第25話 深まる関係
「美羽の誕生日は十一月の四日だ。お前が祝え」
話が一段落すると、丈一郎が大切な情報を発した。
おそらく美羽は自分から言わないと思うので、知れたのは嬉しい。
しかし、なぜ悠斗に伝えたのか疑問を覚える。
「どうして俺なんですか? 丈一郎さんが祝えば良いでしょう」
「嫌われている人間が祝っても恐怖にしかならん」
「……その、すみません」
普段表情を変えず素っ気ない対応をする人間が、いきなり「誕生日おめでとう!」などと言った日には絶対に悠斗も警戒する。
そこまで考えが及ばなかったとはいえ、悠斗が認めるのはあまりにも失礼だと思って謝ると、鼻で笑われた。
「そもそも最初に『誕生日には何も要りません』と言われているからな。
「あぁ……」
おそらく、美羽は負担を掛けない為にと善意で言ったのだろう。
そういう所もすれ違っているのだなと悲しくなって眉を下げると、じろりと睨まれた。
「変な事をして美羽を悲しませるのは許さんぞ。……儂が言える事ではないがな」
本心では美羽を祝いたいだろうに、それを悠斗に委ねているのだから絶対に失敗は許されない。
あまり日にちはないが、精一杯考えようと決意した。
「気を付けます」
「まあ、お前なら大丈夫だろうがな」
「……あの、何で俺の評価がそんなに高いんですか?」
丈一郎と会ったのは今日が初めてだ。仮にどこかで会っていたのなら丈一郎が気付くだろう。
なのに、どうしてこんなにも信頼されているのか分からない。
理由が聞きたくて尋ねれば、丈一郎が目をほんの僅かに優しく細めた。
「儂に取り入ろうという下心もなく、紛れもない本心でお前は美羽を
丈一郎が腕を組み、真っ直ぐに悠斗を見る。
「それに美羽のあの様子から、お前を信用しているのは伝わってきた。だからこそ大丈夫だと思っただけだ」
確かに取り入ろうとは思っていなかったし、変な考えなど持ってはいなかった。
完全に内心を見抜かれ、その上で認められたのだから感謝しかない。
「ありがとうございます」
「その前髪は納得出来んがな。お前の目が見え辛い」
「……その為に伸ばしてるので」
丈一郎のような人からすれば、悠斗の髪型は誠実ではないのだろう。
だが、いくら丈一郎に言われても変える気はない。
ほんの少しだけ理由を伝えると、丈一郎が再び鼻で笑う。
「まあいい、これで話は終わりだ。何かあるか?」
「いえ、何も」
聞きたい事はあるが、今は聞けない。
しかし、美羽が怒られる事はないと確信した。
短く応えると、丈一郎が大きく息を吸う。
「美羽、悠斗が帰る! 見送ってやれ!」
「っ!」
雷のような鋭く大きな声がすぐ傍から聞こえ、思わず身をすくめてしまった。
そんな悠斗の様子を見ながら、少しだけ悪戯っぽく丈一郎が笑む。
「そういう所は歳相応だな」
「そりゃあ驚きますって」
「すみません、遅くなりました」
ばたばたと美羽が慌ててリビング来ると、丈一郎は先程の笑みを引っ込めて仏頂面へと戻った。
「美羽、お前はこれから悠斗の家で晩飯を食べろ。帰るのがどれだけ遅くなろうと構わん」
「え? でも……」
「二度言わせるつもりか?」
「い、いえ。分かりました」
おそらく、自分と食べるのが気まずいのならと思ったのだろう。
あまりにも素っ気ない言い方をしてしまう丈一郎に苦笑するが、これ以上は踏み込めない。
顔に戸惑いの色を浮かべた美羽が頷くと、丈一郎が席を立った。
「儂はもう寝る」
「丈一郎さん、ありがとうございました。ご飯、めちゃくちゃ美味しかったです」
「ふん」
丈一郎がリビングの奥に行くのを見送り、悠斗も席を立つ。
「お邪魔して悪かった。帰るよ」
「……うん、分かった」
納得していなさそうに美羽が顔を曇らせて、玄関に向かう。悠斗達がどんな話をしていたのか気になっているのだろう。
内容を言えはしないし、言ったところで丈一郎が美羽を心配している事など認めたくないはずだ。
口を
今日はランニングをしていないとはいえ、丈一郎に会った事で空は黒く染まっていた。
なんだかんだで疲れたし、今日のランニングは無しでいいだろう。
元々
「今日はありがとな」
「こっちこそありがとう。急な事に巻き揉んでごめんね」
「いや、美味しいご飯を食べられたから、むしろ得だったよ」
最初は急でびっくりしたが、終わってみれば収穫が多かった。
ある程度の美羽の事情を知るだけでなく、これからも悠斗の家に来ていいという許可をもらえたのだから。
折角美羽と知り合えたのに、会うなと言われなくて本当に良かったと思う。
「あの……。怒られなかった? 大丈夫?」
心配そうに眉を下げて美羽が見つめてくる。
リビングを追い出されてからずっと不安だったのだろう。
そんな心配など必要ないと笑みを向けた。
「大丈夫だ。俺も東雲も怒られず、俺の家で晩飯を食べていいだなんて良かったじゃないか」
「それはそうだけど……。本当に何を話したの?」
「どうか俺達を許してくださいって土下座したんだ」
冗談っぽくなるように言ったのだが、どうやら内容が間違っていたらしい。
悠斗の言葉を本気にしたようで、美羽の顔が焦りに彩られる。
「ごめんね……」
「ああいや、冗談だって。話したのは単に世間話だ」
「そ、そうなの?」
急な展開に美羽が目を白黒させている姿は微笑ましいが、流石にやり過ぎた。
んんっ、と咳ばらいをして空気をリセットする。
「東雲は丈一郎さんの事を苦手だって言ってたけど、嫌いなのか?」
おそらく、何か理由があって丈一郎は美羽に素っ気ない対応をしている。
美羽から聞いた話だと幼い頃から笑わない人だったらしいので、その時点で何かあったのだろう。
とはいえ、美羽の事を想っているのは事実だ。
心配している人が心配されている人に嫌われるなど、あまりにも悲しすぎる。
ここだけは確かめたいと尋ねれば、美羽が苦い笑みをしながら首を振った。
「嫌いじゃないよ。私を引き取ってくれた人だもん。怖いけど、どう接すればいいか分からないけど、嫌いにはなれない」
これで、美羽と丈一郎がただすれ違っているだけだとハッキリした。
少なくとも嫌いではないのが分かって、
「答えてくれてありがとな。それじゃあ東雲、また明日」
「待って。それ、止めて欲しい」
これで終わりだと背を向けようとしたのだが、美羽の静止の声が掛かった。
「どうした?」
「苗字呼びを辞めて欲しいなって」
「そこ、気にする所か?」
「同姓の年上の人を名前で呼ぶのに、私を苗字呼びはおかしいと思うんだけど」
「まあ、そうかもな」
「だから、私も名前で呼んで欲しい」
「えぇ……」
美羽の言い分は理解出来るが、そう簡単に呼べるのなら苦労はしない。
どうしても抵抗感が出てしまい、顔を
「これから一緒に夜ご飯を食べるんだよ? 堅苦しいのはなしにしたいな。それに、ここまで仲良くなったんだから名前呼びくらい良いでしょ?」
「……分かったよ」
冗談で言っている訳ではないのは良く分かった。それに、美羽の思いも伝わった。
駄々を
家族以外の女性を名前呼びする事などそうそう無い。
震えて固まりそうになる口を必死に開ける。
「これからよろしくな。美羽」
「うん。よろしくね、
「……」
唐突な名前呼び――それもより近しいと思える省略した呼び方に、悠斗の胸が強く鼓動した。
動揺で固まっていると、美羽が悪戯っぽく笑む。
「悠くんが名前呼びするなら、私もいいでしょ?」
「……そうだな」
なぜだか胸がくすぐったく、じわりと頬に熱が上がっていくのを自覚してそっぽを向く。
名前呼びなど親や蓮にされているはずなのに、どうしてこんなにも心が乱れるのか分からない。
空気がむず痒くて身じろぎすると、美羽がくすくすと軽やかに笑う。
「顔、真っ赤だよ。照れてるの?」
「照れてない」
「うそつきー」
「……ああもう」
澄んだはしばみ色の目線に耐え切れず、美羽に背を向けた。
「帰る。それじゃあな」
「またね、悠くん」
奇妙な関係は、より深くなっていく。
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