第23話 突然のお誘い
「ただいま帰りました」
「お邪魔します」
東雲家の玄関を潜ると、奥から足音が聞こえてきた。
緊張で体が固まりながら廊下に視線を向ければ、少しずつ老人の姿が見えてくる。
顔には深い皺が刻まれ、髪は白く染まっているが、全く衰えを感じさせない真っ直ぐに伸びた背中。
ぴくりとも動かない表情も相まって、思わず後ずさりしてしまうほどの威圧感がある。
「……上がれ」
腹に重くのしかかるような低い声が聞こえ、すぐに美羽の祖父は背中を向けた。
その姿が隠れた事で、ようやく悠斗は細い息を吐き出す。
(なるほど、これは怖い)
美羽の言う通り全く感情が読めず、言葉が短いだけでなく態度も素っ気ない。
本当のところは分からないが、少なくとも第一印象で優しい人とはとても思えなかった。
「大丈夫?」
「ああ。来ると言ったのは俺だからな。ここで引ける訳ないだろ」
眉を下げて心配そうに顔を覗き込んでくる美羽に笑いかけて、気合を入れなおす。
用意されていたスリッパに履き替えて美羽の後について行くと、テーブルと椅子が置いてあるごく普通のリビングに到着した。
既に美羽の祖父は向かいの椅子に座っており、リビングに入った悠斗をじろりと見据える。
「座れ」
「はい」
「失礼します」
美羽の祖父に向かい合うように座り、顔を上げて視線を合わせた。
「東雲丈一郎だ」
「芦原悠斗です」
お互いに短く自己紹介を済ませると、その後の会話が続かず無言になる。
てっきりすぐに言葉が飛んでくると思ったのだが、丈一郎はじっと悠斗を見ているだけだ。
「……」
「……」
静寂が耳に痛く、丈一郎の視線が悠斗から
悠斗の方から何か言うべきだろうか。それとも耐え続けた方が良いのだろうか。
ぐるぐると思考が迷っていると、丈一郎の口が動いた。
「お前の家に美羽が入り浸っているようだな」
「はい」
「しかも晩飯を作らせていると聞いている」
「はい、間違いありません」
全く温度を感じさせない淡々とした声に目を逸らしたくなるが、必死に
どのような理由があれ、美羽が悠斗の晩飯を作っているのは事実なのだ。そこは否定出来ない。
はっきりと応えると、隣の美羽の体が震えた。
「違います。料理を作らせて欲しいと私の方から頼んだんです」
美羽が必死に詳細を告げたが、おそらく逆効果だ。普通に考えれば頼み込むのは悠斗の方なのだから。
下手をすると、悠斗が美羽を
美羽の発言が気になったのか、丈一郎の眼差しの先が悠斗から美羽へと変わる。
その鋭い視線を受けて、美羽が体を縮こまらせた。
「なぜ他人の料理をお前が作るんだ? そんな必要などないだろう」
「それ、は……」
家に居るのが気まずいからだとは言えず、美羽が口ごもる。
初対面の人に家庭環境を話すのは気が引けるが、ここは悠斗が説明しなければならない。
「俺の両親が単身赴任中で、コンビニ飯ばっかりだったんです。それを東雲が見かねて作ってくれていたんです」
「自分で料理も出来んのか?」
「……すみません、自分一人だけなら料理の必要はないと思ってました」
正直なところ、コンビニ飯の状況を改善しようとは思わない。
しかし、ここで突っかかっても
素直に頭を下げると、美羽が体を前に出すのが見えた。
「何を食べるかは芦原くんの自由だと思います。それを私がお願いして作らせてもらっているだけで、芦原くんは悪くないんです」
「……」
悠斗を
「……そうか」
「でも東雲に、そして東雲さん……はややこしいか。貴方に迷惑を掛けた事には変わりません。怒るなら俺を――」
「丈一郎だ」
「はい?」
あまりにも唐突に丈一郎が話を遮った。
短い言葉の真意が読めず首を傾げると、丈一郎が呆れた風に溜息を零す。
「東雲だと儂(わし)の事なのか美羽の事なのか分からん。だから、丈一郎だ」
「は、はい。丈一郎さん。お願いですから、東雲を怒らないでください。東雲は何も悪くないんです!」
まさか名前呼びを
戸惑いつつも頭を下げてお願いすれば、美羽も慌てて頭を下げる。
「いえ、私が無理矢理頼み込んだ事なんです。お願いします、芦原くんを怒らないでください!」
再び美羽が悠斗を庇うが、このままでは美羽が悪くなってしまう。
それだけは何としても
「東雲、俺の事はいいんだ。どうして俺を庇うんだよ」
「だって芦原くんは何も悪くない。怒られるのは作らせて欲しいって頼んだ私だよ」
「料理を善意で作ってくれたのに、東雲が怒られるのはおかしいだろうが」
「それを言うなら、芦原くんだって最初に私を心配してくれたでしょ? それを『大丈夫』って言った私の方が悪いんだよ」
「でも結果だけ見たら俺の方が――」
「もういい」
悠斗と美羽、どちらもお互いを納得させようと口論になりだしたところで、丈一郎の短く、けれどよく響く声が響いた。
その声に頭を冷やされ、美羽の祖父の前で熱くなった事をすぐに後悔する。
流石にこれは怒られるかもしれないと覚悟を決めると、丈一郎がゆっくりと立ち上がった。
「悠斗と言ったな? お前の事だから、美羽が作らなければ今日の飯も無いんだろう?」
「は、はい。多分、コンビニ飯になるかと」
脈絡のない言葉に戸惑いつつも正直に応えると、丈一郎が感情の見えない表情で頷く。
「なら食べていけ」
「……え?」
全く予想していない言葉に、思わず呆けた声が出てしまった。
「これ、どういう事なんだ?」
見慣れないリビングに美羽と二人きりで取り残され、丈一郎がキッチンで料理をしている音が聞こえてくる。
異性の友人の祖父に晩飯をご馳走になるというこの状況は、頭に疑問しか浮かばない。
提案してきたのが気難しそうな丈一郎だからこそ、余計困惑してしまう。
隣にいる美羽も同じ気持ちのようで、表情を迷わせている。
「ごめん、本当に分からない。まさかこんな事になるなんて……」
「というか丈一郎さんが料理するんだな」
これまでの美羽の様子から、家でも料理をしているのだと決めつけていた。しかし、実際キッチンに立っているのは丈一郎だ。
偏見ではあるが、ああいうタイプの人は自分で料理しなさそうなので、かなり意外に思う。
よくよく考えれば、先程悠斗に料理をしないのかと聞いてきた辺り、料理をする事に抵抗がないのだろう。
それにしても美羽であれば代わりそうなものだなと尋ねれば、美羽が気まずそうに顔を顰(しか)めて頷く。
「この家に来た時に家事とか料理をするって言ったんだけど、『止めろ』って言われたの。だから、この家の事は自分の部屋の片付けくらいしか出来ないんだよ」
「止めろ?」
「そう。家の事を何かするたびに言われてね。元々丈一郎さんが苦手だった事もあって、何も言えなかったの」
「ふうん……」
ようやく冷静になった頭で、美羽の言い分とこれまでの丈一郎の態度の意味を考える。
美羽に対して拒絶するような発言をするのに、美羽を引き取ったという人。
そして悠斗を呼び出して問い詰めた事から、悠斗の予想が現実味を帯びていく。
おそらく、晩飯を食べていけという提案も善意のはずだ。
どうして丈一郎の信頼を勝ち取れたのかは分からないが、これはある意味ではチャンスだと思う。
「ちなみに、料理が出来ないなら学校の昼飯はどうしてるんだ? 学食じゃないだろ?」
学食派の悠斗にとって、昼に美羽の姿を見るのは非常に珍しい。
ただ、この家庭環境で弁当を作れるとは思えないのだ。
確認の為に尋ねると、眉根を寄せて美羽が頷いた。
「パンだよ。小食だし、それで十分なの。それに……」
「丈一郎さんに頼むのも怖いよな」
「……そうなの」
料理をしようとすれば丈一郎に咎められるだろうし、そんなに多く食べないのであればパンになるのも仕方のないことだ。
それに幼い頃から丈一郎を見ていた美羽からすれば、一緒に住んでいる人からの冷たい言葉と合わさって、どうしても苦手意識が取れないのだろう。
実際、悠斗も先程まで非常に苦手だったのだから気持ちは分かる。
「ま、あの様子だと怒られなさそうだし、何とかなりそうだな。良かった」
「肝が
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