第29話 アクシデントとご褒美

「さてと、それじゃあ掃除しようか」


 昼飯の片付けが終わり、いよいよ掃除が始まる。

 髪が邪魔なのか、美羽がヘアゴムで腰まである栗色の髪を縛った。

 普段のストレートに流している髪も良いが、ポニーテールも似合っている。

 掃除の為にか今日の服装はラフなパーカーなので、髪型と合わさって活発な印象が強い。

 じっと美羽の姿を見ていると、悠斗の視線が気になったのかいぶかしむような目を向けられた。


「どうしたの?」

「……いや、俺の家なのに申し訳ないなと思って」


 本心を閉ざしつつ謝罪すると、美羽が微笑を浮かべて首を振る。


「いいんだよ。むしろ普段お世話になってるし、悠くん一人だと掃除が大変だからね」

「普段のお世話は置いておいて、掃除が大変なのは否定出来ないな。……すまん、力を貸してくれ」

「任せて。むしろ、ここまで来ておいて掃除しなくていいって言われたら怒ってたよ」


 常識的に考えて、友人に家の掃除をさせるというのは有り得ない。既に話は纏まっていたが、それでも美羽の力を借りるべきか直前まで迷っていた。

 しかし美羽がむっと眉を寄せているので、言わないで良かったと胸を撫で下ろす。


「それじゃあ悠くんは自分とご両親の部屋を含めた二階をお願い。ご両親の部屋を私が触る訳にはいかないし、悠くんの部屋には私に見られたくないものがあるでしょ?」

「両親の部屋はそうだけど、俺の部屋には見られたくない物なんて……」


 ない、と言えるのならいいのだが、残念ながらそうはいかない。

 悠斗とて男子高校生なのだから、多少の欲はあるのだ。

 もちろん隠してはいるものの、女性である美羽に見つかるのは恥ずかしい。

 悠斗の言葉が途切れた事で美羽が頬を淡く紅色に色付かせ、視線をあちこちにさ迷わせる。


「……あるんだ」

「まあ、そうだな。すまん、気持ち悪いだろ」


 美羽からすれば、男の欲望など自分に向けられていなくても醜いものだろう。

 そう思って謝罪したのだが、美羽は頬を紅潮させたまま大人びた笑顔を浮かべた。


「いいんだよ。男の子なんだし、そういうものだよね」

「……そういうものだ」

 

 全てをゆるすような笑顔にどう反応すればいいか分からず苦笑する。

 変に距離を取られるよりかは嬉しいのだが、受け入れられるというのもそれはそれで恥ずかしい。

 美羽が居心地悪そうに体を揺らしているせいで、余計にそう思うのだろう。


「な、なら余計私が触れる訳にはいかないよね! それじゃあ二階はよろしく!」


 悠斗から逃げるように――それこそ本当に逃げたのだろう。

 美羽がぱたぱたと足音を鳴らしながら風呂場に行ったので、ぽつんとリビングに取り残されてしまう。


「……やるか」


 何を馬鹿なやりとりとしているんだと自分に呆れつつ、小さく息を吐いて二階に向かったのだった。





「こんなもんかな」


 二階を掃除し始めて約二時間。元々散らかしていない事も相まって、すんなりと掃除は終わった。

 とはいえ普段出来ない家具の裏や隙間など、手の掛かる場所を掃除出来たのは嬉しい。

 パッと見ではそれほど変わっていないような部屋でも、見渡すと不思議と綺麗になっている気がした。

 換気の為に窓を開けっぱなしにしつつ、美羽の様子を見る為に一階に降りる。


「美羽、大丈夫か?」

「んー、大丈夫だよー」


 大きな声を出して確認すると、リビングから間延びした声が聞こえてきたので向かう。

 どうやら他の場所は終わったらしく、普段使っているキッチンを美羽が掃除していた。

 ただ、大型の冷蔵庫の上を拭こうと必死に背を伸ばしているので、体がフラフラと揺れて非常に危なっかしい。

 何が大丈夫なんだと呆れつつ美羽の傍に行く。


「貸してくれ」

「え? はい、どうぞ」


 悠斗の唐突なお願いに、美羽がきょとんと首を傾げながら雑巾ぞうきんを差し出してきた。

 いつもであれば悠斗の行動の理由を把握して断っていたと思うので、思考の追いついていない今のうちに雑巾を受け取る。

 すぐに美羽が拭こうとしていた冷蔵庫の上を掃除した。


「あ、ごめんね……」

「気にすんな。適材適所ってやつだ」


 危険な事をしようとしている美羽を黙って見てはいられない。

 背の低い美羽が出来ないのであれば、その反対である悠斗がやるべきだ。無駄に背が高いのが役立って良かった。

 背の低さに触れたが、この状況で怒るつもりはないらしく、美羽がしゅんと肩を落としている。


「他に届かなかったところはないか?」

「……他は頑張ったけど、ここの上がまだ終わってないの」

「了解だ」


 美羽が指差したのは、美羽の目の前にある食器用の戸棚だ。

 奥行きもないし、これくらいなら問題はないと手を伸ばした。

 

「ひゃっ」


 何か悲鳴が聞こえたが無視し、すぐに戸棚の上を拭き終わる。

 これで終わりなのかと美羽に確認を取ろうと下を向けば、戸棚と悠斗で美羽を挟んでいる事に気が付いた。

 白磁のような肌に澄んだ瞳という、見惚れてしまうほどの美少女がすぐ傍にいる。


「……」


 面倒臭がって美羽の後ろに立ち、上から手を伸ばしたのが失敗したらしい。

 はしばみ色の瞳はあちこちに散歩し始め、頬は羞恥を訴えるかのようにじわじわと赤くなっていく。


「あーっと……」


 ミルクのような甘い香りの中に、悠斗のではない汗の匂いを感じた。

 隅々まで掃除を頑張ってくれたのだろうが、その頑張りが今は恨めしい。

 急に美羽を意識してしまい、心臓が早鐘を打つように鼓動を刻み始めた。

 その音が美羽に聞こえてしまいそうで、思いきり距離を取る。


「……すまん」

「……ううん。ありがとう」


 凄まじく気まずい空気の中、二人して硬直してしまう。

 どうにかしなければと話題を探すと、先程の美羽の匂いを思い出して閃いた。


「掃除で汗掻いただろ。シャワー浴びるか?」


 悠斗から提案するのもどうかと思ったが、以前雨に濡れた美羽に入浴をうながしたのだ。変な提案ではないだろう。

 ただ、相変わらず女性に風呂に入れと言うのはそれだけで緊張する。

 少々気まずいので視線を逸らしつつ、あくまで美羽に任せると選択を委ねれば、美羽が真っ赤な顔でおずおずと悠斗を見上げた。


「……私、汗くさいかな?」

「いや、全然。むしろ――。悪い、何言ってんだろうな」


 どうやら今の悠斗にはまともな思考が出来ないらしい。

 完全にアウトな発言だったと肩を落とすと、美羽が大きく深呼吸した。


「なら、お言葉に甘えてもいい?」


 潤んだ瞳で上目遣いでお願いしてきた美羽に、心臓の鼓動が一段と速くなる。

 美少女からのそんな態度は男なら一度は夢見ると思うが、いざ自分が受けるとなると破壊力が凄まじい。

 先程から心臓がどくどくと頬に熱を送っているので、とっくに悠斗の顔は真っ赤だろう。

 しかし、今は悠斗の顔などどうでもいい。一刻も早くこの場をなんとかするのが優先だ。


「ああ、ぜひ甘えてくれ」

「……ありがとう。悠くんはゆっくりしてていいからね」


 美羽もこの場の空気に耐えられなかったのか、一目散に風呂場へと向かっていく。

 その背中を見送った後、悠斗は手の平で顔をおおった。


「……やらかした」


 より近い距離感になったからか、あまりに失礼な事をしてしまったと落ち込む。

 唯一の救いは美羽の顔に嫌悪が浮かんでいなかった事だろう。

 しかし、その美羽の態度が悠斗の心臓を虐めるのだから、美少女という存在は本当に卑怯だ。


「シャワーだけだし、早く上がってくるだろ。……それまでに落ち着かなきゃな」


 大きく息を吐き出しながら、気持ちを切り替える為に目を閉じた。





 美羽が風呂から上がると、悠斗も同じだという事で、少しだけ素っ気ない態度で風呂場に向かわされた。

 先程急接近したせいで嫌でも美羽が使った風呂だと意識してしまい、汗を流すだけでも妙に疲れた気がする。

 ソファでぐったりと体を休めていると、美羽が茶色のケーキを持ってきた。 


「はい。テストのご褒美と、掃除お疲れさまを合わせてのお菓子だよ」


 時間が空いたからか美羽は立ち直れたようで、普段通りの態度に戻っている。

 しかし、ほんのりと潤んだ瞳からは先程の件は忘れてくれと願われている気がした。

 勿論もちろん、悠斗もわざわざ蒸し返すつもりはない。


「ありがとう。チョコレートケーキか?」

「ココアブラウニーっていうの。厳密には違うけど、平たく言うとチョコレートケーキだね」


 焼きあがったばかりのケーキからは、確かにココアの良い匂いが漂ってきた。

 掃除によって小腹が空いている事を今になって自覚し、すぐに食べたいという欲が沸き上がってくる。


「……食べてもいいか?」

「ふふ、もちろんだよ。召し上がれ」

「いただきます」


 美羽の目を細めた柔らかい微笑みを受けつつ、未だに熱を持つケーキを口に入れた。

 ふわふわの生地にココアの甘い味、表面に乗せていたアーモンドの香ばしさも相まって、悠斗の頬が自然と緩む。


「美味い。こんなに美味しく作るのって大変じゃないのか?」

「なら良かった。作るのは意外と簡単なんだよ。分量が普段よりもシビアになるだけ」

「へぇ……。それでもありがとな。本当に美味しい」


 美羽からすれば簡単なのかもしれないが、料理をしない悠斗にとっては全く簡単ではない。

 改めて感謝を伝えると、美羽の違和感に気付いた。


「美羽は食べないのか?」


 ケーキはそれなりの量を作ったようだが、美羽は一切口を付けていない。

 何を遠慮しているのかと尋ねれば、美羽が柔らかい笑みを浮かべながら首を振る。


「いいよ。これは悠くんへのご褒美なんだから」

「でも掃除をしてくれたじゃないか。まだケーキはあるんだし、一緒に食べないか?」

「これは後で悠くんに食べてもらう用。それなりに日持ちするから、後で食べてね」


 自分が食べる事など全く考えていない口ぶりと微笑に、ちくりと胸が痛んだ。

 悠斗よりも勉強を頑張っており、やる必要がないにも関わらず他人の家の掃除をしているのだ。そんな美羽に何も与えられないというのは悲しすぎる。

 とはいえ、今すぐに悠斗が出来る事など殆どない。


「なら、このケーキは俺が好きに扱っていいんだよな?」

「うん」

「じゃあ一緒に食べよう」

「え? でも……」


 余程悠斗の言葉が意外だったのか、はしばみ色の瞳が大きく見開かれる。


「好きに扱っていいなら、これが俺の扱い方だ。同じ家を掃除したんだから、一緒に食べよう」

「う……。分かっ、た」


 時間を掛けると美羽があれこれ言いだして食べないと思ったので、すぐに畳みかけた。

 悠斗の勢いに負けたのか、渋々とだが美羽がケーキを口に運ぶ。


「……美味しいね」

「だろ? 流石は美羽だ」


 自分が作った物を自分で食べているのだから、美羽からすれば何もご褒美ではないのだろう。

 けれど、先程まで浮かべていた遠慮の為の笑顔より、今の零れるような微笑みの方が余程良い。

 それに、折角食べるのなら一人よりも二人の方が楽しめる。

 穏やかで緩やかな時間の中、二人でゆっくりとココアブラウニーを味わうのだった。

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