第24話 問いかけ

「おぉ……」


 丈一郎が晩飯の準備を始めて約一時間。料理を終えると、目の前にはこれぞ和食といった品がずらりと並んでいた。

 きんぴらごぼうに冷奴ひややっこ、小鉢に入った肉じゃがも美味そうだが、それよりも一人一尾ある魚の煮付けが目を引く。

 あまりにも贅沢な食事に、丈一郎の前だという事も忘れて呆けた声を出してしまった。


「お前には珍しい光景だろう」

「はい。魚の煮付けなんて最近全く食べてないですよ」


 美羽の料理は美味しいものの、魚は焼く事が多い。

 素っ気ない声で話を振られたが、目の前の光景に見惚れて笑顔で返事をした。

 美羽が隣でおろおろと戸惑っている姿が目に入り、すぐに頭を切り替えて今更な事を尋ねる。


「こんなご馳走、本当に食べていいんですか?」

わしが食べろと言ったんだ。それに、残すのは食材に失礼だろう」

「分かりました。では遠慮なくいただきますね」

「そうしろ。いただきます」

「い、いただきます」


 三人共が手を合わせ、悠斗がいる事が場違いな気がする食事が始まった。

 どれも目移りするくらいに美味そうだが、まずはメインを食べたい。

 しっかりと味が沁みているだろう煮付けを口に運ぶと、じゅわっと旨味が口の中に広がった。


「……うま」


 美羽の料理も絶品だが、丈一郎の料理も文句なしに美味い。

 煮物だからかもしれないが、味が深い気がする。

 おそらく長年料理をしたがゆえの味なのだろう。

 つい小さく零してしまった声に、丈一郎が僅かに目を細める。


「そうか」

「はい。めちゃくちゃ美味いです」

「……ふん」


 それきり丈一郎は無言で箸を進め、美羽も居心地悪そうにひたすら箸を動かすので、必然的に静寂が訪れた。

 美羽も食事中はあまり話さないが、丈一郎も黙々と食べるタイプなのだろう。

 丈一郎が苦手な美羽からすれば、この無言の食事はなかなかに辛いはずだ。

 とはいえこの状況で悠斗に出来る事は何もない。

 他の料理の味も楽しみながら、静かな晩飯の時間は過ぎていった。





「美羽、お前は部屋に戻れ」


 食事が終わって三人共手を合わせると、すぐに丈一郎が指示した。

 この状況で邪魔者扱いされるとは思わなかったのか、美羽が不安そうに眉を下げる。


「ですが、芦原くんがいるのに――」

「部屋に戻れ。いいな?」

「……はい」


 ぴしゃりと言い放たれた言葉に美羽が顔を俯け、短く応えた。

 すぐに席を立ち、せめて自分の食器だけでも片付けようとテーブルの皿に触れる。

 その瞬間、丈一郎の目が光った気がした。


「止めろと言っているだろうが」

「……すみません、失礼します」


 手を引っ込めた美羽が頭を下げ、リビングから出ていく。

 ちらりと悠斗を見た美羽の瞳は気遣わし気に揺れていた。

 心配するなという笑みを一瞬だけ向け、すぐに丈一郎へと向き直る。

 ぱたんと扉が閉まった音の後に、少しだけ時間を置いてから口を開く。


「どうして東雲にあんな言い方をするんですか?」

「あんな言い方とは?」

「家事なんてしなくていいからゆっくりしてくれ。そう言えばいいじゃないですか。どうして冷たい言い方になるんですか?」


 余計なお世話だとは思っていても、あまりにもちぐはぐで、気になり過ぎて尋ねずにはいられなかった。

 悠斗の言葉に丈一郎が今まで見た事がない程に目を見開く。


「……なぜそう思った?」

「あの言い方からすれば東雲を嫌っているんじゃないかと思えます。ですが、嫌いな人の人間関係になんて普通干渉しません」


 先程美羽は善意で行動しようとしていた。それなのに美羽の行動を否定するという事は、まず考えられるのは丈一郎が美羽を嫌っているという可能性だ。

 だが悠斗から見ると、とても丈一郎が美羽を嫌っているようには見えない。

 もし嫌っているのなら、止めろという言葉ではなくもっとキツい言い方になるはずだ。

 ましてや美羽の人間関係など心底どうでもいいはずだし、こうして悠斗を呼び出す事は絶対にない。

 そもそも、美羽を引き取りもしないだろう。


「それに、丈一郎さんの態度と言葉のほとんどは俺に対してずっと向けられていました。……俺が東雲と一緒にいるのにふさわしい人かどうか、確かめてたんじゃないですか?」


 唯一の例外は美羽に止めろと言った事だろう。それ以外は高圧的ではあっても、丈一郎のこれまでの態度から考えると異常だとは言えない。

 色々考えたが、悠斗の頭で思い浮かぶ可能性はこれしかなかった。

 丈一郎の目を見て告げると「ふん」と鼻で笑われ、鋭い瞳がほんのりと細まる。


「馬鹿ではないようだな」

「成績はそんなに良くないんですけどね。ですが、ありがとうございます」

「減らず口を叩きおって」

「すみません。なんというか、思ったよりも話しやすくて」

「生意気な奴だ」


 初めて丈一郎の顔に浮かんだ笑みは「仕方ないな」と言わんばかりの苦笑だった。

 だが丈一郎はすぐに笑みを引っ込め、表情をこれまでの感情の浮かんでいないものに変える。


「……ああいう言い方をしなければ、美羽は絶対に手伝おうとするからだ」


 発せられた言葉を一瞬だけ理解出来なかったが、すぐに先程の悠斗の発言に対する答えだと分かった。


「手伝うのはいい事でしょう? 引き取ってくれた人に対してそう思うのは普通じゃないですか」

「それは美羽から聞いたのか?」

「はい。とはいえ丈一郎さん以外の家族の事については聞いていません。いつか、東雲が話してもいいと思った時に聞くつもりです」


 美羽から聞いた話と丈一郎を含めた今の状況。これだけだとまだ疑問が全て解けはしない。

 ただ、悠斗の方から根掘り葉掘り聞こうとしては絶対に駄目だという事は分かる。


「なら、詳しい事は儂も話さん。一つ言えるのは、あの子はもう自由になっていいという事だけだ」


 その声色には後悔や悲しみが混ざっており、言葉に込められた真意が分からない。

 他の家族の事を詳しく話さないと言った以上、悠斗が分かる範囲での答え合わせをするだけだ。


「だから門限も設定せず、これまで全く干渉していなかったんですか?」

「そうだ」

「でも東雲が男と遊んでいるのが分かり、心配になって俺を呼んだという事ですね?」

「男が出来たのなら、それがどんな奴なのか気になるのが普通だろう」

「俺はただの友達ですよ。まあ、男友達という範囲で見るなら警戒されてもおかしくないですけどね」

「料理を作りに行っているくせに友達とはな」


 丈一郎が痛い所を突いてくるが、友達と言うしかないのが今の悠斗達だ。

 美羽は単に時間潰しの為だし、悠斗と付き合っていると見られるのは迷惑だろう。

 今回丈一郎に会ったのも、万が一にでも美羽が怒られないようにしようと思ったからだ。


「丈一郎さんが思うような関係にはなりませんよ。どうやっても友達止まりでしょうから」

「……まあいい。儂が詳しく話さない以上、お前を問い詰める権利など無いのだからな。ただ、これだけは聞かせろ」

「何でしょうか?」


 丈一郎が真っ直ぐに悠斗を見る。

 その瞳はかなりの歳だとは思えない程に澄んでおり、どこか美羽に似ていた。


「お前と一緒に居て、美羽は笑っているか?」


 嘘や誤魔化しは許さないと強く叩きつけられた声に、自然と悠斗の背筋が伸びる。

 真摯しんしな問いかけには、こちらも真摯に応えなければならない。

 そして丈一郎に対する答えは、考える必要が無いほどにあっさりと口から出る。


「はい。楽しそうに、穏やかに、笑っています」


 美羽と一緒に居たのは僅かな時間だ。当然、美羽の事を全て理解してなどいない。

 それでも、浮かべていた笑顔が嘘ではないのは分かる。


「……ならいい。美羽がお前の家に行くのに、儂から言う事は何もない」


 寂寥せきりょうを伴った笑みの奥にどれほどの感情が渦巻いているのか、悠斗には想像もつかない。

 ただ、他人と一緒にいる方が美羽が笑顔になっているなど、家族として納得したくはないはずだ。


「丈一郎さんはそれでいいんですか?」

「儂は美羽に嫌われているからな。お前の家の方が気楽だと言うのなら、それで構わん」


 やはりというか、丈一郎は美羽から苦手意識を持たれている事が分かっているらしい。

 嫌われているというのは行き過ぎだと思うが、嫌いだから苦手なのかどうかは確かめていなかった。

 それに先程の縮こまっている美羽の姿を見れば、嫌われていると思うのも仕方のない事だと思う。


「引き取った人が自分を嫌っていても、自分の傍にいなくてもいいんですか?」

「構わんと言っている。それに、儂に美羽の側に居る資格など無い」

「資格が無い? それは、どういう――」

「どうでもいい事だ、忘れろ」

「……はい」


 おそらく口が滑ったのだろう。

 有無を言わせない口調と刺すような視線に、頷く事しか出来なかった。


「そもそも、祖父が孫の幸せを願う事など当たり前だろう」

「……」


 何の迷いもなく告げられた強い想いに、返す言葉が見当たらない。

 これ程までに美羽の事を想っているが、二人の気持ちはすれ違ったままだ。

 どちらの想いもある程度知っているからか、どうにかしたいという気持ちが沸き上がる。

 けれど悠斗は家族でもなければ、事情を全て知ってもいない。

 何も出来ないと無力感に肩を落とすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る