第22話 東雲家へ

「凄い事になったな……」


 中間考査が終えて家に帰って来ると、いつかのように玄関の前に立っていた美羽に謝られた。

 何が何だか分からないので、とりあえずリビングに上がって話を聞くと、家に悠斗を連れて来いと言われたとの事だ。

 普段の穏やかな雰囲気は消え失せ、縮こまっている美羽の姿は怒られないかとびくびくしている子供のように思える。


「……ごめんなさい」


 謝罪には首を振り、数刻前には全く想像していなかった状況にひっそりと溜息をつく。

 とはいえ娘が男の家に行っているのだから、親からすれば心配なのだろう。

 悠斗の事を話すなとは言っていないので文句はないが、美羽の察しの良さであれば大事になるのは分かっていたはずだ。

 話した理由を聞きたいとは思うものの、今の美羽の様子を見る限り触れない方がいい。


「まさかこんな事になるなんて思わなかったの。本当に、ごめんなさい」


 再び美羽が深く頭を下げて必死に謝罪してきた。

 悠斗の家に来るのは大丈夫だと言ったのに予想が外れたので、胸の中は申し訳なさで一杯なのだろう。

 これからの事は不安だが、どうしようかと思考するとあっさりと答えは出た。


(やることなんて決まってるよな)


 もちろん美羽を怒りはしない。そして、毎日悠斗のご飯を作ってくれている人の頼みを断るほど、悠斗は薄情者ではないつもりだ。

 そうなると悠斗の行動は一つに絞られる。

 友人の親に挨拶しに行くなど普通有り得ないが、仕方のない事だと割り切った。


「よし。じゃあ行くか」

「え?」


 悠斗が怖気づいては駄目だと思ってキッパリと伝えると、美羽が驚愕に目を見開いた。


「連れて来いっていうのは今日なんだよな?」

「う、うん、そうだけど……。本当にいいの?」

「いいも何も、そう言われたんだろ? なら東雲にお世話になってる身としては断る訳にはいかないさ」

「……ごめんね」

「もう謝るなって。正直会うのは緊張するけど、東雲が気にする事じゃない。……ちなみに、怒られると思うか?」


 少し違和感はあるが、悠斗を呼び出すという事は、娘に近付く情けない男を排除したいのかもしれない。

 そうなると、悠斗に対して怒鳴る可能性がある。

 流石にそれは辛いので眉を下げて尋ねれば、美羽が気まずそうに顔を逸らした。


「予想が外れてこんな事になってる私の言葉なんて信用出来ないと思うけど、多分怒られないよ」

「了解だ。ならすぐに行こう」


 数々の疑問を飲み込み、席を立つ。

 どうせすぐに分かるのだから、実際に会った方が早い。


「ごめ――」

「謝罪はなしだって言っただろ? 普段のお礼をさせてくれ」

「その、ごめ……。あぅ」


 謝罪を遮ると、再び美羽が頭を下げようとして止まった。

 おそらくどういう言葉を言えばいいのか分からないのだろうが、そんな姿が妙に微笑ましい。


「さあ善は急げだ」

「……ありがとう」


 小さく笑みつつ玄関に向かうと、ぽつりと背中越しに声が聞こえた。

 謝られるよりか感謝されるほうが余程嬉しいなと思いながら、悠斗は靴を履くのだった。





「……ここまで迷惑を掛けてるから、正直に言うね」


 美羽と東雲家に向かう最中、それまで無言だった美羽が唐突に零した。

 迷惑などとは思っていないと言おうとしたが、話が先に進まないので無言で続きを促す。

 これまで触れて来なかった部分が明らかになるのだ。しっかりと聞くべきだろう。


「私、最近ここに引っ越したの」

「なるほど。だから春からあの公園で東雲を見るようになったんだな」


 美羽をあの公園で見たのは春先からだ。それに、この地域に住んでいるのならば中学校は悠斗と同じになっていたはずだ。

 だが、悠斗は高校に入学するまで美羽を知らなかった。それまでどうしていたのかと疑問だったが、ようやくその謎が解けた。

 

「そう。あの公園は時間潰しにちょうど良かったの」

「時間潰しをする理由があったんだな」

「……うん」


 この半年間、ほぼ毎日と言っていいくらい美羽は公園にいた。

 それは家庭に関係することだろうと確信していたが、やはり正解だったようだ。

 美羽の声がさらに落ち込み、もはや普段の柔らかな声色は見る影もない。


「一緒に住んでる人は祖父だけなの。ただ、昔から祖父は苦手で……」

「これまで何かあったのか?」


 祖父だけというのに引っかかりを覚えたが、そこに踏み込んでも意味が無いので置いておく。

 苦手な人などいなさそうな美羽がそう言うのだから、かなり気難しい人のはずだ。

 もしかすると嫌な事をされており、そのせいで苦手なのかと不安を抱いたが、悠斗の予想に反して美羽は首を振る。


「ううん、何もなかったよ。昔は半年に一回会うかどうかで、会っても一言二言話すだけ。それに今の家に来てからは放置されてたの。門限もなし、友人関係も聞いて来なかった。だからこそ芦原くんを連れて来いなんて言うと思わなかったの」

「そういう事か」


 今まで美羽の行動に無関心だったのであれば、悠斗の家に行くのに何の反応も示さないと誰だって思う。

 悠斗も変で唐突な行動だなと思うが、ふと美羽から見た祖父のイメージが気になった。


「ちなみに、どんな人なんだ?」

「笑わない人、感情の読めない人。ずっと昔からそう。何を考えているか分からなくて、どうしても苦手なの」

「……言いたくないなら無理しないでいいんだが、じゃあどうして二人で住んでるんだ?」


 それほどまでに気難しく苦手としている人ならば、なぜ美羽は祖父と二人で住んでいるのだろうか。

 そこがどうしても気になってしまい、悪いとは思っていても尋ねてしまった。


「半年前、私を引き取ってくれたの。その点は本当に感謝してるし、悪い人じゃないのも分かってる。でも、あの人は私に何も要求してこなかった。料理を作れとも、家事をしろとも、何も」


 美羽が肩を落とし、細く息を吐く。


「何で私を引き取ったのか、それが全く分からないの。それが怖くて、不気味で、自分の部屋があっても家に居るのが気まずくて……。だから公園にいたんだよ」


 全く笑わず、会話もしない人が自分を引き取ってその上で放置するのだから、美羽からすれば確かに恐怖なのだろう。

 悠斗は先程の話を聞いて少し違う考えが浮かんだが、それを今の美羽に話すつもりはない。


「なるほど、話してくれてありがとな。逃げたり東雲のせいになんてしないから、安心してくれ」


 美羽の不安を吹き飛ばすように意識して明るい声を出せば、美羽が僅かに目を見開いた。


「……どうして、そんなに頑張ってくれるの?」

「どうしても何も、東雲にはお世話になってるんだ。そのお礼をするくらい何てことない」

「下手をしたら、もう芦原くんの家に行けないかもしれないんだよ?」

「その時は土下座でもして許してもらうさ。東雲の料理を食べられないのは悲しいからな」


 肩をすくめながら冗談を言うと、美羽の顔に少しだけだが笑みが返ってきた。


「多分、そんな余裕はすぐに無くなると思う」

「東雲はどっちの味方なんだか……。なら尚更なおさら今は気楽にやろうぜ、気楽にな」

「……ありがとね」


 おそらく、悠斗のやせ我慢は見抜かれているのだろう。

 震えている声には何も返さず歩みを進めると、ようやく美羽の足が止まった。


「ここだよ」

 

 美羽の家は何度か送った際に別れた場所と近く、そう時間を掛けず着いた。

 とはいえその家はあまりに予想外であり、何の変哲へんてつもない――ともすれば古ぼけた一軒家だ。

 美羽の普段のしとやかな仕草や、これまで感じた上品な雰囲気からは程遠い。

 しかし引き取られたという事は、ここが美羽の育った家ではないはずだ。そう考えると納得がいく。

 大きく深呼吸をする事で覚悟を決め、足を踏み出した。

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