第19話 共同作業

「こんにちは、芦原くん」

「こんにちは、東雲」


 日曜日のちょうど昼。美羽から連絡を受けて、家の近くのスーパーで待ち合わせをした。

 今日の美羽はフレアスカートに薄手のセーターと、昨日と似てはいるものの大人びた雰囲気がより強い。

 相変わらず似合うなと思いながらすぐに店に入り、中を物色する。


「お昼は何が食べたい?」

「んー。特に思いつかないな。簡単なものでいいぞ」

「ならパスタにでもしようかな」


 家族でもない人と家で食べる飯の事を考えながら、スーパーを歩く事に違和感を覚える。

 しかもこちらを見る人の視線が多いので、息苦しさから体に妙な力が入ってしまう。

 悠斗の態度が家に居る時と違うからか、美羽が首を傾げた。


「何かそわそわしてない? 大丈夫?」

「大丈夫。視線が多くて落ち着かないだけだ」


 美少女と断言出来る美羽に人の視線が集まるのは当たり前だ。学校でもそうなのだから。

 蓮も顔が整っているので一緒にいると視線を集めるものの、今日の周囲の視線は更にちくちくしている気がする。

 おそらくだが、悠斗と美羽が一緒に居る事が変なのだろう。

 釣り合わない事など十分に理解しているのでほんのりと苦笑すると、美羽の眉が下がった。


「ごめんね、嫌だよね」

「文句を言って来る人も同じ高校の人もいないんだから、東雲が気にするな」


 流石に面と向かって悠斗を馬鹿にする人はいないだろうし、高校から離れているおかげで知り合いに見られる可能性が無いのも有難い。

 これが学校近くならば、美羽の荷物持ちは出来なかっただろう。

 そもそも彼女が謝る必要などない。ただ買い物に来ているだけなのだから。

 悠斗の励ましに美羽が大きく息を吐く。


「気にするよ。というか私が誰と一緒に居ようと、何をしようと私の自由だと思うんだけどなぁ」

「そういう訳にもいかないのが辛いところだな」


 自分の行動が周囲にチェックされるのは、人気者であるがゆえの弊害へいがいだろう。

 蓮は男なので悠斗と一緒に居ても違和感はないが、美羽は異性だ。周囲からの目も厳しくなってしまう。

 だが今は視線を浴びてはいるものの、学校の事を気にする必要はない。


「まあ、こういう日くらいはぜひ荷物持ちをさせてくれ」


 本来は悠斗がやらなければいけない事ではあるが、わざとらしくおどけると美羽の顔に笑顔が戻った。


「じゃあ頑張ってお米を持ってもらおうかな」

「任せてくれ」

「それと、もし文句を言って来る人が居たら怒るからね」

「そりゃあ心強いな」


 美羽はにこにこと満面の笑みをしているが、瞳の奥が笑っていない。

 以前もそうだったが、本当に外見で人付き合いを決めないようだ。

 頼もしい味方だなと小さく笑みを落とし、周囲を気にせず買い物を楽しむ悠斗達だった。





「いただきます」

「いただきます」


 目の前には先程スーパーで買ったパスタが湯気を立てている。

 しかも市販のソースではなく、美羽はシチューを、悠斗の方はカレーのルゥを使っているらしい。

 美羽曰く「そんなに手が掛かるものじゃない」との事だが、悠斗からすれば十分に手が込んでいる。

 これまでと同じく味に期待しながら口に運ぶと、やはりコンビニ飯とは全く違う美味さが広がった。

 コンビニ飯が不味いのではなく、美羽の料理が美味すぎるのだ。


「美味い」

「なら良かった。昼は手を抜いた分、夜は頑張るね」

「別にそこまで気張らなくてもいいぞ。これもめちゃくちゃ美味いから」

「ふふ。ありがと」

「お礼を言うのは俺の方だ。いつもありがとな」


 時折短く会話しながら食事を続け、何となく美羽の様子を見る。

 垂れるのが気になるのか、淡い栗色の長くて綺麗な髪を耳に掛けていた。

 食べる姿も上品かつ綺麗な所作しょさで、普通の一軒家に居る事が場違いに思えてしまう。


(今更だけど、こうして一緒に食べてるのが不思議だな)


 これまでは悠斗一人が食べていたが、今日は美羽もだ。

 他の人に話せば羨ましいと言われるだろうが、悠斗に特別な感情はない。もちろん感謝はしているが、それだけだ。

 どちらかというと、美羽の方が重くとらえて使命感を持っている気がする。

 ただ、やはりこうして一緒に食べる方が嬉しい。

 美羽と一緒に食べられるからではなく、作った物を本人が一切口にしないというのは悲しい気がするのだ。

 平日は美羽も自分の家で飯を食べるので、こういう日があってもいいと思う。


「ん? どうしたの?」


 じっと見つめていた事で食べる手が止まっていたからか、美羽と視線が合った。


「さんざん料理を作ってもらっておいて、今日初めて一緒に食べるのがおかしかっただけだ」

「ふふ。流石に夜ご飯は家で食べてるからね」


 家族以外の女性と飯を食べる事など小学生の時以来なので変に感じるのだが、美羽の表情はいつも通りの柔らかな笑顔だ。

 彼氏がいなくとも、こうして男と一緒に飯を食べる事があっただろうし、おそらく今の状況に何も感じていないのだろう。


「でも、こうして芦原くんと食べるのは楽しいよ」

「特に面白い話なんてしてないけどな」


 楽しいという言葉に心臓が跳ねたが、他意はないはずだ。

 すまし顔を取り繕って応えると、美羽はくすりと小さな笑みを落とす。


「むしろ私としては食事中にあれこれ話されるのは嫌だし、今がちょうどいいくらい」

「そうなのか? 以前食堂で見た時は結構話してるように思ったんだが」

「あれ、実は殆ど話してないよ。皆が話しかけてきてるだけ」

「……そういえばそんな感じだったな」


 美羽に言われて食堂の光景を思い出すと、確かに美羽は自分から話しかけてはおらず聞きに徹していた。

 それでいてちゃんと溶け込めていると感じさせるのだから、自分の行動が浮かないようにきちんと注意しているのだろう。

 そういう所も人気の理由なのだろうと感心すれば、美羽は気まずさと申し訳なさを混ぜたような苦笑を浮かべた。


「話しかけてくれるのは有難いし、聞き手になるように誘導もしてる。喋りたくない訳でもない。……でも、ああいうのは正直、疲れる。一緒にいてくれるのは嬉しいんだけどね」

「……」


 力のない笑みに返す言葉が見つからない。

 やはりというか、美羽はああして聞き手になる事で周囲の空気に合わせているようだ。

 笑顔を、輪の中心としての立場を、周囲から話しかけられる事を望まれるというのは、悠斗には想像できない辛さがあるはずだ。


「ごめんね、変な事言っちゃって。……こんな事、話すつもりなかったんだけどなぁ」


 おそらく、美羽はこういう愚痴を他の人に話せないのだろう。

 悠斗には多少許してくれているようなので、受け止めるのが悠斗の役目だ。


「いいさ、東雲の事を知れるんだから。それに、前に愚痴を聞くって言っただろうが」


 愚痴には普段の不満だけでなく、こういう事も含んでいいはずだ。

 悠斗に話したところで何が変わる訳でもないが、少しでも気が楽になるのなら遠慮しないで欲しい。

 美羽は絶対に納得しないし、釣り合いが取れていないとも思うが、料理を作ってもらっているお礼だ。

 はっきりと意志を伝えると美羽が呆けたように目を見開き、先程よりも緩んだ笑みを浮かべた。


「ありがと。じゃあどんどん話しちゃうね」

「おう」

「それにしても、私の事を知りたいなんてナンパみたいだよ?」


 悪戯っぽい笑みで反応に困るような事を言われれば、口をつぐんでしまう。


「……こうして話してる人を知れるのは良い事だろうが」

「ふふ、そうだね」


 妙に照れくさくて素っ気なく告げても、美羽の顔から笑顔が消える事はなかった。





「私がいるんだから、今日はしなくていいんだよ?」


 昼食を平らげて皿を洗おうとすると、美羽から当然の事のように言われた。


「だからこそだ。量が多くても一人で料理したんだから、皿洗いくらいはさせてくれ」


 昼食は二人分なので流石に手伝おうとはした。だが美羽から「人手がいる作業じゃないから」とあっさり断られたのだ。

 そうなると、悠斗が出来る事は後片付けだけだろう。美羽がいるからと全て彼女任せにするつもりはない。

 強引にキッチンに立つのだが、美羽が物言いたそうに唇をもごもごさせる。


「でも……」

「いいから。ソファに座ってくつろいでいてくれ」

「……うん」


 ずっと見られ続けるのも居心地が悪いのでソファに誘導すると、渋々という言葉がぴったりなくらいに美羽がムスッとしながら向かっていった。

 美羽がソファに座ったのを確認し、皿洗いを行う。

 普段よりも量が多くなるかと思ったのだが、二人分のパスタとサラダだけなので苦労はしない。

 これなら簡単に終わるとまず一つ目を洗い終えると、小さい手が伸びてきて悠斗の皿を掴んだ。


「ん」

「……いや、何でだよ」


 先程までソファにいたはずなのに、どうして戻ってきているのだろうか。

 疑問をぶつけると、美羽が気まずそうに体を揺らす。


「ただ待ってるの、落ち着かなくて……」

「だから皿を拭きたいと?」

「そう」


 他人の家事など放っておけばいい。ましてや自分の家ではなく他人の家なのだ。

 だが、そんな些細な事でも美羽は納得出来ないらしい。

 はしばみ色の瞳は不安に揺れつつも、決して悠斗から目を逸らさないので引くつもりはないのだろう。


「……はぁ。じゃあ頼む」

「うん、任せて」


 たかが皿洗いで揉めるつもりはないので、溜息をつきつつ許可をすると美羽の顔がほころんだ。

 そうして、唐突な共同作業が始まるのだった。

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