第18話 違和感

 ぎこちない雰囲気の中、勉強を再開して三十分。流石に空気も落ち着いてきた。


「悪い。ここ何度やっても駄目なんだが……」

「それは使う公式が違うかな。こっちでやってみて」

「分かった。……おぉ、出来た。ありがとな」


 やはりというか、上位二十名に入るだけあって美羽の頭の良さは凄まじいの一言に尽きる。

 自分の勉強をしながら悠斗に教えられるという事は、きちんと知識が身についているのだろう。

 そうして普段よりもスムーズに勉強が進み、夕方となったのでお開きにした。


「はぁ……」


 精魂尽き果て、ソファにぐったりと体を預ける。もはや強がる気力もない。


「長時間の勉強、お疲れ様。どうぞ」

「助かる……」


 休憩の時と同じく美羽がお茶を持ってきたので、感謝を示しつつ喉を潤す。

 ここまで頑張れたのは美羽が一緒に勉強してくれたからだ。一息ついてから頭を下げる。


「勉強を見てくれてありがとう。めちゃくちゃはかどった」


 かなりの回数助けを求めたのだが、美羽は嫌な顔一つせず悠斗に教えてくれた。

 その教え方も答えを言うのではなく、どうやって解くかという方法を分かりやすく教えてくれるので、非常に為になった。


「いいんだよ。芦原くん、物覚えがいいから楽しかったし」

「そうなのか?」

「うん。単に普段から勉強してないだけで、芦原くんは少しアドバイスしたらすぐに理解してくれるし、私に頼りっきりになってない。平均点なのが信じられないくらいだよ」

「……普段勉強してないのはそうなんだが、そこまで言われるとは思わなかったな」


 流石に一から十まで美羽に頼るのは申し訳ないし、それは最早勉強ではない。なので出来る限り自分で考えたのだが、それが高評価らしい。

 普段から勉強していないのは言われた通りなので、その点だけは何も言い返せないのだが。

 一部を除いての褒め言葉が照れくさくて視線を逸らすと、美羽にくすくすと笑われた。


「これならご褒美も渡せるだろうし、テスト明け期待してね」

「そうだな。お菓子、期待してるよ」


 今日はもう勉強するつもりはないが、テストは間近に迫っているので、明日は寝る前に多少勉強するだろう。

 この調子でいけば平均よりかは上になるので、後は悠斗が慢心せずに挑むだけだ。

 

「それで明日は遊ぶけど、何がしたい? 漫画や小説もあるけど、出来ればゲームにしてくれると助かる」


 普段勉強せずにだらだらと過ごしているだけあって、悠斗の部屋にはそれなりに時間を潰せるものがある。

 とはいえ大量の本を持って降りるのは大変なので、出来る事ならゲームにして欲しい。

 悠斗の部屋に案内するというのも選択肢なのだが、それは美羽が嫌がるだろう。

 念の為選択を委ねると、こてんと美羽が首を傾げた。


「芦原くん、小説読むんだ?」

「ライトノベルだけどな」

「らいとのべる?」

「……まさか、知らないのか?」


 そんな種類の小説など知らないとばかりに無垢な表情を向けられる。

 ゲームは流石に知っているようだが、このご時世、ライトノベルを知らない人がいるとは思わなかった。

 とはいえそれは悠斗が勝手に思っているだけで、普通の人からすれば知らなくてもいい物なのだろう。

 そう思ったのだが、つい疑問が口から出てしまった。


「えっと、ごめんね。よく分からないの……」


 申し訳なさそうに美羽が眉根を寄せるが、謝るべきなのは悠斗の方だ。


「いや、俺の方こそ意見を押し付けてすまん。気にしないでくれ」

「ちなみに、どんな物なの?」

「多少イラストがあって読みやすくした小説、かな。ジャンルはいろんなものがあるけど」

「ふぅん……」


 美羽が顔を俯け、顎に手を当てて考えだす。

 悠斗の説明できちんと理解してくれたのかは分からないが、あまり悪いようには思っていないようだ。


「そのライトノベルっていうのはまた今度にしてもらおうかな。明日はゲームがしたい」

「了解だ。どんなゲームが良いとかあるか?」

「ゲームはやった事ないからよく分かんないし、芦原くんにお任せするよ」

「……分かった」


 美羽の発言に疑問はあるが、それは置いておいて何がいいかと思考する。

 そのままランニングの時間まで悠斗達は喋り続けたのだった。





「今日はありがとう。ご飯も、勉強も、本当に助かった」


 ランニングを終えて既に夜。美羽が晩飯を作ったので玄関まで送っている。

 改めて感謝を伝えると、柔和な笑みを向けられた。


「ふふ、いいんだよ。私の方こそありがとね。一人で勉強するよりかずっと楽しかったよ。もちろん教えるのも凄く楽しかった」

「不出来な生徒で悪いな」

「芦原くんが生徒なら、教える人は楽だと思うけどね」


 くだらない会話をしながら美羽が靴を履き終えて立ち上がる。


「そうだ。芦原くん、明日のお昼ご飯はどうするつもり?」

「昼飯か? 多分、適当にコンビニ飯だと思う」

「やっぱりそうだよね。今日もコンビニ弁当っぽかったし」

「まあ、自炊するつもりはないからな」


 今日の昼食の内容など言っていなかったのだが、美羽の言い方からすると悠斗の昼飯を把握していたようだ。

 おそらくだが、弁当の容器をキッチンのゴミ箱に捨てているので、それを見たのだろう。

 とはいえ、自分だけが食べるのに自炊をしなければとは思わない。

 最近の晩飯に関してだけは、あくまで美羽の時間潰しのついでという話になっているだけだ。

 外に出るのも面倒なのでカップ麵でもいいかと考えていると、美羽が控えめな上目遣いで見つめてきた。


「だったら、お昼ご飯も私が作っていい? 今回は私も食べるけど」


 晩飯だけでなく昼食もとなれば、流石に申し訳がなさすぎる。

 美少女と家で食事などご褒美以外の何物でもないのだが、いくら何でももらい過ぎだ。

 普段から晩飯を作ってもらい、風呂を準備し、更に明日は昼食もなのだ。

 明らかに釣り合っておらず、唇を引き結ぶ。


「遠慮しとく。俺の昼飯なんて気にするな」

「それだと私が納得出来ないの。でも、このままだと芦原くんも私の提案を受け入れないよね。だから、お願いがあるの」

「お願い?」


 美羽からお願いをしてくるのは非常に珍しい。

 普段からお世話になっているのだから、多少難しくても頑張るべきだろう。


「うん。明日、お昼ご飯の買い物のついでに夜の分も買っておくつもりなの。それと、私が使う前からお米が少なくて、もう無くなりそうなんだ。だから買い物に付き合って欲しいの」

「……それ、お願いっていうか俺がやらなきゃならない事じゃないか」


 今までは悠斗の一食分だけで済んでいたが、明日は量が約三倍にまで増える。

 荷物持ちをしろと言うのなら喜んでついて行くし、そもそも本来であれば悠斗が行くべきなのだ。

 これまでは美羽の善意で買い物をしてくれていただけなので、遠慮する必要はない。

 米を買いに行かなければならないのなら、なおさら悠斗が行くべきだろう。女性にあれほど重いものを持たせる訳にはいかないのだから。

 自分の家の台所事情を把握していない事に自己嫌悪で顔を歪めつつ呟けば、美羽が苦い笑みを作る。


「ううん。料理を作る以上、私がしなきゃいけない事だから。本当は頼るのなんて良くないんだけど……。流石に、辛くて」


 悠斗は買い物を命令したつもりはないし、頼るなとも言っていない。米など悠斗に任せればいいのだ。

 鈴を転がすような声からはそれが当然だと言わんばかりの気持ちが伝わってくるが、明らかに異常だ。

 そうしたいというよりかは、そうしなければという必死さが表情からも読み取れる。

 他人の料理の為に、どうして美羽がそこまでしなければならないのだろうか。

 もちろん自分が食べるからというのもあるのだろうが、大半は悠斗の為だろう。

 自分を殺すような態度に胸がズキリと痛む。

 気が付くと、悠斗の手が美羽の頭に乗ろうと浮き上がっていた。


「……どうしたの?」

「え? あ、あぁ……」


 デリカシーが無さすぎたと反省し、すぐに手を下ろす。

 いきなり頭を触るのはマナー違反だ。例え未遂みすいだとしても許される事ではない。

 美羽の顔色をうかがうと、何が何だか分からないというように首を傾げていた。

 嫌悪感が無いのか、あるいは悠斗が何をしようとしたか分からなかったのかもしれない。


「すまん」

「良く分からないけど、本当にどうしたの?」


 どうした、と言われても完全に無意識だったので言い訳のしようがない。

 ただ、そんなに必死にならなくてもいいと思ったのは確かだ。

 じわりと頬に熱が上がって来るのを自覚しつつ、美羽に笑みを向ける。


「一人で頑張る必要はないぞ。俺の分が大半なんだから、荷物持ちに遠慮なく使ってくれ」

「でも芦原くんに迷惑が――」

「それを言うなら俺の方が迷惑かけてるから。自炊と勉強は出来ない男だけど、米や食材を持つ事は出来る。だから、頼ってくれよ」

「……っ」


 冗談めかして自虐を混ぜつつ思いを伝えると、美羽が急に顔を俯けた。

 傷つけるような事は言っていないはずだが、何か変な事を言ってしまったのだろうか。

 どうにかしなければと思うが何も出来ず、ただおろおろと忙しなく体を揺らしていると、美羽がゆっくりと顔を上げた。

 

「……ありがとう。頼りにするね」


 歓喜を滲ませた笑みに心臓が大きく鼓動し、華やいだ声が悠斗の頬に熱すぎる火を灯す。


「なら、明日準備出来たら連絡するよ」

「あ、ああ」

「それじゃあまた明日」

「……また明日」


 悠斗の真っ赤になった頬に気付かなかったのか、それとも気付かないフリをしたのかは分からないが、美羽があっと言う間に玄関からいなくなった。

 未だに心臓は騒いでいるし、先程の美しい笑顔がまぶたに焼き付いている。


「飯、食べよ」


 動揺のままふらふらとリビングに向かい、手を合わせて美羽の作ってくれた晩飯を口に入れる。

 不思議と、昨日よりも美味しく感じた悠斗だった。

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