にはしたくない。

 どうやら美羽は悠斗へご褒美を用意する事に疑問を感じていないようで、呆れきった悠斗を見て首を傾げている。


「何か問題があるかな?」

「いいや、何もない。ちゃんと考えるからそれで許してくれ」


 恋人のようだとはとても言えず、変な所で純粋なのだなとひっそりと溜息をつくのだった。

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