第33話 美羽の誕生日

 ついに美羽の誕生日となった日曜日。どうやら今日は予定がないようで、美羽が午後から来る事になっている。

 普段であれば午前中はぐっすり眠っているものの、今日は早起きをして誕生日には欠かせない物を買ってきた。

 あまり大仰おおぎょうな物ではないが、少しくらい軽い方がちょうどいいだろう。


「お、来たか」


 自室のベッドに寝転び、上手くいくようにと願っていると呼び鈴が鳴った。

 すぐに一階に降り、玄関を開けて招き入れる。

 十一月に入ってかなり寒くなって来たからか、美羽は白のニットに身を包んでいた。


「こんにちは、悠くん」

「こんにちは。寒かっただろ?」

「うん。秋なんてあっと言う間だねぇ」

「一気に寒くなったもんな。秋なんて無かった気がするぞ」

「ふふ。その通りだね」


 他愛もない話をしながら美羽をリビングに連れて行くと、早速美羽がキッチンに向かう。


「じゃあお昼ご飯、すぐ作るね」

「頼む。手伝いはいるか?」

「大丈夫。悠くんはゆっくりしてて」

「……分かった」


 いつも通り手伝いをあっさりと断られ、ソファに沈み込んだ。

 やる事もないので何となくテレビを見ていると、申し訳なさそうな声が聞こえてくる。


「でも、夕方の買い物に付き合ってもらわなくてもいいんだよ?」

「どうせ家でゆっくりしているだけだ。荷物持ちくらいやらせてくれ」

「……どうせ断っても、悠くんはあれこれ言ってじっとしてないよね」


 呆れが混ざった美羽の声に思わず苦笑した。

 悠斗の性格を理解してくれているのはいいが、未だに一人でやろうとするのだから悠斗が呆れたいくらいだ。


「そういう事だ。諦めろ」

「強情なんだから。……あれ、悠くん、この箱は何?」


 冷蔵庫の中を見たのか、美羽が困惑しきった声を上げた。

 普段悠斗が冷蔵庫の中に物を入れる事などしないから、意外に思ったのだろう。


「それは後で食べようと思ってたやつだ。気にしないでくれ」


 美羽の性格であれば悠斗が気にするなと言った場合、絶対に触れようとしないはずだ。

 利用しているみたいで罪悪感がちくちくと悠斗の心を刺してくるが、こればかりは仕方ない。

 ここでバレてしまえば、何もかも台無しになるのだから。

 

「うん、分かった」


 悠斗の予想通り美羽が何も言わずに昼食の調理に取り掛かったので、ひっそりとリビングを抜け出す。

 自室に戻り、先日買った白い袋に包まれた物をリビングに持ってきて、キッチンにいる美羽の目に付かない場所へ置いておく。

 不安と期待を胸に渦巻きつつ、そわそわとご飯が出来るまで待機するのだった。





「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

「今日も美味しかった。ありがとな」

「どういたしまして」


 昼食を摂り、これまでと何も変わらないお礼を伝えると、それでも美羽は嬉しそうに笑った。

 そのまま二人で洗い物を終えて、リビングに戻る。


「私はこれから勉強しようと思うけど、悠くんはこれからどうするの?」


 今日は二人で何かする予定はないので、美羽はこれまでと同じく勉強するらしい。

 それは構わないし、悠斗とずっと一緒にいるのも疲れるだろうから、早々に悠斗は自室に退散するつもりだ。

 ただ突然リビングに現れた白い袋が気になるらしく、美羽がちらちらと視線を向けている。

 もったいぶらせるのも悪いと思うので、すぐに白い袋を持ってきた。


「今日は部屋でゆっくりするよ。その前に、やる事があるんだけどな」

「やる事ってその大きな袋の事?」

「ああ」


 いざ渡すとなると、緊張で心臓が騒ぎ立てる。

 ただ、これを渡さないという選択肢は存在しない。

 大きく深呼吸を行い、覚悟を決めてから美羽に袋を差し出す。


「誕生日、おめでとう」

「……へ?」


 何を言っているのか分からない、と言うように美羽が呆けた表情で固まった。

 ずっと悠斗が持っている訳にもいかないので、強引ではあるが美羽の傍に袋を置く。


「今日、誕生日なんだろ?」

「あ、うん、そうだけど、どうして知ってるの?」


 美羽から教わっていないにも関わらず、悠斗が美羽の誕生日を知っている事がおかしいと今更ながら気付いた。

 誤魔化せば美羽の事を探ったと疑われるだろうと、素直に頭を下げる。


「丈一郎さんから教えてもらったんだ。探った訳じゃない、信じて欲しい」


 丈一郎には申し訳ないと思いつつも正直に答えれば、美羽の表情に焦りが浮かんだ。


「ごめんね、疑ってる訳じゃないの! 丈一郎さんが言ったんだね」

「そうだ。それで、事前に準備したんだよ」

「……どうして丈一郎さんが悠くんに言ったのかは分からないけど、祝われても怖かったから良かったな」


 良かった、という割には美羽の顔には悲しさと苦しさが表れている。

 おそらくだが、誕生日を丈一郎から祝われても素直に受け取れない自分を恥じているのだろう。

 美羽の事を想っていても自分で祝えない丈一郎と、恩人であっても恐怖から素直に受け取れない美羽。

 この状況で「実は丈一郎さんが美羽の事を気にしているんだ」とはとても言えず、どうにも出来ない情けなさに顔を俯ける。


「ねえ悠くん、これ、もしかしてプレゼント?」


 シンと静まり返ったリビングの空気を変えたかったのか、美羽が空元気とも思える明るい声を発した。


「プレゼントだけど、あんまり期待しないでくれると助かる」

「期待しないのは無理かなぁ。開けていい?」

「もちろんだ」


 美羽が目を輝かせながら大きい袋の中身を取り出す。

 中から出てきた物は大きめの茶トラの猫だ。


「かわいい……!」


 美羽が嬉しそうに表情を緩め、猫を抱き締める。

 愛らしい瞳を輝かせて幸せそうに目を細め、すりすりと頬ずりする姿は写真に撮りたいくらいに愛らしい。

 どうやら気に入ってくれたようで、ホッと胸を撫で下ろす。

 熊と猫で悩んだ結果、悠斗の好きな方を選んで正解だった。


「あ、ご、ごめんね! つい……」


 我に返った美羽が羞恥でほんのりと頬を染めつつ謝ってきたが、謝罪の必要はない。

 むしろこんなにも素敵な姿を近くで見られたのだから、悠斗がお礼を言いたいくらいだ。


「いや、そんなに喜んでくれたなら贈ったかいがある」

「喜ぶに決まってるよ! こんなに素敵なプレゼントは初めてなんだから!」

「……」


 にこにこと上機嫌な美羽が発した言葉に違和感を覚えた。だが、ここで問い詰めて空気を台無しにするのは避けたい。

 テンションの上がった美羽は悠斗の戸惑いにも気付かないようで、猫のぬいぐるみに笑顔を向けている。


「まあ、程々に大切にしてくれると助かる」

「絶対大切にする! ちゃんと手入れもするからね!」

「……ああ、そうしてくれ」


 満面の笑みを向けられ、動揺で心臓が跳ねた。

 このままずっと美羽の姿を見ていると落ち着かなくなりそうで、ゆっくりと立ち上がる。


「部屋に戻るよ。勉強しててもいいし、暇だったら本とかゲームを貸すからな。何をするかは任せる」

「うん、ありがとね。ねえ悠くん、もしかして、冷蔵庫の中の物って……」

「……そういう事だ。あれは晩飯の後にするつもりだけどな」


 誕生日が悠斗に知られているという事で、美羽は冷蔵庫の中身を把握したようだ。

 バレてしまった気まずさから苦笑を向けると、美羽が嬉しそうに顔を綻ばせる。

 それは普段と同じ柔らかな笑顔のはずなのに、どことなく甘い気がした。


「本当に、ありがとう」

「気にすんな。改めて、誕生日おめでとう」


 見惚れるほどの綺麗な笑顔に悠斗の頬が熱を持ち、逃げるようにリビングを後にした。





 お互いに別々の時間を過ごした後、買い物と晩飯を終えて冷蔵庫に向かう。

 事前に入れておいた白い箱をテーブルに持ってくると、美羽が目を輝かせてそわそわと体を揺らしていた。

 待ちきれない子供のような姿に笑みを落とし、箱を開ける。


「さて、じゃあ最後のプレゼントといきますか」


 取り出したのは無難な苺のショートケーキとチョコレートケーキだ。

 甘い物が好きだと言っていたのでどちらでも大丈夫だとは思ったが、何かあっては駄目だと念を入れて二つ準備したのだ。


「食べれない方はあるか?」

「ううん、どっちも大丈夫だよ」

「じゃあ今二つ食べてもいいし、腹に入らなかったら一つ残して後で食べてくれ」

「え、二つも食べていいの?」

「むしろその為に買ってきたんだ。誕生日でもない俺が食べてどうするんだよ」


 きょとんと首を傾げる美羽に苦笑する。

 おそらく悠斗も食べると思っていたのだろうが、そんなつもりは全くない。

 だが、美羽は納得していなさそうに眉を寄せる。


「でも、ぬいぐるみにケーキ二つなんてもらいすぎだよ」

「大した物じゃないんだから気にすんな。食べてる所を見られたくないなら部屋に帰るけど」

「それは別にいいんだけど、うーん……」


 たかがケーキ二つなので、お金はかかっていない。しかし、美羽は顎に手を当てて考えだす。

 美羽が遠慮したがりなのは分かっていたが、ここまで来ると筋金入りだ。

 どうやって受け取ってもらおうかと思考を巡らせていると、何か思いついたのか美羽の顔が明るくなった。


「ねえ、これって私が受け取っていいんだよね?」

「もちろんだ」

「じゃあ一緒に食べよう?」

「いや、それは……」


 ケーキを渡す側の悠斗がケーキを味わうなど意味が無さすぎる。

 たとえ受け取る側の美羽に言われても、そう簡単に納得出来はしない。

 顔を顰(しか)めていると、先に美羽が口を開いた。


「私が受け取った物を私がどう扱おうと自由でしょ?」


 悪戯っぽく笑んで美羽に告げられた言葉は、最近悠斗が美羽に伝えた言葉と同じものだった。

 以前そう言ってココアブラウニーを二人で食べたのだから、悠斗が否定する事は出来ない。

 完全にやり返された形になり、呆れ混じりの笑みを浮かべる。


「……それを言われたら受け取るしかないな」

「ふふ。どっちがいい?」

「それは美羽が先に選んでくれ。ここは譲らないぞ」

「分かった。じゃあこっちにするね」


 美羽がショートケーキを選んだので、悠斗はチョコレートケーキとなった。

 一つしか食べられないのにご機嫌な笑顔を浮かべる美羽を見つつ、手を合わせる。


「いただきます」

「いただきます」


 チョコレートケーキを口に運ぶと、甘く深い味が口の中に広がっていく。専門店で販売されていたケーキはやはり美味しい。

 手作りするつもりなど全くなかったので、朝から買いに行ったのは正解だった。

 美羽の様子を見ると、頬をへにゃりと緩めてご満悦の表情をしている。


「んー、おいしい!」

「そりゃあ良かった。まあ、店の物だから不味いなんて事はないけどな」

「もちろんそうだけど。なんていうか、あったかいの」

「あったかい? ケーキはさっきまで冷やしてただろ」


 ケーキに温かみなどないはずだと首を傾げれば、美羽がおかしそうにくすくすと笑う。


「そうじゃないよ。悠くんの気持ちがあったかいなって思ったの」

「気持ちねぇ……。世話になってる人の誕生日を祝うのなんて当たり前だっての」


 美羽の柔らかな眼差しが気恥ずかしく、少しだけ目を逸らしながらぽつりと呟いた。

 感謝の気持ちは確かに込めてはいるものの、自分で作ってもいないケーキだ。

 そんなに嬉しがる要素など無いはずなのに、美羽の顔がふわりと綻ぶ。


「それでも、だよ。本当にありがとう、悠くん」

「どういたしまして」


 無垢な笑みを直視できず、悠斗は視線を下げてチョコレートケーキを食べるのに集中するのだった。

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