第27話 後片付け

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」


 あれこれと話しながら晩飯を摂り終え、席を立つ。

 食器をシンクに運ぼうと集めて重ねたのだが、美羽の小さく細い手が半分を奪っていった。


「悠くんはゆっくりしてていいよ」

「いや、買い物に料理までしてもらってるんだから、これくらい俺がやるべきだろ」


 一人で食べるのなら料理は絶対にしないし、二人で食べるのなら無理のない範囲で美羽に任せるべきだ。

 また、手伝いすらも断られている上に、買い物も悠斗が帰ってくる前に美羽が終わらせてしまっている。

 そうなると悠斗が出来るのは片付けくらいしかないので、ここは任せて欲しい。

 食器を奪い返そうと手を伸ばしたのだが、美羽が頬を緩めながら首を振った。


「いいよ。今日からは私がいるんだし、この前はゆうくんに洗わせちゃったからね。私にさせて?」

「俺に何もさせないつもりか?」

「何もしなくていいんだよ。我が儘聞いてもらってるお礼なんだから」

「我が儘でもないし、お礼を受け取るつもりもない。さあ、それを渡してくれ」

「やーだよ」


 小悪魔めいた笑みを浮かべて、美羽が悠斗から距離を取る。

 どうやって納得させようかと考えながらふとテーブルを見下ろすと、当たり前の事に気が付いた。


「……というか、食器はまだあるじゃないか」


 半分を持っていかれたとはいえ、まだ半分はテーブルの上だ。当たり前だが、二人分の食器を一人で持てはしない。

 美羽から食器を取り返すという、くだらない事をしようとした自分に呆れる。

 美羽が持っている分を運べないのは悔しいが、すぐに残りの食器全てを持つと、美羽の顔が驚愕に彩られた。


「あー! そういうのずるい!」

「残念だったな。一度に全部持てないんだから諦めろ」

「ひきょう! ひきょうだよ!」

「はいはい。好きに言ってくれ」


 眉を吊り上げて美羽が文句を言ってくるが、全く怖くない。

 むしろ普段の落ち着きようとは違い、子供っぽさが前面に出てきて非常に可愛らしい。

 緩んだ頬を見られてしまえば更に怒り出すのが分かりきっているので、美羽の態度を流しつつシンクに食器を運んだ。


「むぅ……。どうしてやらせてくれないの?」


 食器を運び終えてシンクに立つと、美羽が瞳に不満をこれでもかと込めて見上げてくる。

 やはりというか、何が何でも片付けをしたいらしい。


「むしろ、どうして片付けをやろうとするんだ? 美羽はもう十分に働いてるから、ゆっくりしていていいんだぞ?」

「だって、私がやるのが当たり前でしょう?」


 当然の事のように美羽が言いつつ小首を傾げた。

 はしばみ色の瞳はぞっとするくらいに澄んでおり、自分の行動に違和感を覚えていないようだ。

 美羽のあまりにも歪な姿に、少しだけ背筋が寒くなる。


(丈一郎さんが言ってたのって、これの事か?)


 丈一郎は冷たい言い方をしなければ、美羽は絶対に手伝おうとすると言っていた。

 以前からそうだったが、美羽は基本的に他人を頼ろうとしない。

 それどころか、自分に関わる事ならば全て一人でやろうとする。

 丈一郎が心配していた事を悠斗が美羽に行わせていると考えると、非常に申し訳ない気持ちになった。

 ただ、悠斗と美羽の関係だからこそ出来る事もあると思い直す。


「だったら、前と同じく二人でやらないか?」

「二人で?」

「そう。一人が洗って、一人が片付ける。任せる任せないじゃなくて、一緒にすればいいんだよ」


 前回はなし崩しで分担したが、今回はきちんと提案した。

 やらなくていいと言っても家事をしようとするのなら、頭ごなしに美羽の行動を否定しても無駄だ。

 いい案だと思ったのだが、美羽が不満そうに眉を下げる。


「でも……」

「それじゃあ洗っていくから、水を拭きとって直してくれ」

「え、あ、ちょっと!」


 相変わらず口では納得させられないなと小さく苦笑し、返事を聞かずに洗い物を始めた。

 それでも何とか悠斗と場所を代わろうとしたのか、美羽がおろおろしだす。

 しかし悠斗と美羽では明らかに体格が違うので、悠斗を退かすのは無理だ。

 だからなのか、それとも作業の邪魔をしては駄目だと思ったのか、美羽が唇を尖らせながらも渋々と悠斗の隣に立つ。


「もう、強引なんだから」

「今更だろうが」


 責めるような声につんと素っ気なく言葉を返し、次々と美羽に食器を渡す。

 二人で洗い物をするのは二回目だが、ぴったりとまっていると言えるくらいにスムーズに作業が出来た。





 晩飯を摂り終えてから美羽が勉強をしだしたので、折角だからと悠斗も今日出された課題に取り掛かった。

 美羽に助けを求めるような事でもないので黙々と行い、全て課題を終えたので背を伸ばす。


「んー!」


 普段であれば嫌々ながら行うので適当にするか時間が掛かるのだが、美羽と一緒に勉強するからか非常にはかどった。

 後はのんびりするだけなので、やるべき事を先に済ませてしまうのも悪くはない。

 美羽の方も一段落したのか、ペンを置いて肩の力を抜いた。


「お疲れ様。課題はちゃんとするんだね」

「こういう所も成績に関わってくるからな。進学出来ない程にだらけたら、送り出した親に失礼だろ」


 一人でも大丈夫だと説得して両親を送り出したのだ。それなのに悠斗の成績が赤点だったとすれば、あまりにも責任感が無さすぎる。

 もちろん必要以上に頑張るつもりはないが、これくらいはやるべきだろう。


「……なんというか、しっかりしてるよねぇ」


 特段変わった事などしていないのだが、瞳に羨望を込めて美羽が悠斗を見つめてきた。


「そうでもないだろ。成績は平均点で、料理も出来ないんだし」

「ふふ、結構面倒臭がりだもんね」

「ああ。残念ながら優等生とは程遠いな」


 極論を言うなら、他人に迷惑を掛けない範囲で出来る限りだらけていたい。

 料理を作らせている今の状況は美羽に迷惑を掛けているのではないかと一瞬だけ思ったが、お互いに納得の上だからと考えないようにする。

 からかうような眼差しの美羽に苦笑気味に返すと、美羽がくすくすと軽やかに笑う。


「でも、私の事を庇ってくれた。改めて、ありがとね」

「……美味しいご飯が食べられなくなるのは勿体無いからな」


 喜びの感情が込められた瞳を直視出来ずに微妙に視線を逸らせば、美羽の唇がにやりと吊り上がった。


「コンビニ飯ばっかりだったからねぇ。なんだか餌付けしてるみたい」

「俺はペットか何かかよ」

「素直じゃないけど、大事な時には傍にいてくれる猫かな?」

「……喜べばいいのか、悲しめばいいのか分からんな」


 ペット扱いは納得いかないが、信頼されている事が伝わってくるので怒れはしない。

 むすっと唇を尖らせて呟くと、美羽が「ああ、そうだ」と声を上げた。


「丈一郎さんの件でばたばたしちゃったけど、土曜日はテストの結果発表だよ。悠くんのリクエスト通りにお菓子を作るね」

「そういえばそうだったな。……まあ、期待してるよ」


 昨日バタバタしたせいですっかり頭から抜け落ちていたが、成績が上がったら美羽がご褒美をくれると約束していた。

 今回に関してはしっかり勉強したからか、手ごたえを感じている。上位とはいかずとも、前回よりはいい点が取れているだろう。

 ただ、ご褒美が悠斗だけなのは寂しい。美羽とて今日のように普段から勉強しているのだから。


「美羽は欲しい物とか無いのか?」

「んー。無いかな」

「でも、こんなに勉強を頑張ってるんだ。ちょっとした物でもいいぞ?」

「こんなの日々の習慣なだけだよ。上位十名に入るほどでもないし、今回も順位は変わらないと思う。だから、気にしないで」

「……分かったよ」


 あまり納得がいかないものの、そう言われてしまえば悠斗から何かを渡す訳にはいかない。

 これだけ関係が深くなっても美羽が何を好きなのか知らないのだと、今更ながらに気が付いた。強いて言うなら甘い物が好きな事くらいだろう。

 とはいえ、この様子だと美羽に何を聞いても「何もいらない」の一点張りだと思うので、今は諦めるしかない。

 中々難しいものだとひっそりと溜息を落とすのだった。





 勉強を終えると、普段美羽が帰る時間よりもかなり遅くなっていた。

 丈一郎から遅くなっても構わないと言われているので問題はないものの、以前と同じく玄関で別れるのは納得がいかない。

 以前なら料理が冷めるからと送れなかったが、そんな理由など無くなっているのだ。出来る限り家まで送り届けるべきだろう。

 遠慮する美羽を言いくるめて一緒に夜道を歩くと、それでも気に病んでいるのか美羽の顔が曇っている。


「こんな遅い時間まで付き合わせちゃってごめんね」

「気にすんな。むしろ夜遅いんだから、一人で帰ってる時に何かあるかもしれないだろ」

「大丈夫だよ。ここら辺って静かで治安良いし」

「それが油断に繋がるんだ。この前公園でナンパされたのを忘れたのか?」


 あの時は悠斗も楽観視していたので人の事は言えないのだが、だからこそ油断は出来ない。

 むしろ今日はあの時よりも時間が遅いのだ。

 丈一郎から許された身としてもそうだが、玄関まで送った人が万が一にでもトラブルに遭うなど、考えただけでも罪悪感で潰れてしまいそうになる。

 当時を思い出したのか、美羽の顔に苦笑が浮かんだ。

 

「あれはびっくりしたなぁ。でも、あのナンパから悠くんと知り合えたんだから、結果的には良かった気がする。感謝はしないけどね」

「不快な思いをしたのには変わらないからな」


 たった約三週間前の出来事なのに、随分と昔のように感じた。あれがなかったらこうして美羽と一緒に過ごせなかったと思う。

 あの男子には感謝こそしないが、良い切っ掛けだと振り返っていると美羽の家に着いた。


「送ってくれてありがと。気を付けてね」

「おう。それじゃあおやすみ」

「うん。おやすみ」


 嬉しさが滲み出るような笑顔で手を振られ、じわりと頬に熱が灯る。

 薄暗くて美羽には見えないだろうが、それでも気恥ずかしくて背を向けて歩き出したのだった。

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