第31話 ハロウィン

 十月最後の日である水曜日。世間的にはハロウィンと呼ばれる日だ。

 とはいえ悠斗に予定など無く、普段と同じように学校から帰っている。


「……美羽は何かするんだろうか」


 昨日までの様子を見た限り、美羽はハロウィンだからと何かするつもりはなさそうだった。

 それに、今日も変わらず悠斗の家で晩飯を作ってくれるらしい。

 こういう日はクラスメイト等からお出掛けに誘われそうなものだが、断ったのだろう。

 少なくとも、悠斗のスマホには晩飯に何を食べたいかという連絡しか入っていない。


「念の為だ。無駄になるなら自分で食べればいいだろ」


 自転車の向きを家の近くのショッピングモールへと変える。

 何も起きないならそれでいいし、準備をしないで帰るよりかはいいはずだ。

 大仰なものを用意されても困ると思うので、菓子店で適当な物を買って家に帰った。





「課題も終わったし、そろそろ帰るね」


 美羽の態度はハロウィンでも変わっておらず、晩飯を摂って課題を済ませると席を立った。

 このまま美羽を送り届け、自分でお菓子を食べればいいはずだ。

 しかし本当に普段と変わらない態度を取られると、胸にもやもやとしたものが沸き上がる。


「なあ美羽。今日が何の日か分かるか?」


 自分でもどうしてこんな行動を取ったのか分からない。おそらく、受け取ってもらえないのが嫌なのだろう。

 勝手に用意したくせに受け取って欲しいと願う、我が儘な自分に呆れる。


「うん? 今日何かあったっけ?」


 悠斗の唐突な発言に美羽がコテンと可愛らしく首を傾げた。

 もしや、今日がハロウィンという事すら分かっていないのだろうか。

 渡す側である悠斗が伝えるのも気恥ずかしいが、ここまで言った以上引けはしない。


「お菓子をくれなきゃ……ってやつだよ」

「確かにそうだけど、そんな事する歳じゃないよ?」


 どうやらハロウィンという事は分かっていたらしい。

 ただ、自分がイベントをするという自覚がないようだ。

 確かに子供がやる事が多いとは思うが、こういう日くらいは多少羽目を外してもいいのではないか。

 悪戯をされる側が勧めているのだから、あまりにもちぐはぐ過ぎて苦笑しか出て来ない。


「まあまあ、いいじゃないか」

「もしかして、用意してくれてるの?」

「……それを聞くのは野暮やぼだろ」


 この状況で質問に答えるのは、ネタをバラしているのと変わらない。

 口になど出来はしないと少しだけ睨むと、美羽の表情がへにゃりと緩んだ。


「ふふ、ごめんね。じゃあ、お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ?」

「……ほら」


 可愛らしさを詰め込んだ笑顔に僅かに心臓が跳ね、動揺を押し殺して隠し持っていたクッキーを渡す。

 素っ気ない態度を取ったが、それでも美羽の顔から笑顔が消える事はなかった。


「ありがとう、悠くん」

「お礼なんていい。適当に買ってきた市販のクッキーだからな」

「ううん。わざわざ準備してくれたんだから、お礼を言わないとだよ。本当にありがとう」

「……はいよ。じゃあ今日も送るから」


 背中がむず痒く、頬にじわじわと熱が昇っていくのが分かる。

 美羽の笑顔を直視出来ずに背を向けた。

 そのまま玄関に行こうとするが、ちらりと美羽を見ると顎に手を当てて何かを考えている。


「どうした?」

「私だけが受け取って、悠くんが何も無しなのは申し訳ないなぁって」

「そんなの気にすんな。今更準備も出来ないだろ?」

「それはそうだけど……。あ、そうだ。悠くんには悪いかもだけど、良い事思いついた」


 ぱあっと顔を輝かせて美羽が悠斗の傍に来る。

 近い距離から美羽の甘い匂いが漂い、何とか沈めた心臓が再び騒ぎ立てた。

 微妙に体を反らしながら、近づく必要があるのかと美羽を訝しむ。


「何だ?」

「今度は悠くんの番だよ。さあどうぞ」

「別に俺は――」

「いいからいいから、ね?」

「……お菓子をくれないと悪戯するぞ」


 強引な美羽に促され、溜息をつきつつも先程の美羽と同じ事をした。

 すると美羽は先程悠斗が渡したクッキーの包装を解き、中の物を摘まんで目の前に持ってくる。

 美羽と悠斗では結構な身長差があるので、思いきり美羽が見上げる形になった。


「はい。どうぞ」

「いや、それは美羽へのお菓子だろ」

「一緒に食べたいの。駄目?」


 大した物ではないし、美羽に渡したものだ。本人が分けたいというのであれば、一緒に食べてもいい。

 ただ、食べ方に問題があると思う。悠斗の口元に持って来ているのでこのまま食べろという事なのだろうが、せめて皿に乗せるべきだ。

 帰る間際のこの状況では仕方ないとも思えるが、本人は自覚していないのか満面の笑みを浮かべている。


「いいのか?」

「うん。遠慮せずに食べちゃって」

「いや、そうじゃなくて……。ああもうどうでもいいか」


 何だか悠斗だけが気にしているようで馬鹿馬鹿しくなった。

 出来るだけ何も考えないようにしつつ、細くて白い指先にあるクッキーを口で奪い取る。

 きちんとした製品なので味は問題なく、食後のお菓子としては十分だ。

 ただ、やられっぱなしは嫌だし、美羽にも自覚してもらわなければ困る。


「今度は美羽の番だ。ほら」


 美羽からクッキーの袋を奪い取り、一つ摘まんで口元に差し出した。

 逆の立場になってようやく分かったのか、美羽の頬が少しづつ赤くなっていく。


「あ、えっと……」

「まさか自分はやっておいて、俺からは嫌だなんて言わないよな?」

「そう、だけど……。うぅ、失礼します」


 小さな口を開けて、おずおずと美羽がクッキーへと近づく。

 ちらりと赤い舌が見え、妙な艶めかしさを感じてすっと視線を逸らした。


「……おいひい」


 悠斗の指からクッキーを奪い取り、感想を漏らしつつ咀嚼そしゃくする美羽の頬は真っ赤だ。

 やっと分かってくれたかと安堵と呆れの溜息を吐き出す。 


「仕返しした俺が言うのも何だが、ああいうのはやめような?」


 恋人でもない人に指でお菓子を食べさせるなど、普通に考えてすべきではない。

 気恥ずかしさを押し殺して告げると、こくりと美羽が頷いた。


「……気を付けます」


 その後美羽を家に送り届けるまで、最低限の会話しかしない悠斗達だった。

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