第16話 見慣れない服装

 土曜日の午後。コンビニ弁当で遅めの昼食を終え、悠斗は自室のベッドで特に目的もなく動画を見ている。

 弁当で済ませた事を美羽に知られれば何か言われそうだが、かといって作る気などない。

 動画の内容は頭に入って来ず、画面の向こうから聞こえて来る音を耳に入れながら、考えるのは美羽の事だ。


(こういう日は一度帰るんだな)


 授業終わりに美羽から一度家に帰る事と、昼食をどうするかというメッセージが届いた。

 魅力的な提案に心が揺れたが、そこまで甘えるのは駄目だと遠慮した。

 それに美羽も昼食くらいなら外で食べるだろう。

 

(まぁ、何も無いならそれでいいけど)


 あまり家族との関係が上手くいっていないのは何となく把握しているが、一度帰るくらいは問題ないようだ。

 そもそも美羽が公園から帰る時間は十八時から十九時くらいと以前聞いたので、関係が上手くいっていない割には早めに帰っている気がする。

 そこから考えると美羽の行動に引っかかりを覚えるが、悠斗が口出しする訳にもいかない。

 少なくとも悠斗に出来るのは美羽にくつろいでもらう事だけだと結論付けたところで、玄関の呼び鈴が鳴った。


「はいはい、今行く」


 自室を出て階段を降り、玄関へ行く。

 こうして美羽を迎えるのは初めてだなと思いながら扉を開けると、そこには天使と見紛う程の美少女がいた。


「こんにちは。芦原くん」


 ふわりと柔らかい笑みを浮かべる美羽は、薄い水色のカーディガンとモノトーンカラーの長袖ワンピースに包まれている。

 落ち着いた配色の服は美羽の穏やかな雰囲気に絶妙に合っており、普段よりもお淑やかなお嬢様っぽさが前面に出てる気がした。

 だからなのか、守ってあげたいという欲が湧いてくる。

 言葉になど出来ないので悠斗の心に沸き上がった欲望と葛藤しつつ眺めていれば、美羽が眉をほんのりと寄せて表情を曇らせた。


「えっと、何か変かな?」

「あ、あぁ、悪い。似合ってるなと思っただけだ。こんにちは、東雲」


 無言でジッと見つめられると、誰だって不安になるだろう。そもそも女性をジロジロ見るのはマナー違反だ。

 恥ずかしさを感じつつもお詫びとして正直な気持ちを伝えれば、美羽が居心地悪そうに身じろぎする。


「そうかな? 去年の物を引っ張り出してきただけだよ」

「それでもだ。嘘は言ってない」


 悠斗の褒め言葉など一般的なものだ。

 それにこんな男に褒められても嬉しくないと思うのだが、美羽は頬を紅色に染めて瞳を伏せた。


「もう……」

「さあ、上がってくれ」


 愛らしい姿にひっそりと笑みつつ視線を外し、家の中に招く。

 美羽がスリッパに履き替えたのを確認してから、リビングに向かった。


「どうぞ。……と言っても昨日東雲が作り置きしたお茶だけどな」

「ありがとう」


 お茶を用意し、リビングのソファに腰を下ろす。

 美羽は頬の赤みを消す為なのか、コップに注がれた液体を一気飲みした。


「にしてもその服装は意外だな。これまで公園で見た時はラフな物ばかりだった気するんだが」


 土曜日は制服が多かったものの、流石に日曜日に制服は着ておらず、その際の美羽の服装は簡素なシャツとスカートが多かった気がする。

 もちろん春から夏にかけてだったので厚着をしていないのも分かるのだが、今日の恰好はもっとラフなものを想像していた。

 疑問を素直に尋ねると、美羽は気まずそうに瞳を逸らしつつほんのりと上目遣いで悠斗を見つめる。


「だって芦原くんの家に行くんだよ? 平日は仕方ないけど、こういう日はちゃんとした服装をしないと」

「そこまで気を張らなくても……。普通の一軒家じゃないか」

「駄目。お世話になってる人の所に行くんだから、変な恰好だと失礼だよ」

「……まあ、それならお好きにどうぞ」


 そんなに神経を使わなくてもいいのだが、美羽の意見は尊重したい。

 妙に律儀というか堅苦しい考え方だなと思いつつ、美羽がカーペットの上に置いたバッグに目を滑らせる。

 小物入れとはどう考えても思えないようなバッグに何を入れて来たのか気になってしまった。


「それはそうと、何を持って来たんだ?」

「勉強道具だよ。来週からテストだし」

「あぁ……、なるほど」


 文化祭が終わり、緩んだ空気を引き締めるように来週の頭から中間考査が行われる。

 悠斗も頭にはあったのだが、気力が出ないので今日勉強するという発想がなかった。

 堂々と勉強をすると言った美羽の勤勉さに苦笑する。


「勉強熱心なんだな」

「癖になってるだけだよ」


 大した事はしていないと美羽が小さく微笑む。

 だが、いくら悠斗達の高校が進学校とはいえ、土曜の真昼間から勉強をするような熱心な人はそういない。

 美羽のこれまでの言動や学校での品行方正な姿もあり、やはり真面目なのだなと感心する。


「勉強を癖にするのは凄い事だと思うけどな」

「褒められるような事じゃないよ。だって――」


 そこまで言うと、美羽が急に言葉を止めた。


「だって?」

「……ううん、何でもない」

「そうか」


 美羽の顔にはほんのりと後悔が浮かんでいた。おそらく、つい発してしまったのだろう。

 明確に拒絶されたので、悠斗もこれ以上は踏み込まない。


「そういう芦原くんは勉強しないの?」

「あまりやる気が出ないんだ」

「やる気が出ないなら仕方ないね。聞いた私が言うのもなんだけど、勉強するかどうかは個人の自由だもん」

「個人の自由という割にはしっかり勉強してるよな。ちなみに、順位はどのくらいなんだ?」


 真面目に勉強しているのだから美羽の成績は良いはずだ。

 ここは踏み込んでも問題はないと判断して尋ねると、美羽が平常通りの表情をしながら口を開く。


「毎回学年で二十位以内に入ってるかな」


 悠斗の高校はそれなりに人が多く、近くの進学校よりレベルが高い。

 掲示板に張り出されるのは上位十名だけなのだが、二十位以内ともなれば間違いなくトップクラスだ。

 そこまでとは思わず、驚きに目を見開いて美羽を見た。


「本当に頭が良いんだな」

「まあ、上位十名には入れないんだけどね」


 悔しさと悲しさを混ぜ込んだ薄い笑みを美羽が浮かべる。

 凡人の悠斗からすると考えられない争いなので、そんなに落ち込まなくてもいいと思う。


「それでも、俺からしたらハイレベル過ぎるな」

「そういう芦原くんはどのくらい?」

「真ん中くらいだ」


 悠斗の学力では、今の高校に進むのは厳しかった。

 それでも自分なりに努力して何とか合格し、受かったとはいえ赤点は駄目だろうと平均点まで勉強したのだ。

 しかし両親に心配を掛けないように平均点が取れるのなら、それ以上頑張らなくてもいいとも思っている。

 誇れはしないのでさらりと伝えると、美羽が顎に手を当てて考えだす。


「んー。芦原くんは勉強するのが嫌いなの?」

「嫌いというか、頑張る理由がないというのが正しいな」


 学年上位など興味はないし、将来の目標もない。

 とりあえず良い大学に行くために今から必死に勉強している人もいるとは思うが、悠斗はそこまで熱心になれないのだ。

 高校生の大半がそんなものだろうと小さな笑みを落とすと、美羽が体の前で手を合わせて乾いた音を奏でた。


「なら今から勉強しない? 分からない所があったら教えるから」

「いや、頑張る理由が……」

「だったら、今から勉強を頑張って、今回のテストで順位が上がったら何かご褒美をあげる」

「ご褒美?」


 悠斗の勉強になぜ美羽がご褒美をあげなければいけないのだろうか。他人の勉強など放っておけばいいと思うのだが。

 意図が読めずに首を傾げると、美羽が大きく頷いた。


「そう。私に出来る範囲だけど、その中でなら何でもいいよ」

「……ちなみに、その範囲は?」


 悠斗も男だ。美少女に「何でもいい」と言われれば乗ってしまう。

 先程まで渋っていた癖に現金で醜いなと思いつつも尋ねれば、美羽の唇が弧を描いた。


「どこまで、っていう明確な線引きなんて出来ないから、試しに欲しい物を言ってみて?」

「そうだな……」


 そう言われると何を言えばいいか困る。正直なところ、美羽にしてもらいたい事など何もないのだから。

 ここで踏み込んだ事を言う人もいるのだろうが、残念ながら悠斗にその度胸はないし、そもそも踏み込みたいとすら思っていない。

 晩飯にあれほど美味しい物を食べさせてもらっているのだ。困らせるのは駄目だろう。


「……だったら、何か甘いものが食べたいな」


 結局悠斗が出した案は、料理が出来る美羽であれば叶えられなくもない微妙な案だった。

 拍子抜けなのか、美羽がきょとんとした顔で首を傾げる。


「お菓子って事?」

「ああ。簡単なものでいいけどな」

「そうだなぁ……。チョコとナッツは平気?」

「全然問題ないな。むしろチョコは好きだ」

「おっけー。なら任せて」

「頼んだ。じゃあ勉強道具持ってくる」


 流石に美羽を自室に招いて勉強するつもりはない。美羽としても男の部屋は落ち着かないはずだ。

 二階に上がり、ある程度の勉強道具を持ってきて美羽と向かい合わせに座る。


「じゃあ始めよっか」


 全く予想していない、唐突な勉強会が始まった。

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